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漫画原作映画学芸会論

 こんにちは。
タイトルがまるで中国語の様ですが、今日は映画の話です。まずタイトルを翻訳すると「漫画を原作にした映画とは、すなわち学芸会的なものと呼べるのではなかろうか論」です。

 今に始まった事では無いですが、昔より漫画原作の映画が増えている様に感じます。一つには漫画そのものの地位が向上していったという事があるでしょう。かつて少年ジャンプは文字通り少年の為のものでしたが、いまや小学生だけが手に取る雑誌ではなくなっています。平成ぐらいからそんな流れになってきており、今や漫画雑誌は全世代向け、対象性別を問わないコンテンツに成長しており、少年ジャンプもそろそろ名前を変えても良いのでは無いでしょうか?言いにくいけど老若男女ジャンプとか。

 漫画コンテンツ伸長の背景に、アニメの進化も大いにあるでしょう。最近のアニメのクォリティはデジタル技術発達普及も相まって、もうこれで映画にすればいいじゃんと思うほどの内容になってます。画面外では才気溢れる声優さん達がそれぞれの活動を繰り広げ、漫画、アニメ、エンターテイナーとしての声優、グッズ、そういったものから構成された巨大エンタメコンテンツの牙城を築き上げている観があります。宮崎駿氏が切り開き、新海誠氏が道筋をつけた海外に評価される芸術としての側面も備え、もはや死角なし、という状態、今後ますます盛んになる事でしょう。

 漫画は文学に匹敵するくらいの創作表現の場として、今日も様々な才能が凌ぎを削り合い、新しい芽が育ちつつあります。素人からプロまでがひしめく漫画創作シーンは新しい物語や着想が次々に生まれる良質なサロンである、とも言えます。世紀末ウィーンや印象派を育てたパリの如く、創造の場というのは学校ではなく開かれたカフェであるべきなのでしょう。

 ここから潤沢に生まれる物語に目を付け資産として運用したい人たちも当然出てきます。日本の漫画をハリウッド映画にする、みたいな奇妙な現象が一時期ありましたが、ハリウッドから見てもこれはなんだか美味しそうな匂いがするわい、という事だったのでしょう。私が見た中で印象深いのはハリウッド版北斗の拳で、国籍不明の男が筋肉七割減のケンシロウを演じ、黒人少年のバットと冒険を繰り広げ、悪役を指先による軽やかなソフトタッチで倒す、というものでした。正直やめてくれと思いました。国を跨いで原作の良さが失われる、という事もあると思いますが、その時感じたのは、これはあまりにもビジネス過ぎる、という事でした。

 原作愛の欠如から察するに、物語のコンセプトは一から作る事なく買えば良い、その方が安上がりで他に予算も回せる、といった胸算用が透けて見えた様に感じました。あくまで私個人の感じ方ですから違ったらごめんなさい。しかしながら実際、映画だけの為に脚本家や監督が1から完全オリジナルのものを創作する、というコストに比べたら、東洋の漫画を原作として買う方がきっと効率が良いのでしょう。ハリウッドの創造力が昔よりも枯渇している、という事もあるのかもしれません。

 で、そんなハリウッドの風潮に当てられたのか、邦画の方もそういう作品が増えてきた様に感じます。私が見たのはノートに名前を書き込むと死んでしまう、という著名な漫画を原作にした物語でした。この文章の前半で漫画業界を散々褒めそやしましたが、そんな私ですからどうしても原作漫画と比べてしまいます。私的な結論は、酷くは無い、しかし同じ時間使うなら原作読んだ方がずっと良い、というものです。

 しかし同時に、その映画館には出演俳優や女優を目当てにしているお客さんがかなり居そうだ、ということにも気づきました。彼ら彼女らにとっては映画全体の出来よりもお目当ての俳優女優が出ているその1シーン1シーンが大切なのだろうと察し、なるほどと一人納得してしまいました。別にそれを悪様に言いたいわけではなく、彼ら彼女らの気持ちが私にもよくわかります。

 私には子供がいますが、学校の学芸会に出演する時はそれこそもう、かぶりつきでそのシーンに集中するわけです。話の筋書きとか全体の出来とかは大きな問題でなく、あの子があの時こんな演技をした、こんな顔だった、とかそういう所が最重要案件になります。見終わった時には大満足で、いやーいいもの見た、よかった、よかった、と超ハッピーになって帰っていくのです。

 おそらくお目当ての俳優女優の演技を見に来ているお客さん、というのは大体こういった心理なんでは無いでしょうか?それは全然悪いことではなく、むしろそんなハッピーな場に対して、作品の芸術性が、とかシナリオの出来が、とか原作の再現度が、とか言い出すのはむしろ無粋な事なのかもしれません。

 ただ、だからといって、話題性があるからと言うので漫画を安易に原作にする、というのはやはりまだ一考の余地がある様に思います。原作側にしても学芸会のシナリオに精魂込めた作品を使い捨てされては堪らないでしょう。そこで提案ですが、どうせ原作を何処かから引っ張ってくるなら日本の昔話とかどんなもんでしょう?著作権なんてないですから漫画原作よりさらに安上がり、「猿蟹合戦を人気俳優女優を使って90分の映画にするべし」なんてお題が来たら映画畑のクリエイター方々も発奮するのではないでしょうか?もしかしたらすごく面白いものになるかもしれないですし。かつてのまんが日本昔話が実写で蘇ると想像しただけで胸熱です。

 二次創作において大事なのは「原作愛」で、結局は原作に対するリスペクトが創作の出来を大いに左右するのではないかと思います。映画のように色々な大人の事情が絡んでいるような場合、愛だけではやっていけない事も多々あるかと思いますので、ならば最初っから皆の共有資産みたいなものを原作にすれば良い、と思った次第です。ユング博士のアーキタイプを原作にする、とかだと、もうどこからも文句は出ないでしょう。

 とまあ、くだらないことを長々と書いてしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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