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2023年3月 熊野旅3

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 歩き疲れたので、昨日同様宿でのんびりと。夕飯は昨日と同じ内容では味気ないので、くまの味弁当なるものにグレードアップをお願いしておいた。こちらは、熊野名物の「めはり寿司」が二つ入っており、ご飯が高菜で包まれていて、どんなお味なのかわからずにかぶりつけば、寿司というよりも醤油味のおにぎりといった感じで。なかなか美味かった。というか魚も入ってるわけでもないのに寿司とは一体。そのほかさんま寿司や、多分鮎の塩焼き等々、なかなか腹の膨れる夕飯でした。ごちそうさまでした。

 夜。本宮や大斎原の鳥居はどんな感じになっているのだろう、境内には入れるのだろうか、なんてことを思い散歩に出かける。宿の方が強力な懐中電灯を貸して下さり、その際に本宮の中に入れるのかどうか聞いても良かったのだけれど、まぁ何となく自分の目で知りたくなり、少し冷え込む中、出向くことに。山の中だから星も比較的きれいに見えて、以前の木曽旅で教わった星座を探すも、これまで通りオリオンしかわからず、まぁ、自分なんてそんなものかなと。宿から通りまでは少し不安を覚える暗さだったけれど、通りは暖色の外灯が等間隔に並んでいて、その間をバスがさぁっと。日中は混雑していたのに、夜は一人だけしか乗せていませんでした。と、夜の熊野本宮大社前に到着。うっすらと明かりは灯っているけれど、鳥居というか、境内の手前にコーンやらが置かれていて入れない状況。鳥居の向こうの参道、一人で歩いてみたかったが、まぁしょうがないと踵を返し、大斎原へ。懐中電灯をオン。だだっ広い田んぼの中に立つ大鳥居。通り側の店舗からの明かりはあるけれど、基本暗いです。この黒の向こうから人が出てきたら、そりゃ怖いよなぁと思いつつ、懐中電灯を振るうも人っ子なし。田んぼの四辻に佇み、うっすらと浮かぶ大鳥居を見上げ、星空を見上げ。静かな時間を過ごしました。

3日目

 バスの時間が早いので、起きたら出発の準備を終え、そうして朝食。ハッシュドポテト等、昨日とは異なる献立で嬉しいが、少しトーストを焦がしてしまった。そうしてお世話になりましたとチェックアウト。書きそびれていたけれど、壁が薄いのか隣室の声が割と響いてきて、そこだけがゲストハウスっぽい感じだった。が、基本的には新しく清潔で、他の旅行者と顔を合わせる機会もないので、ゲストハウスという名前ながらも、部屋にトイレもバスもついてるし、朝食に地の食材を使用したりとこだわりを感じて、なかなか快適な宿でした。というか、一番の利点は熊野本宮に近いということ。自分が調べたときは数軒しか宿がなかったので(どれもゲストハウス)、貴重な立地条件でした。というわけでオーナーさんに、貴重ですねとお伝えすれば、コロナ前はもっとあったのだけれど、ほとんどが宿を畳んだとのことで。何とか持ちこたえて、ようやく回復の兆しが見えてきたとのことでした。二日間、お世話になりました。

 さて、バス。8時過ぎのバスに乗り込み、新宮駅へと向かいます。そしたら道中で次々と旅行客が乗り込み、乗降に時間がかかっているためか「現在15分遅れで運行しています」とアナウンスが。新宮駅着いたら2分後の電車に飛び乗る予定だったが……一本逃したら2時間近く待つことになるが……。で、当然間に合いませんでした。んじゃあ、まぁ、予定変更。今日の目的地までバスで行くこともできるが、時間もかかるし、運賃も電車に比べれば割高。ならば電車一本分の時間を利用して、他の熊野古道を歩いてみようと観光案内所で地図をもらい、てくてく。駅前には徐福公園なるものもあり、ここ熊野には秦の時代、始皇帝の命を受けて不老不死の霊薬を求めて大陸から訪れた徐福(人の名)の伝説も残っていて、公園があるというだけでなく駅前一角の住所は「新宮市徐福」だったりする。が、まぁあまり時間もないので、すたこらと海沿いに行き、海岸線を南へと下る。そうしてその先は以下の通りです。

 高野坂(こうやざか)。これも熊野古道中辺路の一つのルートです(昔は本宮大社を参拝し、熊野川を舟で下って、今の新宮市にある速玉大社を詣でて、そこから南に歩を進めて、この高野坂を通り、熊野三山を巡った旅人が多かったのだとか)。で、新宮の一つ先の三輪崎駅に電車10分前に到着。電車一本分遅れた時間を利用して、熊野古道の一つを歩くことができました(昨夜、宿で熊野古道の地図を見ていて、高野坂が少し気になっていたのでした)。そうして電車に乗り込めば、昨日の日仏のご夫婦を発見し、声をかけて隣に腰掛ける。自分と同様に那智駅で降りるようで。那智。本宮大社、速玉大社、那智大社が那智三山と呼ばれており、まぁ、熊野を旅する方は大体ここを巡ります。で、大体の方は那智山手前までバスで行くのだけれど、自分は腹が減っていたので、那智駅前でご夫婦と「see you!」と英語でお別れし、ぱぱっと食える町中華でもないだろか、と駅前を見回せば、店の気配があまりせず。検索してみても2件のヒットで、喫茶店での軽食かビストロ。軒先まで行ってみて、雰囲気も悪くないのでビストロでパスタを食らうことにする。というか那智って結構有名な地名だから飲食店多いかと思ったが、そうでもないのね。駅からみんな直で那智山まで行っちゃうんだろうか。で、注文したブロッコリーとベーコンのオイルパスタは結構美味かった。というか満席に近かったから人気店なのかな。

