ブックレビュー&SMAP解散について今さら。
スマップの解散。
これが公になった時、世間の騒ぎように私は驚いた。
なぜそんなに解散に拒絶反応を示すのか。
なぜそんなに悲しむのか。
なぜ、解散を門出として祝福できないのか。
連日解散に関しての報道や記事が出て、さまざまな憶測や考察がなされ、
誰が解散のフィクサーなのか、まるで犯人探しをするようなきらいがあった。
怒りや悲しみの矛先を、何かに向けたいように見えた。
私は毎日思っていた。
誰のせいでもないよ。
長年ユニットを組んでいたあるグループが、解散するだけのことではないか。
至って普通のことではないか。
終わらないプロジェクトなんてないし、終わらない仕事があったら狂っちまうし、死なない人間なんていない。
万物には必ず終わりがあるのに、
「スマップにおいてはその終わりが今では許せない」
というのはいくらなんでも傲慢すぎやしないか。
しかも、解散を決断したのは、あなたたちの大好きなスマップ本人ですよ。
大好きな人の決断を、受け入れて応援するのが筋ではないですか。
当時、その集団ヒステリーのような反応に、すごく違和感を覚えていた。
不思議でならなかった。
これで思い出した。
過去に知人が子作り問題で離婚することになった時、
「もっと早く決断していれば、子供を持てたかもしれない。
私の10年返して欲しい。」
と発言していたこと。
そして、私の夫が私との出口の見えない口論の末、
「あなたとは出会わなければ良かったよ。」
と言っていたこと。
なぜ人は過去に遡って恨み言を言うのだろう。
私にはさっぱりわからない。
私は10年連れ添って離婚することになっても、
「これまで10年ありがとう、いろいろありましたね。
大変お世話になりました。そしてさようなら。」
でいいと思うし、
私と夫に関しては、「出会わなければ」彼の寵愛する娘も存在しないのだし、
私たち家族の過去の輝かしい思い出までも全否定することとなる。
現状の夫婦仲が最悪でも、私には過去の楽しかった出来事や、
家族として、親としての歩みや子供の成長、醜い揉め事でさえも、
今の私を形作るのに全て必要だったし、過去に戻ってやり直す
(出会わないことにする)、ということになんの魅力も意味も感じない。
大切なのは常に、今ある現実から何を受け取るか、どう自分が振る舞うか、
この先どう進化するかという自己成長のみである。
あくまでも各人間の成長のみが、今より幸せになる道を作ってくれるのだ。
夫婦の幸せ、家族の幸せも、各々の成長の上で実現できるものなのだ。
私は現在夫が好きではないし、これから先は別の道を歩きたいけれど、
彼との出会いに関して言えば、
「出会えて良かったし、その出会いは運命だったけれど、これからはお互いに
別々の道を行こう。それぞれの幸せを目指して。」
と思っている。
「出会わなければ良かった。」
このセリフを言われた時、なんでそんな考え方するんだろう、とすごく不思議
だったが、その場ではうまく返事ができなかった。
例えうまく言い返していたとしても、夫には通じないし、怒鳴られるのが関の山
だったろうけれど。
スマップにしても、解散したってその栄光の28年(驚きの活動期間!)は
変わらないし、
5人で歩いてきた道が、曲がり角に差し掛かり、道が枝分かれしただけ
のことではなかろうか。
それまでアイドルとしてファンのため、国民のために、おじさんになっても
ずっとキラキラしたままで、夢を見せてくれたんだから充分じゃん。
充分に感謝をして、これからの彼らの変化を楽しめばいいじゃん。
ずっと変わらないもの、壊れないものなんてかえって不気味だよ、と思っていた。
当時はこれについて誰かと意見を交わす機会がなかったし、発信する場所も
持たなかった私。なんだか消化不良のまま、時が過ぎていった。
日々の暮らしの中で、職場やニュースなどで、同様の疑問を持つことはその後も多々あった。
そして現在。
これらの疑問に急にアンサーをくれた本を読んだ。
藤本シゲユキ氏の著作、
「幸福のための人間のレベル論」/さくら舎
この本によると人間には、
「気づいてる」ステージと、「気づいていない」ステージの2種類がいて、
日本人の実に8割の人は「気づいていない」ステージに属しているらしいのだ。(この本には動物に例えた細かいレベル分けがあるのだが、あえて割愛する、
当書をぜひお読み下さい。)
この「気づいていない」ステージの人たちは、一体何に「気づいていない」のか、具体例を今回の話でひとつあげると、
