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2023年9月 どこかにビューン旅2(浦佐編)

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 さて、雨も弱くなったところで蕎麦屋を出る。その後も魚沼の里内を歩き回り、雪あかり(豚肉)のウインナーなんかも食べ(こうやって食べ歩きするときは、蕎麦ってお腹も膨れないし嬉しい)、順序が逆だろと思いつつも、最後にこの地域の鎮守様、石動(いそろぎ)神社にご挨拶をして、魚沼の里をあとにする。資料館やら、けっこう長居をいたしました。

 で、今度は南へ。里山を駆け巡り、本当にここなのかという細道を抜けていくと、鬱蒼とした木立の中に鳥居が。藤原神社。石灯籠や狛犬が苔むしていて、かなり厳かな印象の神社です。本当はここに来た目的はすぐ脇で音を立てている湧き水で、神社があることは現地で知ったのだけれど、とっても好みな感じの雰囲気で。というわけで、雷電様の水を空いたペットボトルに汲む。八海山の仕込み水としても使われているようで。車体側面に「水質調査~」といった感じの行政的な文言がプリントされた車の方が来ていて話を伺えば、ここら一帯の水道水がこの雷電様の水なので、この湧き水の水質を調査しているとのこと。なるほど。味の違いは分からないけれど、とても冷えていてそれだけで美味しい水でした。
 車道へと戻り少し行くと、また鳥居が。扁額には「八海山神社」。が、その向こうは民家。何だこれ。特に塀もないので、外から民家の敷地内をじろじろと見まわしても、屋敷神があるわけでもなし。鳥居の大きさは一般的な神社と同じものだから(つまり大きい)、過去にこの地に社殿があったということだろうか。ただ、鳥居の先、その直線上にある家屋は、どことなく造りが神社っぽいような……。屋根の繋ぎ目の側面には、意匠が施されているし……。庭にでも住民の方がいれば別だけれど、さすがに個人宅に突撃するのは気が引けるので、そのままこの「八海山神社」をあとにします。ほんと、何だったのだろう。

 さぁさぁ農村地帯を抜け、山のほうへと車輪を転がしていきます。目指すはきれいに整備された山の斜面、その向こう。さすがに電動バイクでもギアを軽くして、ケイデンス(回転数)を上げていきます。これ、電動じゃなかったら相当キツいだろうなぁ。工事車両が列をなしてずんずんと上っていくので路肩に寄って先を譲り、やがて見えてくるあっちとこっちの山の中腹を結ぶアーチ型の平坦な道路。ダムです。三国川ダム。ちょうど雲の裂け目から南魚沼に陽が降り注いでおりました。とりあえずアーチ状の道路を行き、向こうに見えるトンネルまで行ってみようかと。左手には湖面、右手には南魚沼の農村地帯。見晴らし良好。途中、SNSを意識してか「三国川ダム」と書かれた撮影用の額が用意されてあったけれど、その足下が折れたのか、石の台やらパイプやらで継ぎ足しされておりました。それでもやや斜めに傾いている撮影スポット。ダムの管理所の前に球体を集合させたかのようなモニュメントの噴水や、今歩く道路にも女性の像が立っていて、アートって何だろうてなことを考える。きっと、当時はそういった雰囲気だったのだろうな。
 さて、向こう側の山へとダム道路を伝ってやってくれば、中ではダムの雑草を刈っていただろう方々が休憩中。こんにちはとご挨拶をして、奥へと行けば、さらにトンネル。丁度丁の字の形で車道と交わっていた。ダムの左右に車道が通っているようで(自分は左の道を上ってきた)。そんなこんなで道を引き返し、ダムの管理所へ。「監査廊見学」なんて言葉につられて資料館なる部屋に足を運べば、今日は見学はお休みとのこと。監査廊って、ダムのメンテナンス用の内部の通路のことだよな。これにはとってもそそられたが、休みってんなら仕方ない。ダムカードもお一人様一枚、転売禁止とカウンターの上に置かれていたので、一応いただきました。壁には赤字で「このダムは三国川(さぐりがわ)ダムと言います。」とルビが振られている。あぁ、ごめんなさい。三国峠に引っ張られていました。その後も壁に飾られた資料を読み進めていく。昭和44年に発生した集中豪雨、それによって生じた洪水を契機にその構想が起きた三国川ダム。雨量の多いときには貯水を、雨量の少ないときには貯めていた水で水不足を解消する、といったことが書かれていて、雨が一気に流れ込まないようにするという役割は知っていたけれど、考えてみりゃ水不足のときも役に立つのか、と頷く。というかまぁ、平日ということもあって自分しかいませんでしたね。さて、管理所をあとにすると雨がぽつぱら。確かにダムの上から眺めれば、南魚沼の上に濃い影が。雨雲レーダーを開けば、黄緑色で表記された強い雨。その進行方向はこちら。あ、これから大雨降るぞ。とりあえず展望台の軒下で雨雲の動きをチェックしていたけれど、雨の強くなる感じは今のところない。うん、じゃあ、まぁ、行けるとこまで行ってみようか。途中で大雨に降られたら、どこかの軒先をお借りしよう。田んぼばかりの中に、丁度良くそういった建物があるかは怪しいけれど。
 というわけで、山を下る。路面が濡れているので、あまりスピードが出すぎないようブレーキを利かせつつ来た道を戻っていく。相変わらず小雨程度。このままならば、と車輪を転がせば、見えてきた目的地の看板。温泉の文字。もし雨に濡れたとしても、これが今日最後の移動なのだから、まぁ何とかなるでしょう。という思いも杞憂のまま、たどり着いたは五十沢(いかざわ)温泉。軒下に自転車を停め、本日のチェックイン。さして濡れることなく本日の寝城に到着しました。
 一通り説明を受け、部屋へ。ちょっとごろ寝をしてから、風呂へ。ここのウリは巨大な露天風呂で、今の時間帯は男性専用らしいけれど、夜遅くや朝は混浴露天風呂になるとのこと。まぁ、気を遣いたくないから、今のうちに入っとこう。と、シャワーを被れば、明らかな硫黄の匂い。もうこれだけで自分にとってはいいお湯です。湯船も広く、露天は雨が降っているのでちょっと落ち着かないが、じっくりと今日の疲れを癒やします。電動とはいえ40km近く走っているはずなので、良い心地であります。