 さて、歩きましょう。先ほども書いたとおりバスで直接那智山へと向かう方が多いけれど、やはり自分は昔の道をなぞりたい。電車が一本遅れようが、その予定は変えません。というわけで、以下の通りです。

 今までの発心門王子~本宮の道のりや、大日越、高野坂は他の観光客もいたけれど、この駅から大門坂までの道行きは、地元の方以外の姿を見かけることはありませんでした。というか、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」には那智駅前の補陀洛山寺(ふだらくさんじ)も那智大社と関係が深いために登録されているので、もうちっとお寺のほうにも人が回ってきてもいいんじゃないかなぁ、とは思いました。
 そうして多くの方がバスで行く大門坂からは、ご覧の通りです。
 と、これまた動画を掲載しようかと思っていたのだけれど、大門坂はともかくその先の那智大社、青岸渡寺(せいがんとじ)、そして那智の滝は人が多く、映り込みを避けるためのアングルやぼかしを多用した結果、ちょいと鑑賞に堪えない内容となってしまったので、公開は差し控ることにいたしました。というわけで道中の概略。
 大門坂は苔むした石段が延々と続く那智大社への参道となっていて、ぜえはあ言いながら上っておりました。その先の那智大社も階段が多く、ほとんどの参拝者が肩で息をしておりました。そして隣接している青岸渡寺。ここも世界遺産に登録された寺院で、元々は那智大社とセットで信仰されていたのだけれど、明治の廃仏毀釈で神仏は分けられ、仏像等は麓の補陀洛山寺に移された、という経緯があるお寺(だからこの二つのお寺も世界遺産に登録されているのかと)。個人的には朱塗りの那智大社よりも青岸渡寺の建築のほうが、古風で侘びていて好みでした。
 そうして社寺から階段を下り下り、たどり着いた那智の滝。展望が開けた途端、大瀑布が屹立しているのだから、なかなか圧倒されました(袋田、華厳、那智で三大名瀑達巡り達成しました)。もう少し近くで見られる展望台みたいなところにも拝観料を払って行けるようだったけれど、何だか下の鳥居のところ(トップの写真のとこ)で充分なような気がしたので、そのまま最後に一礼をして、那智大滝をあとにしました。
 そうして階段をのぼってくれば、バス停のところに日仏ご夫婦。またもや会いました。本当は那智山でお滝もちやら、黒飴でも買いたかったのだけれど、そうしたらバスを一本遅らせる必要がある。が、そうするとかなり予定が押せ押せになってしまうので、このままご夫婦とともにバスに乗り込むことに。
(余談だけれど、那智と言えば那智黒と呼ばれる黒飴ですね。Oh! Kuroame! Nachiguro!と、黒人の兄さんが日本のおばあちゃんとゴーゴーを踊るCMが昔やっていて、自分はその世代じゃないけれど、那智山では頭の中でこのCMをちょくちょく流していました)

