見出し画像

2023年11月 おかげ参り1

 おかげ参り。御蔭参り。
 江戸時代に無茶苦茶流行した伊勢への集団参拝のこと。(伊勢内宮の祭神である)天照大御神の「おかげ」で参拝できたやら平和に暮らせているやら、道中世話になった人々の「おかげ」、といった感じで語源には様々な説があるようだけれど、まぁ感謝をしながら伊勢に行くというのは共通のようで。当時は奉公人が雇い主に無断でおかげ参りに行っても咎められることはなかったというマジカヨな話もあって、世間全体で伊勢が広く信仰されていたのだろうなぁと。

 というわけで私も伊勢に行って参りました。3月に訪ねた熊野詣での片参り状態を解消しに行って参りました(伊勢と熊野はセットで参拝されることが多かった)。

初日

 早朝5時前に置き、眠い体を引きずって東京駅へ。駅弁祭は朝6時頃でも結構な盛況で混雑の中、厚岸の帆立弁当を購入。ピピッと新幹線の改札を抜け、のぞみに乗り込む。帆立弁当。初めて見たし、値段安めだし、「森のいかめし」みたいな木訥なパッケージで、かなり期待していたけれど、まぁ冷めていることもあってね。ごちそうさまでした。そうしてうとうとしながら、名古屋へ。近鉄に乗り換え、再びうとうとしながら伊勢へ。眠い!
 午前10時過ぎに伊勢市駅に到着。とりあえず観光案内所で地図を手に入れ(やはりすぐ取り出せる紙の地図は便利なものです)歩き出すが、何だかすでに腹が減っている。この時間でもやってる食べ歩きできそうな店は……と丁度「山田三方」なる、三角形の大判焼きみたいなものを売っているお店の前にやってくる。開店したて。空腹に船。粒あんを購入。ついでにカウンターに陳列していた伊勢茶も購入。もぐりながら歩いて行きます。あまあま。そうして、外宮(げくう)の別宮(べつぐう)の月夜見宮(つきよみのみや)へと。

(伊勢神宮はまず巨大な神宮が二つあり、内宮(ないくう)と外宮(げくう)に分かれている。といってもそれぞれ一つの神様だけを祀っているわけではなく、少し離れた場所に別宮(べつぐう)という形で鎮座している、という感じ。ちなみに外宮→内宮の順に参拝するのが昔からの習わし)

 月夜見宮。夜の神様が祀られているようです(あとから知れば、内宮に祀られているアマテラスの弟ですね)。境内は杜に囲われ、清廉といった趣。というかお社がかなり素朴。原初的な造り、のように感じられる。人も少ない。静かに手を合わせます。そうして鳥居を出て一礼。
 本来、その神社を参拝したときは、主祭神の祀られている社(この場合は外宮)をまず詣でるのが筋だし、これまでもそうしてきたけれど、今回は別宮から巡らせていただきました、のは駅から近いからです。多分帰りは別の駅になるはずなので、月夜見宮から参拝いたしました。しかし、きれいな字面のお宮であること。
 さて、鳥居を出て正面のまっすぐ道へ。神路通(かみじどおり)と呼ばれているようで、夜な夜な月夜見宮の神が、この道を通って外宮の神のもとに通われていたとか。というわけで、道行く人は神に逢わないよう畏れ謹んで道の端を通行している、とのこと。恐らくそのために、道路の真ん中には黒い太いラインが敷かれていました。このへんは神社の参道の真ん中を歩かない、というしきたりに似ているなぁ、と。
 そんなわけで外宮までは一直線です。杜が見え、伊勢独特のシンプルな大鳥居が。玉砂利を歩いて、まずは外宮の神様、豊受大御神(とようけのおおみかみ。衣食住、産業の神様)の祀られている正宮(しょうぐう)へ。さすがにこのあたりは人で賑わっておりました。っと、正宮の正面にかなり重厚な木製の衝立が埋まっている。正宮は撮影禁止とのことだから、遠くから撮影しようとする輩対策だろうか。にしては、昔からある感じだし……これは何だろうと気になりつつも、多くの参拝客と一緒に正宮で手を合わせる。
 で、大きな衝立。その意図を聞きたいのだが、正宮前には厳めしい出で立ちの警備の方が一人いるのみで、参拝客に目を光らせているし、そもそも警備の方に聞くことじゃないし……というわけで、正宮をあとにする。その後、少し大きな石が三つ寄り集まっている場所に縄が張られていて、手をかざしたり、浅草寺の煙よろしく手で仰いで頭に「その気」を与えている人たちがいて、賽銭も石の上に置かれていて、でも何の由緒書きもなく、何だこれはと思いつつスルーする。そのまま境内の別宮にも参拝。その社殿の横に、玉砂利が敷かれていて、小さなお宮があって(トップの写真です)、どういった神様が祀られているのかなぁ、と。
 色々と不思議に思うこともあったけれど、その中でも正宮の正面にあった巨大な衝立が気になる。あんなの、他の神社じゃ見たことないぞ。というわけで、御朱印や御祈祷の受付所にいた巫女さんに声をかける。スマホで撮影してた写真を示しつつ「正宮の前にあるこの壁、何ですか?」。少々お待ち下さいとのことで、他の神職の方に聞きに行かれたが、皆さん御祈祷やらの受付で忙しそう。ちょっとすまない気もしてくるが、合間を縫って先ほどの巫女さんが奥にいた神職の方に聞いていて、手招きをして下さる。というわけで、列に並んでいる皆さんに頭を下げつつそちらへ。「これはバンペイと呼ばれる壁で、神聖な場を不浄なものから守るものです。正宮は東西南北をバンペイで守られていて、写真のは南側で、東側のバンペイも参道から見ることができます」といった感じで、結構お忙しそうに見受けられたけれど、実に丁寧なご回答をして下さる。ありがとうございますと、その場をあとにする。バンペイ。調べると、蕃塀、という漢字。どうやら尾張地方の神社に多い構造のよう(伊勢がその発端なのかも)。そのまま、東側の蕃塀も見に行き、あの奥に見えるのがそれだ蕃塀だと嬉しくなって、外宮をあとにする。いや、聞けて良かった。
 その後、勾玉池の休憩所で少しのんびり。そういやさっき人々が手をかざしていた三つの石は何だったんだろう、とグーグルマップで調べれば、「ただの石です」と書かれていて、ぶはっとなる。クチコミを追えば、マスコミがパワースポットと紹介したやら、勘違いやら、パワーを感じる、手がビリビリした等といったコメントが並んでいて、なかなか凄いことになっている。これを書いている今、改めて調べてみたが、伊勢神宮のHPでも「近年、手をかざす方がいますが、祭典に用いる場所なのでご遠慮ください。」と書かれている。どうやら昔はここに川が流れていて、ここで儀式を行っていたが、川がその流れを変えたので、(推測だけれど)その目印として石を積んでいるようで。縄を張っているのは勝手に動かされないように、ということだろうか。うーん。まぁ笑える話ではあるけれど、個人的には、信仰の始まりって、大体こんな感じなんじゃないかなとも思っているので、そういうもんだよなぁ、と。

