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場所を変えても会う人を変えても食べる物を変えても、私たちは良くも悪くもこのままだと思った(仮暮らし:能登半島穴水町周辺②)

6時。
町内放送で家族全員モゾモゾと目覚める。町内放送が終わると同時にもう一度寝る。

7時。
町内放送で私と夫のみ布団からノソノソと這い出る。子どもたちは二度目の町内放送にしてすでにこの町のシステムに耳が順応したようだ。

体調不良で落ち込まないのは、7か月目にしてこの生活が日常になってきたからかもしれない

やはり到着翌日は身体に疲れがたまっているのか、体が重い。
鼻の奥がムズムズしてきた。心がはしゃいでいる時に限って、私のアレルギー性鼻炎は暴れ出したりする。お昼過ぎには鼻炎が悪化して、耳も詰まっている感じがするし食欲もなくなってきた。(ちなみにこれらは私の鼻炎悪化時のあるあるだ。)

「直ちゃん、何なら食べられる?」と夫が聞く。
「ごめん、何にも食べられなさそう」と答える。

まだ慣れないキッチンで、スーパーで驚くような安値で売られていた鯛の塩焼きをほぐし、卵と豆腐と三つ葉を入れて雑炊をコトコト煮てくれている夫が見える。(でも、結局ほぼ食べられず申し訳ない)

スーパーの魚。本当にお安いのだ
本当に本当にお安いのだ(野菜などは普通だったよ)

ちょっと離れたところでは、ローカルテレビから流れている「穴水音頭」を体をしならせて真剣に踊るパジャマ姿の子どもたちが見える。

良かれと思ってチャンネルを変えたら怒られた。いやこのチャンネルがどうというわけではないのだけども。

ズビッと鼻をかみながら、
「ああ、せっかく来ているのに体調不良になんかなっちゃってもったいない。みんなにも申し訳ない」と落ち込み過ぎていない自分に気づく。

7か月目にして、この生活が日常になってきたのかもしれない。

場所を変えても会う人を変えても食べる物を変えても私たちは良くも悪くもこのままだ

穴水に1週間ほど滞在する間、予定という予定は特に入れていない。

地域の人に会って、スーパーに行って、散歩をして、仕事をして、寝て起きる。これがこの生活の基本で、地域によっては人から人を紹介されたりして、紹介されたら会ってみる。その時次第で忙しさや予定は変わる。

もちろん目に入る景色が違うし、会う人も食べる物もいつもと違うのだけど、夫も子どもたちも私もいつも通りだ。

いつも通り子ども同士けんかしたり、叱ったり、夫婦でもけんかしたり、すごくはしゃいで楽しく過ごしてみたり、家事や仕事をめんどくさく思ったり、時に体調を崩したり。

色んな地方に暮らすように滞在してみたいと思った時は、ちょっと刺激が欲しかったのかもしれない。
この場所で間違ってしまったらおしまいだ、と頭がカチカチになる前に、疲れた時に帰れる場所を増やしたかったのだと思っていたが、ここにきて全部後付けかもしれないと思っている。

本当は理由なんかないのかも。
理由なんかなくこんな面倒なことをしている理由を誰かに聞かれた時に説明できないから、それらしいことを言っているような気がしてきた。

とにかく、どこにいたって変わらないんだな、とあらためて実感してきている。

場所を変えても会う人を変えても食べる物を変えても私たちは良くも悪くもこのままなのだ。

小さい頃、転校に憧れていたことがあった。
実際に親の転勤で転校が決まった時はワクワクした。前にいた学校も友達も好きだったが、環境を変えることで自分が生まれ変われるように思った。

次転校したら、次こそは理想とする自分としてうまく生きよう、と思ったり、少女漫画で見たようなモテモテ転校生になったらどうしよう、などといらぬ心配(というか期待)をしてソワソワして前髪をいじってみたりしていた。
でも、結局私は私だった。

