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みんなが褒めてくれる経営者の恐怖

 私は歯医者です。なので、みんなから先生と呼んでもらえます。先生と呼ばれるだけで、偉くなった気分になりがちです。それに加えて院長になると、さらに偉いっぽくなります。社長や理事長などもそうで、肩書がつくだけで周りの人の感じが変わります。

学生時代に先輩に会ったときに
「久しぶりです!○○さん!」って挨拶したら、
「・・・先生って呼べよ(チッ)」と返されたことがあります。
先生という立場の人に、肩書を付けなかったことは確かに失礼なことですが、「人間って肩書で変わってしまうんだな。気を付けよう。」と気付きを与えてもらえました。
この「肩書の効果」は気を付けていても、態度に出てしまう。
少なくとも私は自分の意志力だけでは調子に乗ってしまうでしょう。

太宗は、諫言する部下を積極的に登用していました。諫言とは、上司の過失を遠慮なく指摘して忠告することです。
「貞観政要」に登場する太宗の側近は、魏徴をはじめとして、太宗を数えきれないほど諫めています。
太宗は、臣下の諫言を積極的に受け入れ、彼らの批判に耐えることで、自らを鍛え上げていきました。

座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 出口 治明 (著)

 自分の過ちは自分ではわかりにくいものです。それに加えて肩書と言うフィルターがかかると、余計にわかりにくくなります。
前回のnoteで、9万人以上に迷惑をかけて、124億円の負債を背負って破産した脱毛クリニックのことを書きました。

おそらく、経営トップの方には「魏徴」がいなかったのでしょう。
コンサルや取引先、銀行、従業員、親戚や友達など、みんなが「すごい先生!成功者!」と褒めて機嫌を取ってくれます。
周りの勧めで、どんどん事業を拡大し、
さらに売り上げが増えて、さらに褒めてくれる人が集まってきて
もっともっと事業を拡大する。

誰も止めてくれず、気付いた時には危険な領域にまで足を入れてしまった。
何年も前から危険な状態を察知していたが、誰も間違いを指摘せず、建前とプライドと付き合いが邪魔をして、臨界点を突破して吹き飛んでしまったのでしょう。

君主は水であり、人民が水である。水は船を浮かべ前に進めるが、一方で、船を転覆させるのもまた水である

座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 出口 治明 (著)

否定されて、間違いを指摘されるのは気持ちいいものではありません。
言われるのは辛いですが、言うことはもっと辛いことです。
機嫌を損なってまで、相手のためにアドバイスをする人は本当に希少です。
幸いにも、私には遠慮抜きに諫言してくれる人がいます。
そういう貴重な人こそ、もっとも大切にするべき人です。


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