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2024年9月 燕三条旅6

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 点けたばかりでまだ冷房が効いていないけれど、それでもよければ、とのことで二階の部屋にご案内いただく。「昔は飛び込みのお客さんはいたけれど、今はいなくて」と聞き、そりゃそうだろうなと思う。酔狂な旅をしていてごめんなさい。部屋は松。上等である。6畳、窓あり。古いことはもちろん古いが、掃除は行われているようで鼻がむずむずすることもなく。トイレは階下で、お風呂もある。こういう旅館、ほんと久しぶりです。それでは、と部屋に一人になり、とりあえず冷房を最強にする。懐かしのNational製でした。掛け軸は鮎、かな。タオルは一応持参してるが、寝間着はまぁなくても何とかなるか。ちょっと部屋でのんびりしてから、夜の三条へ繰り出しましょう。と、部屋を出たタイミングで浴衣とタオル類が運ばれてきて、アメニティついてるんだとびっくり。そのまま「他のドアは開けないので、館内を見て回ってもいいですか」と許可をいただき、旅館内探訪。ただ玄関で旅館の電話番号を調べるとき、一瞬館内の画像が表示されてしまい、この奥にあるだろうものを知っておりました。「そこに土蔵があるから」と案内され向かえば、本当に旅館内に土蔵があったよ(トップの写真です)。中は完全に倉庫然としていたが、土蔵のある旅館とか初めてです。館内の窓ガラスも縦に細かくきれいな歪みの入っているもので「これ、年代ものじゃないですか」と聞けば、別にそうでもないと苦笑されていました。その他にも中庭の池を眺める読書椅子だったり、二階の部屋の下部に小さな窓がついていて階下を見下ろせて、これはどういう用途の窓だろうと思ったり、興味深い旅館建築でした。お風呂も三人は入れそうな広々とした湯船でバスタオルと浴衣ももらえたので、あぁじゃあ一っ風呂浴びてから町に出ようかと思い直し、ざぶんとす。全体的に清潔にされていて、猛暑のなか歩き疲れたこともあってとっても気持ちの良いお風呂でした。湯船への蛇口が、ライオンの頭であることも大変興味深かった、笑 というか初日の宿が『だいろく』で今日が『會六(あいろく)』っていうね。
 さて17時半頃。さっぱりとして、三条の町へ。宿探しの最中も色々気になった場所がありました。まず北海道の百貨店として高名な丸井今井の創業者の住宅が文化財と残っております。案内板を読み込めば、三条の地にも丸井今井が建っていたというのには驚いた。その隣には三条小路マップなるものが設置されていて、三条には多分100近くの昔からの小路があるようで。町の至るところにその由緒を記した道標もありました。戦火を免れたということもあって、昔の町並みが浮かんでくるようで。ただ路地好きな自分としては、直線の小路ばかりで先が簡単に見通せてしまうので、少し好みの雰囲気とは違いました。木曽福島や(旅したことないけど)飛騨金山なんかの入り組んでいて先の見通せない路地なんかが好きなのです。まぁいいや。先へと進めばリオンドールなる新しい感じのスーパーが。入店したのは毎度お馴染みの納豆牛乳チェックの他にも、明日の朝食候補探しも。そうして宿探しの最中にも前を通ったが、古びた町並みに似つかわしくない『本と喫茶、バー』なる看板が。中は現代的に洒落た書店で奥には座席も見えるけれど、これは喫茶を利用せずに見るだけでも大丈夫だろうかと足を踏み入れます。レジにいた女性にそれを聞けばOKとのことなので、久しぶりに書店の書棚とにらめっこ。お店の左半分は古本で、もう半分は新刊を置いていますとご説明。はえー、柳田国男直筆の遠野物語とか出版されてんだと、最近の出版事情を知る。その他、歌集なんかもぱららと眺めていく。「自分、申し訳ないことに読書は好きなんですけれど、ここ数年はKindleで漱石ばかりを読み返しているという、出版社にも本屋さんにもまったく嬉しくない読書好きなんです」と自己紹介。ほんと、嫌な客だな。ただ、旅の縁だし何か良さげな本があったらと視線を移していけば、若い歌人の紹介を受ける。先ほどの店員さんのいわゆる推しのようで。四国のお遍路を旅して、その土地土地で歌を詠んでいく企画をやられていたとのこと。その歌集を手に取り、いくつか読んでいくが……少し自分には明るすぎるかなぁ、というのが感想。それを伝えれば、バーのマスターと話が合うかもしれませんね、と返される。あぁそっか、ここでお酒を飲むという手もあるのか。ただご飯系は置いていないとのことなので、まぁ二軒目の余裕があったら寄りましょうかと、書店をあとにする。うむ、読書について色々話せて楽しかった。ありがとうございました。