あの時も、自分からは逃げられないんだなと思ったっけな、と、能登半島で鼻をすすりながら思い出す。

場所を変えても意味がないということではなく、これは一度ゼロに戻るために私にとっては必要なことなのだけど、

何においても場所や人のせいじゃないんだよな、ということをあらためて感じたり、変わらない自分に観念する旅でもあるなと思ってきた。

まだ穴水の生活をリアルには想像できない

お昼過ぎ、マスクの下で鼻にティッシュを詰めながら、海に沿って設置された遊歩道「潮騒の道」をゆっくり歩く。

気持ちいい

滞在している間ずっと「この海、実は湖なんじゃないか」と思うほど穴水の海の波は穏やかで、本当に漁港なんだろうかと思うほど透明度は高かった。

ぴょーん
森の中も散歩できる

もしも穴水に住んだら、この遊歩道は私たち家族の鉄板スポットになるんだろう。
子どもが巣立った後も、きっとこの町の人はここを夫婦で歩くんだろう。

そんなことを思いながらも、まだここでの生活をリアルに想像できていない。穴水町に来てから、まだあまり町で人に会っていないからかもしれない。

牡蠣だけ食べたり、陽が沈む方の海を見にいったり、洗濯物の匂いがいつもと違ったり。

「海で夕日が見たい」なんておしゃれなことを娘が言う。アニメで見て憧れていたようだ。

穴水は海から朝日が昇るところは見られるが、沈むところは見られない。
予定もないし行っちゃおうか、と一時間ほどかけて、穴水とは反対にある千里浜なぎさドライブウェイヘ。

車で砂浜を走れる
はしゃぐ娘と恐る恐るな息子

千里浜ドライブウェイまでの途中、サービスエリアで朝どれの焼岩ガキが売られていた。

リーズナブルだった。たしか一皿500円とか

「直ちゃん、食べられないよね‥そんな時に申し訳ないんだけど、俺牡蠣食べていい?」と夫が言う。
「奇遇だね、私も食べたいし食べれそうだよ」と返す。

本当に不思議なことに、あんなに鼻が利かなかったのに牡蠣の匂いだけはなぜか感じるし、感じた瞬間おなかがすいてきたのだ。

「ひとつだけ食べてみようかな」
と言う私を見て夫が目を丸くし、
「直ちゃん、能登に来てほぼ初めて口にする固形物が牡蠣じゃ心配だよ」
と言う。

鼻炎の影響で耳も詰まっていることだし、失礼ながら無視させていただき、その結果、4人でなかなかの量を食べた。

牡蠣を食べている間だけ私の嗅覚が本来の力を取り戻し、牡蠣を食べ終えると同時に力を失った。
レモンを追加しようとする私を夫が訝しげに見ていたが、私だってこの奇跡的な自分の体のシステムに戸惑っている。(とともにこのシステムに心から感謝している)。

ちなみにこのSAにあるスカイデッキは映えスポットな感じだった。やほーい。

千里浜ドライブウェイでひとしきり遊び、そろそろ帰る時間。

まだ帰りたくないとごねる
陽はまだ沈まなそうだけど、海辺はキラキラ

帰ると、朝ベランダに干した洗濯物の一部がまだ湿っていた。
地方によって、渇いた洗濯物のにおいが違うように感じるのは気のせいだろうか。

風で偏る洗濯物たち。備え付けのハンガーが丈夫な感じだったのは関係あるのだろうか。

そんなこんなで。
鼻をかみながら散歩したり仕事したり洗濯したり海に行ったりスーパーに行ったり、ゆったり過ごしていたら3、4日ほど経っていた。

穴水町は焦らない。そして「こういう町だ」という感想がこの時点ではまだ出てこない。

そもそも1週間や10日くらいで「こういう町だ」という感想を抱くのもおこがましい話なんだろうけれど、自分なりにこの町をどう感じたのかをちゃんとかみ砕いてみたいと思ったり、これはこれでいいのかと思ったり。

つづく

おまけ①能登長寿大仏も素敵だったよ
おまけ②その周辺の散策道路もなんか日本て感じだったよ(語彙力)

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