子供達と接するときのこだわり
教室業には「保護者との会話」という業務が必ず存在する。
・今日の練習はどうだった
・今日はこんなことができるようになった
・最近はこんな練習をしている
・お家ではこんな様子
保護者との会話の中で話す内容は本当に様々。
先生も保護者も子供に対して深い愛情を持っているからこそ、子供に対する認識や考えをすり合わせながら指導を進めていく必要があり、そのためには両者の間での情報共有が必須だ。
そんな保護者との会話の中で、僕には絶対に譲らない考え方が1つある。
それは「結果ではなく、行動を見て欲しい」ということだ。
何を見るか
「結果ではなく、行動を見る」
僕は指導をするときは常にこのことを意識している。
バク転ができたかどうかではなく、バク転をやろうとしたかどうか。
ジャンプができたかどうかではなく、膝を伸ばして思いっきりジャンプしようとしたかどうか。
もしかしたらあまり違いがないように感じる人もいるかもしれない。
でも…
本当に気をつけてほしい。
気づけるようになってほしい。
この着眼点の違いは"確実に"子供の成長に影響する。
結果を見た声かけ
結果に着目して子供と接していると、声かけはこういったものになる。
・今日はゴールを決められたね/決められなかったね
・今日はヒットを打てたね/打てなかったね
・今日はロンダートができたね/できなかったね
・今日は勝ったね/負けたね
正直に言わせてほしい。
僕はこういった声かけが心から嫌いだ。
その理由は簡単。
その声かけの中には再現性がないからだ。
この声かけから生まれる子供との会話の中には、「なぜ?」がない。
なぜゴールを決めれたのか?
なぜヒットを打てなかったのか?
そういった深掘りが生まれないため、「次の機会はどんな行動をするか?」という思考を持つことがないままなんとなく事に取り組むようになってしまい、1歩進んで1歩下がるを永遠と繰り返す事になってしまう。
そもそも、勝った/負けたは自分でコントロールできないため、再現性など微塵もない。
行動を見た声かけ
では、行動に着目した声かけはどうだろう。
・今日はチームメイトの位置を確認しようと意識していたね
・今日は体を開かないようにスイングしていたのがよく見えたよ
・今日は手を大きく開いて地面につこうとしていたよね
こんな感じだ。
この声かけをするメリットをいくつか述べさせてもらう。
まず1つ目。
「再現性がある」ということだ。
結果は反復不可能だが、行動は反復可能だ。
先ほどの声かけの例で言えば、チームメイトの位置を確認しながらサッカーをすることは何度でもできるし、体が開かないようにバットを振ることも何度でもできる。
頭の中で意識さえすれば。
ゴールを決める、ヒットを打つなどの結果を同じように毎回繰り返すことはできないが、頭の中の意識はいくらでも繰り返すことができる。
つまりそこには再現性があり、何度も繰り返すうちに子供の頭にその意識が定着するため、1歩ずつ確実に前に進んでいくことができる。
続いて2つ目。
「子供のやる気を削がない」ということだ。
当たり前の話だが、負けたことやうまくできなかったことを掘り返されたら子供のやる気は落ちる。
落ちない子もいるかもしれないが、少なくとも上がる子はいないだろう。
やる気が下がると成長は止まる。
では、勝ったとしたら…?
一時はやる気が上がるかもしれない。
しかし、勝った事によるやる気は時間の経過とともに「次も同じ結果を出せるかどうかへの不安」に変わっていく。
その不安と戦っているうちに勝敗にしか目がいかなくなり、思考が止まる。
つまり、勝っても負けても良いことは起きない。
一方、行動に着目するとどうだろう。
結果の良し悪しに関係なく、考えたこと・行動したことについての会話が進むので、そこには肯定・否定という概念が存在しない。
考えて行動していたのであれば、それを認めて、どう感じたのかを尋ねるだけ。
考えて行動していなかったのであれば、じゃあ次はどんなことを考えようか?と尋ねる事によって「考えること」を促すだけ。
常に目が前を向いているので、子供のやる気を削ぐことが一つもない。
仮説・検証を癖づける
大人は「考えて体で出力する」という一連の行動を見ているんだと子供が理解すると、子供は考えながら事に取り組むようになる。
考えて事に取り組むと、成功しても失敗しても成長できる。
なぜなら理由がわかるからだ。
あらかじめ考えを持って事に取り組むと…
成功した時は「ああ、この意識がうまくいくコツだったのか」となる。
失敗した時は「ああ、この意識はあんまり意味がないのか」となる。
そして、「じゃあ次はどうしよう」とまた考える。
あらかじめ考えを持っていないと、成功しても失敗しても何も感じれない。
これは、いわゆる「仮説・検証」と同じで、仮説がなければ検証ができないし、検証をしなければ次の仮説が立てられない。
だからあらかじめ考えさせることが大切だし、あらかじめ考えるように促すことが大切なのだ。
これが癖づくと、一人でどんなことでもできるようになる。
成長のプロセスや考えるという行為そのものを楽しめるようになる。
自分でモチベーションを上げて、自分で楽しみを見つけて勝手に前に進むようになる。
結果を追い求めるのはそこからの話だ。
井藤 亘(いとう わたる)
名古屋アクロバットスクール
20年以上続けてきた「男子新体操」というスポーツをより多くの人に知ってもらうため、日々活動をしています!! 頂いたサポートは、今後の活動費、またはその勉強のために使わせていただきます!🙇♂️✨ また、サポートとともに記事のリクエストも募集しております。