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クリップミキサーのおもいで

毎年、春は人事異動の季節だ。
当時の私は、勤めていた会社が前の年に親会社に吸収合併されていて、今度は親会社の本部に異動になった。私にとって、まったく未経験分野の部署だった。

そんなときに、入社2年目、と3年目を迎えた後輩の女性ふたりから、餞別を受け取る、だなんてことがあった。

受け取った餞別というのが、「クリップミキサー」という一風変わった文房具だった。

職場の女性から何かものを受け取ったのはたぶん、はじめてだったとおもう。そのときの私は、彼女たちへ「ありがとう」という言葉くらいしか、返すことができなかった。すこし、舞い上がっていたとおもう。それでも「ありがとう」という気持ちは本当だった。

受け取ったものを、よくよくみてみると、私のことをよく分かっていた後輩たちならではの餞別だったんだなと、あとになって気がついた。

私は、当時から文房具や携帯電話など持ち物全般について、人とはすこし変わったものを好んで使っていた。通勤に乗っていたクルマは国産の3ドアハッチバックの小型車だった。女性や年配の方が好んで乗るような車種だったけれど、すこしばかり外観と足まわりに手を入れてあって、元気に走る仕様になっていた。排気音も少々うるさかったが、すべて法基準に適合していたから当然合法。車検証にもその旨の記載がされていたとおもう。社会人としての私なりの最低限守るべき線引きは分かっていたつもりだ。

だから、まわりから私がどう見られていたのかは分からないけれど、すこし変わっているヘンなヤツだったんだとおもう。

そんな変わり者の後輩になってしまった彼女たちには、すこしだけ申し訳ないな、という気持ちもあった。

そんな彼女たちから受け取ったクリップミキサーは、机の上においてくクリップをストックしておくための文房具だ。かわったカタチをしている。私は今まで同じものを使っているヒトには会ったことがない。やれやれ、変わり者の私にはピッタリじゃないか。私のこと、本当によく分かっているな。

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たしか、後輩の彼女たちは、それぞれ新入社員として2年連続で入社してきた二人だ。

ちいさな事務所に新人が2年連続で配属されることは、めずらしいことだった。

事務所の先輩方のなかには、「毎年新人じゃ面倒みきれない!仕事が回らなくなるじゃないか!上はいったい何を考えているんだ!?」と文句の声も上がっていた。

でも、そんなことはおおきなお世話だった。彼女たちはとても優秀だったから。私は内心、当時新人が2年連続の配属されることに文句を言っていた年長者の先輩たちに「ばかめ、仕事がまわらなくなっているのは先輩たちだけじゃねぇか!新人配属のせいにするなよ!」とおもっていた。

私は、彼女たちとはずいぶん歳がはなれていたけれど、事務所内では私でもまだ若いほうだったので私の担当業務を彼女たちに引き継いでもらった。コンピュータの入力作業や書類作成、文書のファイリング、電話のとりかた、関連部署への取次や連携、窓口のお客様への対応等々、私が教わってきたひととおりのことを、伝えていった。

彼女たちは、あっというまに覚えて身につけていった。若いから、という一言で片づけられるようなものじゃなくて、私はすこしショックを受けていた。

自分の成長はもう止まってしまっていて、どんどん置いて行かれて、通り過ぎていくような感じだった。私はそれを2年連続で経験した。

その翌年、私は親会社の本部への異動が決まった。

そのときに、2年連続で私の前をあっさりと通り過ぎていっていった彼女たちから私への餞別が「クリップミキサー」っていう、最初の話に戻るわけだ。

本部への異動といっても、新規事業の立ち上げで人が足りないからという理由、増援としての配属だった。求められていたものは、無理が利く体力と家庭状況(独身一人暮らし)くらいだったんじゃないかな。それには応えられたとおもう。

それでも、やはり行く先々でおそろしく優秀なヒトタチに出会って、そのたびに刺激を受けたり、打ちのめされたりした。

いろいろあったけれど、なんとかやれてきたつもりだ、と私はおもってる。

私が、また出先の事務所の配属になってから数年が経つ。もといたところとは別の事務所だ。

今、私には3人の部下がいる。でも「部下」だなんて言葉を使ったことも、感じたこともない。3人の部下は全員女性だ。

そして、私よりも確実に年上だ。年齢についてはタブーなので詳しくは知らないが間違いない。

ただし、今年入社してきた新人の彼女を除いて、だ。

ちいさな事務所に新入社員として配属されてきた彼女は、私にとって初めての「新入社員の部下」だった。

新人が配属されると聞いたときの私は、「今のこの状況で新人じゃ面倒みきれない!仕事が回らなくなるじゃないか!上はいったい何を考えているんだ!?」と文句を言っていた。