 さらに三条の通りを先に行けば、絵本屋さん。何かのイベントで結構賑わってらっしゃった。こちらも新しい感じの店構えで、駅前の大型図書館『まちやま』しかり、三条は本を中心として盛り上がりつつある気運を感じるような。で、宿探しの途中に目をつけていた地元のパン屋さんへ。18時半までとのことなのでセーフ。ここで明日の朝食を仕入れておきましょう。というわけでパンを三つ購入。明日の楽しみができました。そうしてさぁ飲もう、と、鍛冶道場で説明のあった東京の人間を接待してきたという歴史のある門前町の通りへ。奥に大きな寺が見えるから、この通りで間違いないでしょう。で、昼飯を食べるとこがあまり見当たらなかったことから、言うても数軒くらいなもんでしょと歩いて行けば、軒を連ねているなんてもんじゃない、ひしめき合ってるといった様相で。まるで三条銀座といった感じ。寺正面の通りだけじゃなく、その脇道にもまぁお店が沢山。昼飯探しにちょっと苦労してたのに、凄いなこれは。夜は逆に選択肢が多すぎます。ただ、鍛冶道場でオススメされていたお店があるので今夜は迷いません。とはいえこの看板群から鍛冶道場でオススメされたお店を探すのは骨が折れるな。きくや、という三文字の響きしかしらない。表記は菊屋か? 喜久屋という可能性だってある……っと、この近辺のお店をまとめた地図が壁に掛かっていました。ゴシック体の店名を四角で囲った、古い繁華街に良くあるような、ちょっと見づらい感じの地図。えぇっと……と一店一店目で追えば──平仮名三文字、きくや、ありました。すぐそこの角を曲がった先にある。よしっ、と進めば飲食店の合間に古びた家屋が建っていて。足下は整備されているものの相変わらず赤茶けているし、北三条、好みの町です。
 で、きくやさん。どうしてかお店に二つの入り口がある。右手が『日本料理きくや』、左手が『割烹きくや』これはどういうことだ。どっちも玄関には明かりが灯っているが、暖簾が出ているのは割烹きくや。店内、おそらく階上からは複数の笑い声。メニューは外に出ていない。割烹、という言葉から連想する高級感。でも旅人に対して、そんなべらぼうな店をオススメするかね。しないだろう。そもそも高級店という口ぶりではなかった。大丈夫だろう、とえいままよ。「ごめんなさい。入り口は二つあるけど、こっちで……?」とまずはそこから。問題なかったようで。一人ですと告げ、カウンターへと通されます。先ほど笑い声が響いてはいたけれど、店内は自分のみ。読めてきたぞ。とりあえず地酒を……わぁ、一万超えの酒がある。が、庶民的な価格のも並んでました。ちょっと銘柄を睨み、〆張の特別醸造を冷で注文(あとで知ったことだけれど、こちらの割烹では三条の『福顔』を頼めば良かったなぁと)。それから考えるのがちょっと面倒だったので、おすすめ3品。それを味わったあと、気になる一品があったら追加注文しましょう。まずは〆張。お銚子に、おっと、銅器のお猪口だ。さすがは三条といった酒器で。初めの一杯を多分女将さんが注いでくれたのも嬉しかった。一緒に「水」を頼めば「はい、和らぎ」と言い換えて差し出されたのも分かっているなぁ、と(深酔いを避けるための水を、和らぎ水と呼びます)。厨房を見やれば奥と続く廊下もある。そこから女中さんが料理を運んで行ってる。ということは外では二つの入り口に分かれていたけれど中では繋がっていて、『日本料理』が団体向けで、『割烹』が個人向けという感じなんだろうと推察。まぁ一人で静かに呑めるのは嬉しいだあね。カウンター上には実際のお米をケース内に入れて精米歩合の目安が展示されてる。酒蔵ではよく見かけるけれど、飲み屋で見たのは初めてで。そうして刺身の盛り合わせ。アジフライ、鮎の塩焼き。魚尽くしを美味しくいただきます。それからお品書きで気になっていた揚げ出し豆腐を追加で。秋田で食べたのが美味しかったのです。そのときの感動は越えなかったけど、どれもこれも良いお味です。何気なく多分大将とテレビを見ていたら、新潟県内のスーパーでも米不足が報道されていて空の棚が映ってました。「米処の新潟でも米不足とは思ってもみなかったですね」と自分が感想を漏らせば、「こういうのは無いところを映しているだけじゃないかな」と、どっちがネット世代なのかわからない感じで。そしてここでようやく、旅の最中ずっと気になっていた疑問を地元の方へ伝えてみます。「このあたりを旅してて不思議に思ったんですけれど、どうして地面のアスファルトが赤茶けて錆びている感じなんですか?」さすが長らくだろう地元の方。すぐに答えてくださいました(以下、酒を飲みながらの記憶なので、誤りがあるかもしれません)。
「あれは地下水の影響です。冬場はパイプから地下水を道路に撒いて雪を溶かすのだけれど、ここは条例で河川の水は使えず、地下水を汲み上げています。そしてここの地下水には鉄分が含まれているので、路面も錆びたような色味になってるんです」
 地下水。条例。腑に落ちた。だから燕市、三条市とは違って弥彦のほうでは同じ色味が地面に見られなかったのか。おもしろ。(が、今ちょっと消雪パイプについて調べてみたら、少し違う説もあるようで。消雪パイプの発祥はお近くの長岡市。最初は鋼製のパイプを採用していたが赤錆や腐食が多発したことから、次第に他の素材のパイプに切り替えるようになったとか。つまり地下水じゃなくパイプの材質が原因だという説も)
「昼に寄った鍛冶道場で事務の男性にこちらのことをオススメされて伺いました」なんていうことも打ち明ける。板さんたちが「誰だ。20年前に大学生? あぁ、○○だ。どうもありがとう」てな具合で。酒一合でほど良い酔い宵。加えて壁には地域の広報誌が貼られていて、お隣燕市のイベント、酒呑童子行列について書かれています。なぜ京都の鬼の祭りがと不思議だったけど、それによると酒呑童子の出生地は燕市であるとか。ここでもまた一つの疑問が解けました。そうして席を立ち、ごちそうさまでした。夜の三条をえぇ心地で。時刻はまだ七時半。休むにゃ早いてもんです。
続→

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