 さて夕飯。今回は珍しく定食スタイルの安めのプランで申し込みました。その代わり、道中酒とつまみをこさえておいたので、このあとが楽しみでもあります。揚げ出し豆腐やら、イカフライ、固形燃料でお馴染みの陶板鍋のほかにまあるいごつごつとした茶色い料理が二つ。なんだこれ、と伺えば「南蛮の肉詰め」とのこと。南蛮。外国のことではなく、唐辛子のことを指していて(南蛮由来の野菜だからそう呼ばれた?)、神楽のお面のようにごつごつとしたピーマンのような見た目だから神楽南蛮と呼ばれているとか。南魚沼の夏野菜のようで。目の前にあるそれもデミグラスっぽいソースがかけられたピーマンの肉詰めのようカライゾコレハ。中はぎっしりと肉が詰められていて美味いのだけれど、いや、でも辛い。その後も舌に辛みが残っていて水をがぶがぶ。辛さが前面に出ていて、どうにも他の料理の味へと浸食してくる。いやでも食べられない辛さじゃないし、それなら食べ残すことはしたくないし、というわけでお櫃のお米を空にしながら、神楽南蛮の肉詰め二つを食べ進めていくが、妙にお腹が膨れてきて苦しい。どうにか神楽南蛮をクリアはしたが、陶板鍋とお椀に移したお米が少しだけ残っている。しかしもう腹一杯で気持ち悪くなってきた。陶板鍋はあと二口。ご飯も同様。けれどこれ以上は。食い過ぎで吐き気すら催してきたので、給仕の方にごめんなさいと頭を下げて、退席。部屋で苦しさに悶えておりました。しばらく布団の上に寝っ転がってたらだいぶ回復はしたけれど、これはもう晩酌などしていられるような状況ではない、ということで買ってきた日本酒とおつまみは後日へ。
 夜、様子を見て風呂でも行こうかなと思ってもいたが、そんな余裕すらなく歯を磨いて眠りにつきました。おやすみなさい神楽南蛮。

2日目

 6時頃目覚める。早朝なら混浴風呂でも女性はいないだろうなと風呂へ向かう。せっかくだから旅館の中を探検するつもりで別ルートで風呂へ向かえば、内風呂ののれん。あぁ、そういや、露天ばかりに頭が行きがちだったが、内風呂もあるんだった(内風呂は男女別)。どんなもんだろうと中を覗けば無人だし、広々。窓も大きいので開放感もある。あぁ、ここで充分だ。混浴だと湯船に浸かってても、誰か入ってこないかと気が落ち着かないだろうから、こっちのほうがいいやと内風呂に予定変更。朝から一人でいいお湯をいただいておりました。
 で、朝食。若干、昨日の食べ残しを引きずっていて、今度は食べきれるだろうかと恐怖じみた感情を腹ん中に覚えつつも席に着けば、シンプルな朝定食。さっぱりと完食いたしました(新米はもう出回っているんですか? と伺えば、うちにはまだ入ってきていないとのことお答えでしたが、まぁ美味しかったです。とはいえ新米との違いが舌でわかるのかと言われれば、だけれど)。
 さて、外は雨。少しすれば雨雲が過ぎそうなので、部屋でごろごろしつつ、雨が上がるのを。良い頃合いになったところでチェックアウト。で、ちょっとスルーしていたけれど、この温泉旅館の玄関にはなぜかパンダの剥製(?)があって、平成元年にテレビ出演まで果たしたそうだが、いやまったくもって謎である。ここ上野じゃなく新潟だし。なんかこっち睨んでシャー!という感じだし。というわけで宿を出る前にフロントのお姉さんに聞いてみる。なるほど・ザ・ワールドに出たとのこと。ふむふむ。この剥製って本物……じゃないですよねえ。まぁ、本物だったら国際問題になりそうな気がしますね。という感じの会話で、あれ、もしや、お姉さんもご存じのない様子。しまいには「創業者も何でここにあるのか分からないみたいなんですよね」なんて発言も飛び出て大いに笑う。なんだそら。(家に帰ってから調べてみたら、どうやらパンダの剥製というのは昔は数は少なくても出回っていたようで、ン千万円で過去には売られていたのだとか。ということはこの旅館にあったのも、本物なのかもしれない。どうしてこの旅館なのか。テレビでどんな取り上げられ方をしたのかまでは謎なままだけれど)

 2日目出発。今日は六日町方面に戻るが、行きと同じ道を戻ったってつまらないので、今度は南側のトンネルをぶち抜いていくことに。雨に打たれず行けるかな。とヘルメットを被り、宿を発つ。
続→

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