でも、そんなことはおおきなお世話だった。彼女はとても優秀だったから。私は内心、「ばかめ、仕事がまわらなくなっていたのはオレ自身に問題があっただけじゃねぇか!新人配属のせいにするなよ!」と、いつかの先輩たちと同じことをおもっていた自分に、いつかの自分がおもっていた言葉がそのまま帰ってきた。そのとき、自分をすこし恥じた。

…とまあ、去年の春から初夏くらいまでのことを思い出して、すこしはずかしく、すこしなつかしい気持ちになっていたのだけれど。

そんなときに彼女から、声をかけられた。

「グループリーダー。そろそろ私、あがりますね。お先に失礼します。」

「おつかれさま!夜も遅いから気をつけて帰ってね。また明日よろしく!」

事務所は、守衛さん以外はもう誰もいない。昼間はあんなに騒がしくて落ち着かないのがウソみたいに静かだ。ノートPCのファンの作動音なんて昼間には聞こえたことがない。

「ふぅ、来年度の業務担当の割振、締切までにきちんと考えないと…。けっきょく彼女の良さを活かせていないのは、私たち先輩が足をひっぱってるせいだ…どうしたものかな…。」

ぶつぶつと、ひとりごとを言いながら報告書の様式とにらめっこだ。

新入社員だとおもっていた彼女は、もうすぐ2年目になる。

私自身の仕事や課題は山積しているけれど、今は彼女が一番いい状態で業務に取り組める方法がないかを探している。

彼女もいずれ別の部署に異動する。私たちと一緒に仕事をしたことが、経験が、異動先の新しい場所での支えになってくれたら、こんなにうれしいことはない。それが単なる私のエゴだってこともわかってる。

ほかの先輩部下もおんなじだ。なぜか全員クセが強い。かくゆう私も似たようなものか。

いつか、全員ばらばらになる。だからできるだけのことはしておこうとおもう。

いつのまにか、自分のことより、ほかの、まわりの成長を楽しみにしている。自分だってまだまだこれから!という気持ちはあるけれど、あるていど先がみえてるということもやっぱりわかってる。それについて悔しいとか、まだあきらめていない、とかいう気持ちは、また別の場所に置いてある。だからいまはもう、まわりのひとたちの成長とは競合しない。

「じゃあ、あともうすこしだけ考えてきょうはおわりにしよう。」

私は、机のわきに置いてあるクリップミキサーをぎゅっと押し込む。

なにか気分をかえたくなったときによくやる、私なりのおまじないだ。

すると、ギリギリと音を立てながら、丸いボール状のクリップ収納部分を回転させながら起き上がってくる。

クリップを取り出すための動作だが、じつはあまり機能的な動きとはいえないものだ。動き自体はかわいらしいから機能性とかはこのさい関係ない。

「彼女たち、この仕組み教えてくれなかったんだよなあ。自分で気がついたのは何年後だったっけ?」

クリップミキサーに手をのばして、手元に持ってみる。

ころころとして、あいかわらずおもしろいカタチだ。ひっくり返して台座の裏にちいさくマジックで書かれた文字を読んでみる。

”2006年4月 Yさん、Kさんから”

私が自分で書いたものだ。あいかわらず、へんなところでこまかくて、センチメンタルなところがある自分が、なんだかすこしはずかしい。

「あぁ、こんなに年が前だったのか。二人とも旧姓だし。まあ新人だったから、あたりまえだけど。なつかしいや」

クリップミキサーを受け取ってから、私はずいぶん変わったような気もするし、全然変わっていない気もする。

そんな毎日の繰り返し…繰り返しというよりは、「積み重ね」のほうが私にはしっくりくるかな。

いいことも、悪いことも、やったことも、やらなかったことも全部、毎日毎日積み重なっていく。厚いところや薄いところがあって、丈夫なところと破れてしまいそうなところがある。

日々は毎回リセットされているようで、リセットされないまま引き継がれているところもある。

気持ちは日々、毎日あたらしく、でもいままでの痕跡は完全に消えてしまうわけでもなく…。

「あぁ、いかん。また別なこと考えてた!集中力切れてる!さっさと帰らなきゃ!」

あわてて、クリップミキサーをもとあった場所に戻して、私は帰り支度をはじめた。

(おわり)


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