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2024年9月 燕三条旅3

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 一の鳥居。一礼をして参道を行きます。そして石の橋へ。橋の上から左に目を向ければ、玉の橋と呼ばれる日本庭園でよく見かける半円形に盛り上がった朱塗りの橋。人ではなく神の渡る橋だとか。その下に流れる小川。石橋の脇には石段を下って小川の中を抜ける道筋も用意されていて、これは流れに足を浸しての禊ぎのためだろうと推測する。ほどなくして、参道はほぼ直角に左へと曲がります。珍しいな、と思いました。一の鳥居からまっすぐに伸びる参道、その最奥に社殿かと思ったいたのだけれど。とにもかくにも手水舎で清め、参道に沿ってその端を歩きます。左右からの蝉の声がかまびすしい。石段を上り、随神門で頭を垂れて中へ。蝉の響きが遠のきました。重厚な印象の拝殿が目前に。これはパンフレットで知ったことだけれど、彌彦神社では通常と異なり『二礼、拍、一礼』という参拝のしきたりがあるとのこと。作法に則り、賽銭を投げ入れ、ぱんぱんぱんぱんとリズミカルに四つ手を打ちます。そっと、まぶたを上げ一礼。そうして境内を散策します。まずは記帳所で巫女さんにお伺い。なぜ四拍なんですか?「特に文献等が残っているわけではないのですが、より丁寧に参拝を行うというのが今の説です」とのこと。なるほど。
 門を出て、境内の摂社末社にも詣でます。こちらは社殿が横並びになっていて、賽銭箱がその手前に一つ設置されています。社ごとに賽銭箱が置かれていると、さすがに全部は……という気持ちになるのだけれど、一纏めにされているというのは有り難いです。参道を引き返し、ご神木を眺め、どうしてか『津軽の火の玉石』と記された、おもかる石へ。願い事を思いながら持ち上げたときの重量感でその願いの叶いやすさを占うといった、伏見稲荷やらにもある石占(いしうら)ですね。どれ、と両腕に力を込めれば、持ち上がりはしたけれど、何も願っていなかったっていう。あはは。その後、鶏舎でコッコたちを眺め、鹿苑をぐるりとして、彌彦神社をあとにします。
 さあ、あとは休むだけだ。温泉だ。というわけで、先ほど予約したばかりのお宿、だいろくの暖簾をくぐります。靴を脱げば聞いていたとおりの畳敷き。そしたら囲炉裏のあるテーブルで、抹茶でのおもてなしを受ける。飛び込みみたいな宿泊客なのに、よくぞまぁ。案内されたのは三階の客室で(エレベーター内まで畳でした)ドアの上には妙高やら黒姫といった、新潟の山の名前が振られている。そうして行き着いた自分の部屋の上には、弥彦(神社の奥にそびえてるのが弥彦山です)。たまたまかもしれないけれど、ありがとうございます。さて、一通り館内の説明を受け、一人になって畳の上に転がる。距離でいえばそこまでだけれど、猛暑の中はやはり堪えます。湯に行きたいが、風呂の前に茶菓子で血糖値を上げましょう。というわけでお茶を淹れ、彌彦の拝殿が刻印された煎餅。一口では難しいサイズ。なら割るしかないのだけれど、さっきまで崇めてきた神社を割るってなぁ……まぁ、そっと力を込めてパキリとしたけれど。というか、床の間に飾られた掛け軸には力強く四文字で『彌彦神社』と揮毫されている。掛け軸に明るくはないけれど、明鏡止水やら花鳥風月といった心境やら自然を表現した書なら分かるのだけれど、神社という場所の名を書くというのは一般的なんだろうか(これがその神様である彌彦大神ならまだ頷けるが、まぁ旅人風情の首が縦横どちらに振られようと知ったこっちゃないですね)。
 さて風呂である。貸切露天があるので、少し面倒だけれどフロントに電話して空き状況を確認して、すたこらさっさと鍵を受け取りに行く。2階の一室、湯へのドアを開けて内心歓声。大きな屋根の下、大きなまあるい檜の湯船。めちゃくちゃいいじゃん。体を流して洗って、ざぶり。これまでの疲れもあるけれど、とっても寛げます。町中なので展望はそこまで開けてないけれど、開放感はたっぷり。ただ貸切時間30分てのは少し短いかな。まぁでも、いいお湯いただきました。彌彦神社。まさか温泉があるとは思ってなかったし、露天風呂まで堪能できるとは。この思いがけないという嬉しさも、何も調べずに旅をした効能だあね。

 夕方。部屋へと料理が運ばれてきます。当日予約で部屋食にありつけるとは。どれもこれも美味しいです。彌彦の地酒、越乃白雪(こしのはくせつ)もいただく。仕舞いにはアワビのステーキやら(めっちゃ美味かった!)、ふぐの唐揚げまで出てきて、こんなに豪勢な夕食になるとは思わなんだ。〆のアップルタルトもクリーミーで良いお味でした。ごちそうさまでした(昼に比べると記述が少ないのは、食事中の会話がないことによるものだろうなぁ)。その晩、今度は大浴場に浸かり、明朝に備えてはやめに就寝です。おやすみなさいませ。