「目の前に起こっている現実は、すべて過去の自分が選択した
結果である」
ということ。今の自分を作っているのは、それまでに起きた出来事(嫌なことも含めて)が全て影響していて、なおかつ他人と状況は人の力でそもそもコントロールできないので、自分の現状が不幸でもしんどくても、それは自己責任でしかないし、人や環境のせいにはできないということだ。
だからスマップの解散を、誰かのせいにしたいのも、
夫の「出会わなければ良かった」に隠された、
「お前とさえ出会わなければこんな目に遭わなかったのに。」
という不幸を人のせいにするマインドも、
知人の「私の10年返して」という、
「10年前違う選択肢を選んでいれば、今がもっと幸福かもしれない」という幻想も、「気づいていない」ステージの人たちの、他力本願でしかない。
その人と出会って付き合ったのも、結婚したのも、不仲になったのも、別れたのも、費やした時間も、全部自分の責任であり、自分のチョイスの結果なのだ。
事実同じような目に遭っても、もっとひどい目に遭っても、
立派に乗り越えて幸せに生きている人はたくさんいる。
自分自身や自分の現実を客観視できず、人のせい、環境のせい、過去のせい
にする。つまりは棚上げ理論。
このマインドは、この本に言わせれば日本人の8割にものぼるというからには、
珍しい思考パターンではないのだろう。
私は、そういう思考を不思議、不思議と思っていたけれど、もしその視点そのものが8割の方に入っていないのだとしたら、話が噛み合わないのは当然であったのだ。だって8割の方が多数派なんだもん。
加えて私の言葉で言うと、現状や環境や相手を恨む前に、
もしかして自分の不幸は自分のせいかもしれない、という視点を持てない
「想像力の欠如」
または現実や自分の弱さを受け止めるハートの強度がないために、
向き合うことを避ける
「思考停止の習慣化」
そして、自分自身を知り、分析し、俯瞰で見ることができない
「客観力の欠如」
これらが「気づいている」ステージに上がることを阻んでいる要素では
ないかと思うのだ。
この本では「気づいた」人から幸福になれると言っている。
2割に食い込めば、幸せだよ、と。
私は自分のことを幸せだとは思っていないので、「気づいてる」ステージの人間
です、とは言えないが、人生が自分の選択の結果ということくらいは分かる。
スマップの解散は、これからの未来の発展に必要な決断として祝福すべきだし
(ファンなら尚更)、スマップの仲が悪くなったのも、誰のせいでもなく、
個人や組織で積み重なってきた出来事であり、乗り越えるべき試練でしかない。
仲が悪くなった、とか、解散を選んだ、ということは悪ではなく、通過点でしか
ないのだ。そこから何を学ぶか、その後どうするか、それしかないのだ。
もちろん私ごときに言われなくても、スマップほどの高みにいる人たちは、
その後を当然満喫しているだろうが。
にしても、私を含め本当に8割もの人が「気づいていない」のだろうか。ちょっと疑問に感じてしまう。でも少なくとも私の夫は確実に「気づいていない」と思う。
夫は私が家にいると外出しているか自室に引きこもっているが、以前は夫が
引きこもり出すと部屋に度々迎えに行っていた私。
それを止めて約1年になるが、その間会話は一度も交わしていない。
無論このままの生活では不健全なので、私は現状打破のため、それまで目指して
いた夫婦仲向上を諦め、自分自身のアップデートに注力している。
夫は今でも私のせいで自分がこの家で虐げられているとでも思っているのだろう。
胸は痛むが、でもそれは本来私には関係のないこと。
夫婦仲が悪いのは互いの責任だが、
夫が引きこもっているのは、夫の意志であり、選択だから。
彼がそれに「気づく」ことを、私がコントロールすることは不可能だから。
私は私で自分を研鑽し、自分を変え、「気づいてる」ステージへの階段を
昇っていき、最後は華麗に去ってみせよう。
「幸福のための人間のレベル論」、面白い本でした。
「気づいてる」ステージの人間が何に気づいているのか、また、
人間のレベルをフィールドに分けて、それぞれの考え方や特徴などが
細かく書いてあるので、自分や家族や友人がどのステージにいるのか、
考えながら楽しく読めます。
同じ動物による区分けでも、かつて大流行した動物占いと違って、
思想的・哲学的で、ステージアップを目指せるところがいいですね。
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