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「CUBE」(1997年) ヴィンチェンゾ・ナタリ監督

 
 最近日本でも公式リメイクされて話題になったこの作品。
もちろんタイトルは耳にした事があったし、何となくの概要は知ってはいたのだがまだ手を出していなかったのをNetflixをザッピングしている最中に気づいた。

立方体(キューブ)で構成された巨大な構造物に閉じ込められた人々。数々のワナが張り巡らされ迷宮と化したその建築物の目的とは何か。
登場人物はたったの7人。舞台は立方体の中だけ。みるからに低予算映画と言ったところだが、これが当時世界中で大ヒット。冒頭で述べたように日本でも菅田将暉主演でリメイク作が作られている。

低予算で作られた映画が異例の大ヒットを飛ばすという流れはあまり珍しくもない。注目すべきなのはなぜそれがヒットしたのかというところだろう。

理由の一つには低予算という資金面での困難さを吹き飛ばすほどの作品に仕掛けられた趣向、創意工夫がある。

存分にお金をかけて作られたハリウッド映画はもちろん我々にダイナミックな映像体験をもたらしてくれる。しかし、そうではない、低予算映画が持つ、またはそうならざるを得なかった映像的な仕掛けが私たちにかけがえのない経験を与えてくれる。

「CUBE」もその例に漏れず、低予算映画でありながら、私たちに様々な感情をもたらしてくれる作品である。

物語は男が立方体の中で目覚めたシーンから始まる。どうして自分がこの場所にいるのか、ここはどこなのか、全くわからないという状態。サイコスリラーにはありそうな状況設定だが、それを立方体という閉鎖された空間でやり通そうというのがこの作品の一つの特徴だろう。そこが低予算だからこその工夫なのだが。

男が6面についた扉の一つを開けると、その先にもまた新たな立方体が。
これでこの場所が一つの立方体だけではなく、何個かの立方体で構成された施設なのだとわかる。
そして男が隣の部屋に移ったその瞬間、男の体は八つ裂きになって崩れる。ただ閉じ込められているのではなく、立方体のうちどれかには死のトラップが仕掛けられているのだ。

この冒頭何分かのシーンだけで、一気に舞台設定を説明し切っているのもすごい。これも低予算映画の特徴かもしれない。撮影の日数も限られているだろう。そうなると映画の尺的にもそう長くはできない。実際この作品は1時間30分と比較的コンパクトに収められている。状況説明にそんなに尺はさけない。それゆえのこのオープニングシーンということか。

タイトルバックからの次のシーンからようやくこの映画の主役たちが登場してくる。

目的もわからず閉じ込められた人々は皆一様に混乱している。しかし、その中でも警官の男が冷静さを取り戻し、皆で協力して何とか脱出を試みようとする。

罠を何とか避けつつ出口を探していく訳だが、なかなか辿り着けない。それぐらい巨大な施設であることがわかる。
そうこうしているうちにだんだんと皆の苛立ちが募っていく。

「救いようのない人間の愚かさ」
これは物語の最後に登場するセリフなのだが、この作品の伝えたいメッセージの一つがこの言葉に凝縮されているように思える。

人間は何か困難な状況に陥ると、誰か別の人に責任を押し付けたくなるものだ。自分の正義や理性を保つのは相当難しいはず。
この作品に登場する人々も出口のない自らの死を前に平常の精神ではいられなくなる。いざ自分がその立場になってみたらと思うと、やはり平常心を保てるか自信はない。

「いやいや、こんな状況はあくまでフィクションであり得ないでしょ。」

もちろん状況的にはフィクションであり、現実とは乖離した状態であるのはわかる。

しかし、状況ではなく、登場人物たちの感情や言動が妙にリアルに迫ってくるのだ。

同じように自分も何か抜け出すのが困難な状況に陥れば、理性的な言動を取れるのだろうか。

それぐらいこの作品の人物たちは愚かなのだ。

気付かぬうちに立方体に閉じ込められ、死の目前に晒されるという現実離れした状況を通してリアルな人間の愚かさを描いているのがこの作品なのである。


ところで立方体に集められた人物たちの役割にもしっかりと意味があり、物語を進めていくための鍵にもなっている。

警官の男は最初は皆をリードし勇気づけていく真っ当な正義感タイプの人間である。しかし、物語の終盤には狂気に陥り、凶暴な殺人者となる。物語を前進させるためのエンジンでもあり、終盤を盛り上げるための悪役でもある。

脱獄囚の年老いた男は脱出を図るための指南役といったところか。しかし、すぐにこの男は強酸を浴びて死んでしまう。前半部分の悲劇である。

数学を専攻する女学生は、扉に刻まれた数字が罠のあるなしを図るヒントだと気づく。そしてこの女性は最終的に立方体の謎を解く事になる。

立方体の建造に関わったとされる男も重要な配置である。最初は謎が多く、不気味な印象しか残さないが、物語が進んでいくにつれ彼が真っ当な考えの持ち主だと気付かされる。

途中から合流する精神障害を持った男。しかし、この男の持つ数学の能力が脱出の鍵を握ることになる。おそらくサヴァン症候群と思われる。

そして、医者の女性。特に目立った能力がないと思われるが、医者である彼女がサヴァン症候群の男を献身的にサポートすることでこの男は生き残れ、脱出のために能力を発揮することになる。

このようにここに集められた人々にはしっかりと役割があり、その役割をそれぞれが果たすことで物語は進行していく。この工夫もこの作品が多くの人々に受け入れられた理由の一つだろう。

最後の謎は、果たしてこのCUBEの外には何があるのか。映画はそこまでは描いていないので推測するしかない。

先述した「救いようのない人間の愚かさ」というセリフは、女学生がCUBE建造に関わった男に「この外には何があるの?」と問いかけた際に返したセリフである。


彼はせっかく出口にたどり着いたというのに、出て行こうとしない。「生きる意味がない」というのだ。

愚かさや絶望は、どこか一定の場所だけに存在するのではない。それこそCUBEの中でも外の世界でもどこにでも存在し得るのだ。そんな人間の救いようのなさがこの作品からは伝わってくる。しかし、もちろんそんな絶望的な状況に終始するわけにもいかない。私たちはそこにどうやって希望を見出していけばいいのだろう。

私たちの前には、毎月決まった日に振り込まれてくるサラリーのように平和はもう当たり前に存在してはくれないのだろうか。

そんなことをこの作品と今の世界情勢とを思いながら考える今日この頃である。


「CUBE」(1997年) カナダ
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督
CAST
モーリス・ディーン・ウィント
ニコール・デ・ボア
デヴィット・ヒューレット
アンドリュー・ミラー  他

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