占領下の抵抗(注 ⅶ)

この発言について、

志賀の帝国主義・植民地主義意識を露呈してしまった。

『志賀直哉の「国語問題」の政治学』[58]

ものと加藤三重子は述べています。(『志賀直哉の「国語問題」の政治学』 [58])
加藤三重子も取り上げているこの前段で志賀は

国語の切換について、技術的な面のことは私にはよく分からないが、それほどの困難はないと思つている。教員の養成が出来た時には小学生から、それに切換ればいいと思う。

『国語問題』[1]

とぶっきらぼうに述べているので、そう取られても仕方はありません。しかしこれも志賀のアイロニーなのであって、むしろ「台湾や朝鮮で、日本も日本語を公用語として強制したではないか、今更なにを驚くのだ」という事を含意しているのだと、私は思います。技術的なことは分からないのに、困難はないと思うなどと云うのも、反語的表現であると私には取れます。しかし後述したように、外国語の強制に対する無理解が志賀にあることも確かです。



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