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「他者貢献」? 誰かの役に立つことについて

社会人であれば、誰しも耳にする言葉「やりがい」
アドラー心理学によると他人のために働きかける「他者貢献」によって自分の価値を実感できるという。

この週末は足を伸ばして家族で私の実家に帰ってきた。
田舎の広々とした空間で、大人は親に甘えてくつろぎ、子どもは伸び伸びと大好きなばあばと遊べて楽しそうである。

ゴロゴロくつろぎすぎて、大きな窓から庭を眺めていたらなかなかに大きくて危険そうな蜂が飛んでいることに気づいた。どうやら庭に松の木と花壇を行き来しているようである。
そうして木の房の中に蜂の巣があるのを見つけた。
実家の父母と、業者に頼んで駆除してもらおうという話をした。
家族の誰かが刺される前に自分が偶然気がついて良かったと思った。

夫は夫で、祖母の畑仕事を手伝ったようである。しかも、耕運機で畑を耕すというなかなかの力仕事を担ったそうだ。夕方から2-3時間祖母と二人で作業し、汗だくになって帰ってきた。
祖母は週末の畑作業をどうしようかと困っていたそうなので、ちょうどいいタイミングで帰省していて良かったと夫は言っていた。

私たち夫婦は家族にとって役に立った。
アドラーの言う他者貢献とまでは行かないかもしれないが(少なくとも私はただ外を見ていただけ)、大事な家族にありがとうと言ってもらえることはいいことである。

毎日の仕事が楽しいとか、やりがいを感じるとか思えることは少ないが、自分の絶対的安全地帯である家族のために何かすることは幸せを感じられる方法として一番身近で簡単なんだと思った。
社会はやりがいやりがいってプレッシャーをかけてくるけど、仕事にそれを求め過ぎるのは自分の考え方とは違うのかもしれない。
「やりがい」という言葉はあまり好きじゃない理由もちょっとわかった気がする。
家族との生活にやりがいって求めないから。

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