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15で家を出るということ

僕は15歳で実家を離れた。
男子新体操というスポーツに本気で打ち込むためだ。

中学卒業と同時に見ず知らず地へ。
慣れ親しんだ名古屋の街を離れ、埼玉へ。

世間的に見ればかなり早めに実家を出たわけだが、そのことが僕にもたらしたものはなんだったのだろう。

どこへでも行ける強さ

早々に実家を出たことが僕にもたらしたのは、間違いなく「どこへでも行ける強さ」だろう。

15歳の僕にとって、家族のもとを離れ、関東の地で暮らすのはとてつもなく大きなことだった。

出発の日が近づくに連れ、いろんな感情が押し寄せる。
ドキドキなんて言葉では表しきれないほどの緊張。
部活動という未経験の環境への怖さ。
知っている人がいない寂しさ。
とてつもなく不安だった。

しかし、半年も暮らしたら不安は吹き飛んだ。
もちろんホームシックにはなった。
年に2度しかない帰省を楽しみにもしていた。
でも気づけば埼玉は、高校は、寮は、僕にとってかけがえのない居場所になっていた。

すでにその時点で名古屋という土地はただの「地元」という認識になっていた。
住む場所ではなく、帰る場所でもなく、ただの「地元」であった。
なんだか言い方が冷たいように感じるかもしれないけれど、この認識の変化が自分の心を楽にしてくれた。

住む場所は埼玉。
自分の居場所は埼玉。
そう認識することによって、寂しさから解放されたのだ。

15歳でその感覚を掴んだ僕は、どこへでも行ける強さを身につけた。

大学を決める時、青森へ行くことを迷うことは一切なかった。
シルクドソレイユに行く時、アメリカへ行くことを迷うことは一切なかった。

一切の不安もなかった。

どこに行ったって住める。
どこにだって馴染める。
どこでも生きていける。

この強さは、15歳で家を出て寂しさと戦い、不安を押し除け、緊張を吹き飛ばし、がむしゃらに新体操を頑張ったことによって身につけたものだと思う。

失ったもの

当然、失ったものもある。

1番に思いついたのは友達だ。
中学まで共に時を過ごした友達と今どれだけの繋がりがあるだろう。
卒業後、どれだけの時間を彼らと過ごしただろう。

もちろん0ではない。
ただ、数えるほどしかない。

最初は頻繁に連絡を取っていた友達も、年数を重ねるごとにどんどん疎遠になっていく。
どんどん声をかけづらくなってくる。
どんどん輪に入りづらくなってくる。

もはやどんな話題が盛り上がるのかも全くわからない。
部活しかしていないのだもの、当然だ。

新しい場所に行ってもその場で新しい友達を作れることはわかっている。
ただ、名古屋→埼玉→青森→アメリカと場所を移動するうちに、各地の友達とどんどん距離が離れていく。
物理的にも心理的にも。

それはかなり辛かった。
というより、今も辛い。

どこで友達を作っても離れることを想定してしまうからだ。
その場では全力で関係を作りにいくが、最終的には離れてしまう。

「いずれは離れる。」

自然とそう意識してしまうのだ。

悲しいことだけれど、どこへでも行ける強さを得たのだからその代償としては仕方がない。
「人に依存しない性格」とポジティブに捉えておこう。
※もちろん、どこに行っても関係が変わらないとってもとっても大切な友人は何人かいる。

今になってわかる親の気持ち

大きな不安と共に家を出たと先述したが、実は大きなワクワクも一緒にあった。

周りの同年代とは違う経験をしている自分。
15という歳で実家を出る自分。
そんな自分の経験の珍しさに
「なんかちょっとカッコいいじゃん」
とワクワクしている自分がいた。

その後も、いろんな地を転々としている自分に対して「人とは違ってちょっとカッコいいじゃん」と思いながらここまで来た。

そんな僕だが、この歳になり、娘を持って初めて気づいたことがある。

「子どもが15で手元から離れていくのは、親からしたらとってもとっても寂しいことである」
ということだ。

娘を持つまでそんなふうに感じたことはなかった。
ただ、今ならわかる。

なぜなら、ふとした瞬間に大人になった娘と自分の姿を想像してしまうからだ。

中高生になったら反抗的になるのだろうか。
スポーツを極めるのか、文学を極めるのか、はたまた芸術を極めるのか。
どんな親子になるんだろう。

こんなことを想像してしまうのだ。
まだ娘は9ヶ月だというのに。

その想像の中には「一緒にいない」という選択肢がない。
自分がこんな道を歩んできたのに、想像の中には娘と離れて暮らしている未来がないのだ。

もちろん、15で家からいなくなるなんていう想像はしたことがない。

僕でこの感じなのであれば、親はもっと想像していなかったと思う。
親戚のほとんどは愛知県内にいるし、盆と正月には必ずみんなで集まって宴会を開くような温かい家だからだ。

そんな家に生まれた僕が、いきなり15で家を出た。
高校卒業後に帰ってくるのかと思えば次は青森。
大学卒業後にやっと帰ってきたと思ったらたった半年でアメリカへ。
帰るのは年に2回。
アメリカに来てからは3年半で1回しか帰っていない。

親はとても寂しかったと思う。
教えたいことがいっぱいあったと思う。
もっと一緒に時を過ごしたかっただろうと思う。

まとめ

何事にもいいことと悪いことの両面がある。
15で家を出るということにも、もちろん両面がある。

自分を守ってくれる存在から離れたければ離れるもよし。
その存在を逆に守れるようになりたいなら近くにいるもよし。

どっちも体験してみるといいと思う。

僕はこれまで好きなように飛び回ってきたので、一旦は落ち着いて、これまで10数年一緒にいれなかった分を取り戻せるよう努力したい。

一旦ね。


井藤 亘(いとう わたる)
Cirque du Soleil 「Drawn to Life」
男子新体操アーティスト🤸‍♀️

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KYOMEIプロジェクト

名古屋市立原中学校ー埼玉栄高校ー青森大学ーシルクドゥソレイユ

3歳から男子新体操を始め、中学校3年生時の全日本ジュニア出場をきっかけに、埼玉栄高校へ進学する。
骨折などの大きな怪我を克服しながら3年時にインターハイで団体優勝し、名門・青森大学へ進学。
大学では、全日本選手権・全日本学生選手権ともに4連覇を果たし、4年時には主将も務めた。
卒業後は、幼児・小学生を対象にスポーツ指導をしていたが、パフォーマーとしてイベント出演したことをきっかけにシルクドゥソレイユのオーディションを受け合格し、渡米。
現在はパフォーマー業を行いつつ、男子新体操の普及を目標に様々な活動に取り組んでいる。

【実績】
・インターハイ団体優勝
・全日本学生新体操選手権大会団体4連覇
・全日本新体操選手権大会団体4連覇
【出演】
・東京テレビ「年忘れにっぽんの歌」鳥羽一郎コラボ
・TBS「音楽の日」三浦大知コラボ
・BS11 ドキュメンタリー「ザ・チーム 勝利への方程式」
・Avex主催「STAR ISLAND」サウジアラビア公演
・大阪ガス主催「10歳若がえりセミナー」講師
【資格】
・中学、高等学校第一種教員免許状
・ビジネスアスリート2級
・日本スポーツ協会公認スポーツリーダー

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