 さて、外宮をあとにする。お次は4km離れた内宮へ。と、木々の奥に幾本もの鳥居が。茜社。あこねさん、と呼ばれて親しまれているとのこと。大昔の地名である赤畝(あかうね)の社がなまって、あこねさんになったとか。あこねさん。何だか楽しい響き。昔は外宮の摂社だったかも、てなことが由緒書きに書かれている。人は誰もいないけれど、結構凄い神社なんじゃ……。豊川茜稲荷神社が正式名称のようで、朱塗りではない木製の数十本の鳥居を抜ければ、沢山の狐の置物。お詣りをして、さらに奥へと行けば、また幾本もの鳥居。そして池。さっき休憩してた勾玉池の反対側に出ていました。
 さぁ道へと戻って、内宮へ。一本道なので迷うことはないけれど、御木本道路と呼ばれていて割と太い幹線道路っぽい感じなので、ちと旅情に欠ける。それを言えば伊勢神宮自体かなりの人出なので、何だか旅をしている感がいつもに比べて薄く……。やはり自分は人の少ない場所に惹かれる性質のようで。
 で、また腹が減りました。内宮に近づけば、飯屋は間違いなくあるが……丁度、お土産センターなる施設の前を通る。広い駐車場の奥に飲食の幟も立っている。まぁまずは広いお土産売り場をぐるりとするが、時間帯もあるだろうけれど、お客さんより従業員の数の方が多いのよね。建物の感じも一昔前という印象で。とりあえず食べ歩き用のものは売ってなさそうだし、なら定食屋のほうで軽く食べるか。何だかもしかしたらイマイチかもなぁ、という不安を抱えつつも。小腹満たしが目的だったので、焼きイカを一杯。串焼きみたいなのを想像してたら、お皿にイカ一杯分の切り身。いや、まぁ、でも美味しかったです。800円ちょいは高かったと思うけれど。うむ。ごちそうさまでした。

 引き続き内宮までの道を行く。赤福の看板だらけの車道を行き、猿田彦神社に到着。天孫降臨、ニニギノミコトを先導した神様である。あれ、あの神話って、宮崎の高千穂じゃなかったっけ、どうして伊勢にと思って、デジタルな案内板をタッチすれば、高千穂に降りてから伊勢に移ったとのこと。なるほど。高千穂で猿田彦の神を最初に応対したことから、境内には佐瑠女(さるめ)神社も鎮座している。こちらに祀られている祭神アメノウズメは、アマテラスが岩窟の中に引きこもったときに外で踊りを舞って、その賑わいが気になったアマテラスが岩戸から顔を覗かせたという神様。というわけで、芸能の女神として篤く信仰されていて、芸能人の名の入った幟がずらり。勿論、神話の中の話なので、現代の物差しでその踊りを論じるのは馬鹿げているとは思うけれど、どれほどの方が、こちらの神様が胸を露わにして服の腰紐を女陰まで押し下げて踊ったことを知っているだろうか、てなことを思う(脇に立てられている由緒書きで、そのことには触れられていなかった)。
 その後、社殿の裏にある神田を眺め、いよいよ内宮へと足を向ける。
続→

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?