占領下の抵抗(注 ⅹ )

こうした文脈での「日本人の血を信頼し」という言葉は、仮に日本語が完全に滅んでも、それでも日本人の血があれば、というふうにも読め、一種の恐ろしさも感じます。

しかし対談では

「『言葉は日本語の言葉を、名詞でも何でも使つていいが、文章の構成だけでもフランス語にする』といふことはどうかね」

『内村鑑三その他』[2]

と言っていて、より積極的な混淆こんこう言語を想定しているようにも読め、
志賀がどのようなものを想定していたのか、はっきりしません。

名詞などはそのままでいいから日本語の仕組みを思ひ切って合理的に変える必要がある

『内村鑑三その他』[2]

というような発言は、フランス語の構造が日本語よりも合理的であると理解していたようにも取れます。志賀自身の考えにも混乱したところがあり、そこにはフランス語の構造が日本語よりも合理的であるというような、西欧中心主義的な考えも若干混じり合っていたのかもしれません。

しかしこの対談では

「皆に対手にされないことを承知で、云つてゐるのです。」

『内村鑑三その他』[2]

と言っていて、『国語問題』がまともに相手にされないことに苛立った放言という側面もあるように思います。


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