4月25日 失語症の日
失語症は、脳の損傷でいままで出来ていた言語的なコミュニケーションが困難になるのだそうです。
言語を使ったコミュケーションというと、聞く、話す、読む、書くなどの種類がありますね。
よく考えてみると、失語症ではなくても全部をまんべんなくできているわけではないなあと感じています。
話すよりも書くほうが得意なひと。
読むよりも聞くほうが理解できるひと。
話すのは得意でも書くのは嫌いなひと。
聞いて理解するよりも、読み込んで理解したひと。
いわゆる健常者と呼ばれるひとたちだって、不得意な方法で伝えたり、理解しようとしたら苦労するしパフォーマンスはかなり悪くなってしまうとおもいます。
ましてや、失語症によって、いままで出来ていた言語を使ったコミュニケーションの方法が使えなくなってしまったらとおもうとコミュニケーションそのものをあきらめてしまいそうです。
失語症になったかたでも、非言語的なコミュニケーションは可能な場合が多いそうで表情やジェスチャーでコミュニケーションができるのだそうです。
なるほど、たしかに言葉が通じない外国人のかたとは身振り手振りで意思疎通をはかろうとしますし、ちいさな子どもと接するときは目線や表情を意識します。
言葉はとても便利だけど、ときには言葉に依存しすぎていることもあるのかも?と感じます。
どんな方法であれ、人と人がコミュニケーションをとれるということはとてもありがたいこと、けっしてあたりまえなことではないのだなとおもいました。
(きょうも一日、おつかれさまでした)