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めがねを変えてみた

私はメガネをかけている。

視力は良い方だったが、中学校の昼休み、

サッカーのキーパーをしていた私は、転がったボールをキャッチしようと

てを伸ばす。

するとゴールに押しこもうとした足がボールではなく私の顔面に直撃。

そのころから、徐々に視力は悪くなり、眼鏡は手放せないもの。

それはいつしか自分の一部となった。

そう思っていた。

やりたいこさえやらせてもらえなかった20代

やりたいことをやるために耐え抜いた30代

やりたいことのために、孤独な40代

「我慢が私の性分である」とさえ思っていた。

でもふと思った。

それって本当に変えられないもの???

「我慢」は「めがね」だったのだ。

わかったら簡単。

「めがね」を変えてみることにした。

「我慢めがね」から「ルールめがね」へ。

「めがね」が変わるとすべてが変わった。

スポーツはルールがあるから面白い。

そのルール内で如何にベストを出せるか、勝つことができるかを考える。

今は孤独というルールの中、勝負をしている。

スポーツとの違い。

それは勝敗は自分で決めることができることだ。

自分のやりたいことをやれている時点で勝利。

孤独に打ち勝っている時点で、勝利。

「他人軸めがね」から「自分軸めがね」へ。

母親から生まれ出てきた姿。それは変えられないもの。

それ以外は身体の一部のようになってしまった、めがねのようなものだ。



#我慢に代わる私の選択肢


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