 今まで歩いてきた距離をバスで味気なく引き返しては、二つ隣の紀伊勝浦駅に。16時過ぎ。ここがこの旅最後の町です。
(勝浦といえば、東京に住んでる身としちゃ千葉県の勝浦が思い浮かぶのだけれど、今調べてみたら、和歌山と千葉共通の地名は「勝浦」だけでなく、「白浜」もあり、紀伊半島の漁師が黒潮に乗って房総半島に行き、故郷の景色に似た町に「勝浦」や「白浜」といった名前をつけた、という説があるようで。そのほかにもどちらも醤油の産地で、ヤマサ醤油は紀州から移り住んだ人が始めたという歴史があるようだし、他にも紀伊半島の人々が移住してきたという話があるとのことで。で、この話、先の熊野神社が千葉に多いという話に繋がるよねぇ)
 さて時間にそれほど余裕はありません。とりあえず、風呂か飯か。すでに腹も減っているし、海鮮丼でも食べてから最後に温泉入ってさっぱりとするか、と町中を歩きつつも、まずはチェックしておいた柑橘類の商店へ。こちらは柑橘類だけでなく、紀州と言えばの梅も売っており、無類の梅干し好きなので、是が非でも買って帰りたい。というか品種はわからないけれど、手作りという田舎漬けがかなり安い。ので1パックと、塩分補給するためにしわしわの干し梅を地域クーポンで求める(今思ったが、干し梅って梅干しを逆にしただけのネーミングなのに、明らかに商品の内容が違うな)。汗もかいたし早速干し梅を一つつまめば、あぁ、こりゃ美味だ。さすがは梅の紀州。もう一個食べよう。てな感じで、同じ店でもらった「まぐろマップ」なるものを手に、口をすぼめつつ歩いて行く。海鮮丼でも食べられればいいかと思っていたが、気分はもうまぐろ一色。が、まぁまだ夕方前だし、どこもやってないっていうね。こうなりゃ先に温泉で汗を流して、それからまぐろと洒落込むか。しかし、腹がどうにも空いちまって……と和菓子屋の前を通りかかる。空きっ腹も埋められるし、温泉前は甘い物で血糖値を上げると失神や立ちくらみ予防になるとのことなので(だから温泉旅館にはお茶菓子が置かれている)、どら焼き一つを購入。今まで食べたどら焼きの中ではかなり美味いほうだったが、青梅の紅梅園超えはならず(また食べたいな)。というわけで、予め決めておいたホテルの温泉に向かえば、波止場から送迎船が出ているとのこと。日帰りでも乗れるようだったけれど、次の便が戻ってきたらということなので、そこまで遠くないし時間かけたくないし、じゃあ直接足で行っちまおうと、歩を先に進める。が、どうしてだろう、ホテルへのアプローチが見えてこない。半島の中にあるようだけれど、対岸から見れば途中が小高い山みたいになっていて……これ、もしかして陸路で入れないホテルですか。船だけですか。てなわけで引き返してやはり船に乗ろうとするものの、ちょうど大勢の観光客が押し寄せていて、船の往復って時間かかるし人多すぎるし、これはよしとこうと他の日帰り温泉を探すことに。が、一つ一つ検索するのも手間だなぁと顔を上げれば、観光用の案内地図が波止場にどんと立てられている。ありがたいことに日帰り温泉の位置も示されていて──真後ろですね。真後ろの旅館で日帰り温泉やってました。というわけで時間も惜しいしそのままフロントへ。予定していたホテルより安いし、混雑してないし、フロントの方も感じいいし、少し硫黄の匂いもして、ええ心地。良いお湯に巡り会えました。

 そうしてひとっ風呂浴びて、汗を流してさっぱりと着替えたところで、湯上がり処で冷水飲みつつ、まぐろマップをながめる。地域クーポンがかなり余っているので、それを使える店でなければ、とスマホを片手に検索検索。というわけで、近くのまぐろ専門店へ赴く。ここがもう、めちゃくちゃ当たりだった。まぐろとねぎとろの二色丼に、時間がなく那智を堪能できなかった腹いせに、地酒「那智の滝」を注文。美味すぎたわ。ぽかぽかした体にお酒も回って酔い心地。というか早々に売り切れたようで、7時前にはご新規さんを断っていた。この店にありつけて良かったぁ。
 そうして地域クーポンで決済をし、まだ誰もいないバスターミナルの洗面所で歯を磨く。そうです。この旅は、これにて仕舞いです。ぬるい海風が抜けていき、やはり良い心地。まだ時間があるので、シャッターの下りたアーケード商店街や、誰もいない足湯なんかを見て回る。正直、夜に帰路に着くのは少し不安があった。暗い中帰るのは、何だか寂しい感じがしていた。けれど、どうしてか今回はそんなことなく、風が柔らかくて。お酒が入っているからだろうか、あたたかだからだろうか。そんなことで、と少し笑ってしまう。
 そうしてターミナルに戻り、帰りのバスに乗り込む。ここから紀伊半島を北上していき、あとは一気に東京は池袋まで。行きの反省から、荷物はトランクに預けて、必要なものは事前に取り出しておいた。防寒対策もばっちり。席もそうとは知らなかったけれど、広い方の座席を選んでいた。さぁ、帰ろう。

 そして、やはり眠れん。が、いくらかうとうとはできているので、行きよりも苦行感はなく。行きと同様に、三重県の安濃SAに寄り、静岡は足柄SAへ。別に何も買わなかったけれど、旅行感のある売り場をながめているだけで楽しいのです。というか、東京に着けば即自宅直行なので、帰ってから寝ればいいのです。
 そんなわけで、見慣れた明治通りをカーテンの向こうにのぞき、池袋駅に到着。ただいま。

 熊野。東京からはアクセスがあまり良くないので、今まで行く機会がなかったけれど、歩くのが大好きな自分にはとても合っている土地でした。何だか他の熊野古道も歩きたくなっちまいました。きっとまた行くでしょう。というか、場所が割合近いこともあって、伊勢と熊野は昔からセットで語られることが多く、片方だけ参拝することが「片参り」と呼ばれ、あまり感心されなかったとか。自分は神社が好きな割には、その頂点というか根っことも言える伊勢神宮には参拝したことがないということもあって、先人の風習にならって、今度は伊勢にも行きたいなぁ、とも。
 
 というわけで、これにて熊野旅は仕舞いでございます。長らくのおつきあい、ありがとうございました。ではまた。

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