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プロアイスホッケー選手を引退する「159cmの天才」へ、ずっと近くで見てきた凡人より

2022年4月1日 幼馴染であり、親友の引退が発表された。


彼は身長が159cmと小柄ではあるが、7年間のプロアイスホッケー選手として活躍し日本代表にも選出された事もある。
そんな彼の名前は「越後智哉」


彼との出会い小学生編


僕は小学校6年生からアイスホッケーを始めた。
多分誰よりも遅いスタートだと思う。
始めて所属した札幌の小学生クラブチーム「真駒内イーグルス」(現札幌イーグルス)
そこで彼はキャプテンだった。そして身長は159cmあった。
小学生にしてはデカい。

赤いユニフォームが彼で青いユニ(左)はレッドイーグルス北海道の髙田MG
小学6年生の彼(左)と私(右)



彼は天才と言われていた。
「将来間違いなく、プロになる子」
当時から愛想が良い方では無いので、プロになる選手だし仲良くなれそうに無いし
怖い人 としか思っていなかった。

彼は鬼ストイックで将来プロアイスホッケー選手・日本代表になる事を
目標にし「アイスホッケーに真剣に向き合っていた」彼と
アイスホッケーをしていたおかげで高校にギリギリ進学出来たのにも関わらず
「アイスホッケーが全てじゃねぇ」と練習もせず、カッコつけていた私
もちろん仲が良いわけもなく、当時遊ぶことはもちろん、話をした記憶すらない。万が一あったとしても、思い出したくない。自分が惨めになる。

中学生編

札幌には2つしか中学生のクラブチームが無く、常にライバルだった。
橋本僚(レッドイーグルス現キャプテン)率いる、札幌フェニックスに私たちは創部以来一度も勝ったことが無かった。

その試合は3-5で負けた。3年間で唯一勝てるかもしれない試合をしたのはその時だけだった。
控室で彼は立てないほどの落ち込んでいて、僕はただ着替えるのが遅かったので
ふたりきりになってしまった。

「智哉が落ち込んでいたらチームダメになるよ。切り替えて次勝とう!」

「こいつ、こんな事言うのか」と言わんばかりの彼の驚いた顔は忘れられない。


その時ふと思った。
「ただの嫌いなやつ」だった彼は、エースとして、キャプテンとして、色々なものを抱えていたのかもしれない。
今まで一人で孤独に戦っていたのかもしれないと。

高校生編

高校生になり、彼は駒大苫小牧へ進学し僕は帯広白樺学園へ
別のチームメイトとなった。
ここが彼との距離を縮めるターニングポイントとなった。

お互い16歳で親元を離れての寮生活
想像以上の上下関係
アイスホッケーの弱い札幌出身という差別(今は無いと思いたい)
自然と連絡を取り合うようになり
高校1年生の時は毎晩のように電話をしてお互いを励まし合った。
気がする。確か。。。


今までプライベートで遊ぶこともなければ、連絡を取り合ったことも無いのに、
不思議と違和感なく距離が縮まっていた。
春休みに1週間ほど帰省できる期間があるので、
その期間には必ず会って話をした。
場所は決まって札幌ファクトリーのお好み焼き「風月」だったと思う。

ただ、彼と僕は大きな違いがあった。
彼の高校3年間は「プロになるための通過点」
僕の高校3年間は「最後まで辞めない/レギュラーになること」
彼は1年生から名門校のレギュラーで世代別日本代表にも選ばれていた。
天才だった。
僕はベンチ入りがギリギリでスタジャンを着て観客席にいる事も多かった。

OFF ICEでの距離は縮まっていたがON ICEでのレベルは離れていく一方であった。
だがそこに悔しさは1mmも無く、159cmの天才を応援していた。

大学生編

彼は順当に関東の大学へ進んだ。
アイスホッケー(ウィンタースポーツ)の場合、高校までは北海道が圧倒的に強いが大学は他スポーツ同様、関東・関西にいい選手が集まる。
彼はもちろん関東へ行き中央大学を創部初の全国優勝+連覇を達成
僕は関東で廃人になることを恐れ、北海道へ残った。
そして僕は無事北海道で廃人になった。

社会人編

彼は小学生の頃から目標にしていた「プロアイスホッケー選手」に
僕はアイスホッケー無毛の地「室蘭」へ
この頃から「55会」(1992年生まれの集まり)が頻繁に行われていた。

レッドイーグルス北海道の高橋聖二や小野田拓人
ダイナックスの今野トモヒロ
などアイスホッケー関係が多い中、BBJ2019北海道チャンピオンの奴もいたりする
そいえば彼もBBJに出てたことあったような・・・

居心地のいいバイブスの仲間は今でも定期的に会っている
※55会の由来は不明

REH三田村先輩や中屋敷選手もいるな・・・

今までは大きい大会や年に数回のOFFで帰省する時に時間が合えば会っていた距離が車で1時間あれば会えてしまう距離になってしまい、毎週のように浴びるほど飲んだ。
今まで順風満帆にアイスホッケーキャリアを駆け上がっていた彼はプロで相当苦労していた。
フィールドやレベルが違えど、今まで秘密兵器だった僕の気持ちを彼が味わっているのは「なかなか良いもの」だった
しかし、「なかなか良いもの」だった時間もそう長くは続かず、彼はチームでコンスタントに試合に出るようになり、
日本代表にも選出されていた。それも「なかなか良いもの」だった。

色々あり、(ここはまた後日)違う立場ではあるが昨年から同僚になった。
まさか一緒のチーム(組織)になるとは思っていなかったし、

何より自分が「プロアイスホッケーチーム」にいる事が違和感しかない。
きっと彼もそう思っているだろう。髙橋も小野田も同じく。
同じ組織とはいえ、毎日顔を合わせるわけではない。
中には事務所へ顔を出してくれる選手もいるが、彼は用事がない限り来ることはない。

彼はそういう人間なのだ。

1年間という短い間だったが
中学生ぶりに彼のアイスホッケー姿を間近で見ていた。
彼は昔と変わらず鬼ストイックでレギュラー定着へ

「アイスホッケーに真剣に向き合っていた」

蚊帳の外から見ていた彼と中の人になった自分とでは見え方一緒でも応援する熱量は違っていたのかもしれない。


彼は僕の目の前で引退した。
プロアイスホッケーキャリア7年

昔、彼に「智哉が引退することを見て笑いながら酒を飲むのが夢」と話したことがあるがリアルでは笑う事が出来なかった。しかし悲しくもなかった

「159cm」のハンデキャップがありながら第一線でよく戦っていたと思うし、
チームマネージャーはいつでも誰でも打診される話では無いと聞いたことがあるので彼にはまた新たなチャレンジが待っているのであろう。
次のステージでは「159cm」のハンデキャップが無くなる
彼と共に突き進んでいきたい。


沢山の感動と勇気をありがとう智哉
最後に一緒のチームになったことは偶然だったかもしれないが
僕にとってもすごく良い経験だったし、良い景色を見せてもらいました。
今後は同僚としてよろしく。


彼に憧れていた178cmの凡人より

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