月へ

二十四歳、大学を卒業して2年目の夏。急に仕事に行く気力がわかなくなった。そこそこの大学に入って、可もなく不可もないような大学生活を送り、いっせーのせで就活をはじめた。そこそこの企業から内定をもらい、コツコツと働いてきた。人間関係で悩んでいたわけではない。給料だって、まぁ高いとは言えなかったけど、女がひとりで自立して生きていく分にはとりあえず十分だった。なにか特別な不満があったわけではない。ただ、朝9時に出勤して17時まで事務机に向かって、ひたすら会社の事務をこなしている日々に突然絶望してしまったのだった。

そういうわけで、私は会社に行かなくなる。辞めた後の生活を想像すると、それはまるで鎖のように私を会社に繋ぎ止める足枷になった。だから辞めた後のことを考えることをやめた。どうにかなる。そう自分に言い聞かせた。会社から携帯に電話がかかってくる。この着信もまた、私を現実に引き戻し、会社に繋ぎ止める鎖だった。だから私は携帯の電源を切る。

ほとんど衝動にも近い絶望で、どうしてここまで思い切った行動を取ることができているのか、自分でもよくわからない。そもそも私は、極端な行動に憧れることはあっても、決して極端な行動を選択することはなく、無難に生きてきたのだ。何かの病気になってしまったのだろうか。しかし頭のなかは気持ちがよいほど冷静で思考が冴えわたっている。心の底から、私は今、私にとって正しい選択をしていると感じている。

私は最低限の荷物をまとめて家を出る。電車を乗り継ぎ、東京を出る。日本を出て、地球を出る。私はそのまま月へと向かう。私は新しい人生を歩みはじめる。

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