2日目

 朝6時過ぎに起きる。まずは観光案内所をはじめ、様々な場所でお知らせのあった彌彦神社の朝の神事に参列しようかと。いうわけで着替えて、一の鳥居に頭を下げ、やっぱ折れ曲がるのは珍しいなぁ思いつつ、朝の参道を行く。割と早朝から参拝している方はいらっしゃいます。自分もご挨拶を兼ねて、まずは手を合わせる。そうして祭事の集合場所である祈祷殿(きとうでん)へ。靴を脱いで時間まで待合室で、とのことだが、なかなか入る機会のない神社建築の中なのだから彷徨いてあちこちへと視線を巡らせる。まずは廊下の窓から見える拝殿の右側面。新潟の地酒が菰樽(こもだる)に入って陳列してます。〆張鶴、菊水、麒麟山、八海山……知っている名前を見つけるだけで嬉しい(昨夜呑んだ越乃白雪は見当たらなかったね)。次に祈祷殿の階段を上がった先にある天井、その左右。あまり建築の用語に詳しくないが、欄間にあたる位置。一羽ずつ兎が彫られてます。片方は草を食んでいて、もう片方は振り返っている姿で。兎。昨日のかき氷もそうだし、飲食やお土産、はたまたマスコットキャラクターまで弥彦は兎をモチーフにしたものが多い。だがどうして兎なのかの案内板はまだ目にしていない。あとで神社の方に聞けるだろうか。集合時間が近づくにつれ、自分も含め合計10人ほどの人が集まってまいりました。やがて装束に身を包んだ神職の方が奥からいらっしゃり、こちらへとご案内。御日供祭(おにっくさい)と呼ばれる朝の祭事です。御神饌を捧げ、人々の幸せを祈念する祭典とのこと。外からその様子を眺めるだけなのかなと勝手に思っていたけれど、神職の方が導かれたのは拝殿の内部の大広間。昨日参拝した賽銭箱の向こう、いわゆる昇殿をしての参列です。手前の端に座り、畳の上、ここは当然正座だろうと居住まいを正す。というか、こういう神事に無償で参列できるって今さらながら珍しいように思えます。
 正座。慣れてません。重心を前に移して、腕をつっかえ棒にして、早く始まって欲しいとか思いながら、神職の方が畳敷きのさらにもう一段上の祭壇(と呼んでいいのかどうか)に現われるのを待ちます。正直、写真とか撮影しようかと思ったけれど、厳かな雰囲気でしたし、参列をした主旨から外れそうなのでやめにしておきました。さて、神職が現われます。まずは皆様のお祓いをしたあと、祝詞(のりと)を奏上します。その際にご一緒に4拍をお願いします。といった説明。まずは神を祀った祭壇、その左手に納められているるたくさんの白い紙垂(しで)がついたお祓い棒(正式には大麻や大幣と書いて、おおぬさ。自分も今知ったが)に祝詞を捧げているようだった。神職の方と一緒に頭を下げている方が視界の端に入ったので、そうするもんなんだろうかと思いつつ自分も一礼する。神職が大幣を手にし、参列者のほうに来てしゃんしゃんといった具合に振るわれる。つまり今、自分も含む参列者達のお祓いが行われているわけだ。このときは無論、頭を垂れる。が、案外早くお祓いは終わり、お寺での座禅中に「喝」みたいなのを勝手に想像してたし、何なら神事の最中にこうやって色々と余計なことを考えている自分がいるから、もうちょっと念入りにお祓いしたほうがいいんじゃないだろうか、とこれまた余計なことを思う。さて大幣を元の位置に戻し、いよいよ神様の御前である。祭壇は階段状になっていて、神職が一段一段と上っていくのだが、このときの動作が興味深かった。つまり階段を右足で1段目、左足で2段目、右3、左4と普通に上るのではなく、右足で1段目、左足も1段目、右2、左2、右3、左3という感じで、本当に一段ずつの上り方だ。これはどういった思いでこういう動きになっているのだろうと考えたが、浮かんだのは神を驚かすような大きな動きを避けている、という感じじゃないかと。そうして神の御前に進み出て、一緒に4拍を打つ。神職がご神前で蛇腹に折った奉書紙を広げ、祝詞の奏上である。ちょっと記憶の順序が曖昧ではあるし、祝詞ってお経のような独特の節をつけて読み上げられている関係上聞き取りづらいところはあったけれど、「畏み(かしこみ)、畏み」と何度か繰り返しているのが聞こえたのと、「彌彦大神(おおがみ)」は呼びかけているのでしょう、「皇(すめらぎ)」という語が聞こえてきたときはこれは皇室の弥栄(いやさか)を祈念しているのだろうと想像できたし、「交通安全」という現代的なワードがはっきりと聞こえこれは人々の平安について願っているのだろうと思った。「いずも」と聞こえたのは同じ新潟県の出雲崎だろうか、あるいは大国主命(おおくにぬしのみこと=出雲大社のこと)? そうして祝詞は終わり、階段を下るときも112233という足の運びでした。御日供祭もこれで終わり、廊下に弥彦で収穫された福米を用意したのでどうぞ持ち帰ってお召し上がりください、と最後のご挨拶。自分も含め参列者たちもめいめい立ち上がり、慣れない正座を続けていたため自分はおっかなびっくりみたいな変な立ち上がり方になったが(足を崩している方もいたが仕方ないと思う。正座って人体の構造上、特に神経の流れを思えば、あまりよろしくない座り方なんじゃないかという気がした。専門家ではないけど)、最後に退出する神職の方にお礼を述べ、廊下の台の上に置かれていた福米、を包んだ三角形に折りたたまれた紙をいただき拝殿をあとにする。色々と雑念もあったけれど、外に出て拝殿と、その向こうの弥彦山と、少し雲のかかった朝の空を眺め、ただただ参列できて良かったなぁ、と思いました。
続→

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