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【インタビュー】理学療法士として働くなかでギランバレー症候群を発症しつつ理学療法士として働き続ける森友美さん

森さんは、現在30代前半でおられますが、理学療法士として働き始めに20代半ばでギランバレー症候群を発症し、現在、症状は軽快し、理学療法士として働き続けておられます。今回は、森さんの病のご経験や理学療法士としての考えの変化についてご紹介します。

森さんは、理学療法士として働いているが、中学・高校時代と剣道をしており、高校時代に膝を痛め、普段の生活に不具合が生じた経験から、医療関係の仕事に興味を持った。もともと運動は得意ではなかったため、中学の時、何らかの部活動をする必要があり、あまり多くの人がしていない剣道を選んだ。それほど興味なく始めた剣道だったが、剣道は運動能力のみで上達するのではなく、むしろそこに魅力を感じてのめり込んで取り組むようになった。

通っていた高校はエスカレータ―式に大学に進学できたが、それをせず、理学療法士になるための学校を選択した。当時、結婚をして専業主婦をするという選択肢がなく、ずっと働き続けたい思いがあり、理学療法士の仕事のイメージは朧げではあったが、理学療法士の道に進むことにした。

資格を取得し、勤め始めた職場でギランバレー症候群を発症した。最初は、身体が重い、寝ても疲れが取れない感じがした。そのうち、歩くのが遅くなり、歩容が悪くもなり、通勤時の電車の乗り換えも間に合わなくなったため、職場の上司に相談をした。足がだるい程度の時にはあまり深刻に受け止めていなかったが、徐々に症状が重くなり、インターネットで検索するようにもなっていた。神経内科を受診すると筋炎が疑われ精密検査をする予定となったが、その直後に職場で床に倒れた。突然力が入らなくなり、感情が追い付かず涙が出てきた。その場で入院となった。

その日が一番状態が重く全介助だったが、数日で軽介助まで回復し、リハビリテーションを開始した。リハビリテーションにより杖歩行が可能なまでに回復した。退院後は、外来でリハビリテーションに通い、2か月後に復職を果たした。退院後は、自宅からリハビリテーションに通ったが、社会に取り残されている感じがし、職場にお願いをし、有難いことに職場復帰が叶ったそうである。職場の理解があり、少しずつ仕事内容を増やすことができた。それ以降、再発はせずに来ており、時折しびれやピリっと針を刺されたような違和感を覚えることがある程度のところまで回復している。しかし今後の再発リスクを考え、勤務先を変え、現在は回復期の医療機関に勤めている。
 自分がリハビリテーションを経験すると、車いすでトイレに行くのもこんなに大変かと感じた。また、自身が理学療法をする際に歩行器を使うことを控えさせた経験があるが、実際には、歩行器を使用した方がトイレに行きやすいと感じたり、ナースコールを押すことへの遠慮やためらいの感情など生じたりもした。理学療法では自身の当事者経験を患者との対話の話題に入れるようになった。

 「障害受容」についても、残存能力とかけ離れた希望を持つ患者に「障害受容(できていない)」と言っていたが、自身が経験してみると、それはやむ得ないことと思うようになり、安易に「障害受容(できていない)」とは使わないようになった。障害受容の理論と同じように、ご自身は発症当時はケロっとしており、その後に、現実感が増し、ショックが増したそうである。直線的に障害受容に至るのではなく、いったりきたりしていたとも語る。

 ギランバレー当事者としてブログ発信をし続けている。始めた当初は病の経験による自己否定感を埋め合わせるために行っていたが、現在は、純粋に病の経験を広く発信することの必要性を鑑みて、発信をしている。時々、ギランバレー当事者の方からブログを見たと相談のメールが来る。書いておいてよかったなと思う。ずっと家にいるのは好きではないので、これからも働き続けたいとのことだった。当事者活動も一歩外に出た活動もしたいと思っている。

森友美さん
twitterアカウント:@moritomo_gbspt

文章:田島明子


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