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フランスの旅(9)~シュノンソー城

Bonjour ! 長らくご無沙汰しました。全国ニュースでご覧になった方も多いと思いますが、昨日の浜松はものすごい雨で、地元を流れる二つの川が氾濫して街の北東部が水浸しになった程でした(幸い私の家は高台にあるので被害を免れました)。しばらくは台風が発生しやすい季節が続くと思いますので、皆様もどうかお気をつけてお過ごしください、Faites attention !

今回は前回お話したトゥールの街からロワール川に沿って目と鼻の先に建てられた、フランスルネサンス建築を代表する名城シュノンソー城( le château de Chenonceau )を訪れた時のお話をしたいと思います。元々、水車のあった個人の館を国の財務長官が買い上げ、新しく建てた城を主君のフランソワ一世に献上したのが始まりです。フランソワの死後、後を継いだ息子のアンリ二世が姉やで愛妾のディアーヌ・ド・ポアティエにこの城をプレゼントします。ところがまずいことにアンリにはイタリアのメディチ家からめとったカトリーヌ・ド・メディシスという妃がいて、アンリが死ぬと別の城と引き換えにディアーヌを城から追い出してしまいます。

城のすぐ脇を流れるロワール川の景色を愛したディアーヌは、これをまたぐ形でアーチ型の橋を掛けさせます。一方カトリーヌと言えば、城から追い出したディアーヌへの当てつけのようにこの上にルネサンス様式の回廊(ギャラリー la Galerie)を作らせる執念深さ。他にもディアーヌが手入れをさせた「ディアーヌの庭」に対抗して「カトリーヌの庭」を作らせるなど、夫を奪われた彼女の恨みと嫉妬が結果としてこの城をより豪華で多様な建築へグレードアップさせることになります。怖いな。

私が女の情念渦巻くこの名城を訪れたのは今から二十年以上も前。もちろん当時はそんなドロドロした歴史を知る由もありませんでしたが、城の美しさに見とれながら「こんな美しい城をどうして外国の庶民である自分が歩けるようになったんだ?」とふと疑問に思いました。そしてすぐ導いた結論が、これこそがあの1789年の大革命の成果であったということ。考えようによっては国民挙げての大規模な略奪行為であったと言えるかも知れませんが、もしあの時にフランス国民が頑張ってくれなければ、今頃民主政治( la démocratie ) はもちろん、元々王家の所蔵品だった『モナリザ』( la Joconde )を見ることも、美味しいフランス料理( la cuisine française )に舌鼓を打つことも出来なかったでしょう。その意味では、宮廷と貴族が独り占めしていた文化が大革命によって国民に解放されたからこそ、今の文化大国フランスが存在するのだと思います。


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