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ダニエル・ハーバート著『ビデオランド』関連動画リスト

翻訳チームのリーダーである生井英考さんと映画宣伝のプロである竹内伸治さんのお二人をメインで2月1日にジュンク堂書店にて、『ビデオランド』についての出版記念トーク・イベントを行いました。

手前味噌ではありますが、なかなか面白かったと思います。個人的には竹内さんが黎明期の日本のレンタルビデオ店が顧客へのダビングをやっていたというような私が知らない時代のレンタルビデオの歴史を教えてもらえて大変勉強になりました。

せっかくなので、トーク・イベントの中で見せながら解説した動画に加えて、『ビデオランド』と関連するアメリカのレンタルビデオの歴史を知る参考になる動画をまとめしたので、ここに公開します。

『アイ・アム・レジェンド』のマネキンを並べたレンタルビデオ店での社会的行為

この映画の中では、ウィルス感染症で人類がほとんど絶滅した世界で、ニューヨークのただ一人の生存者であるウィル・スミスが無人のレンタルビデオ店でマネキンを並べて社会活動をする。DVDやビデオそれ自体が大事なのではなく、レンタルビデオ店という社会的空間が重要なのである。

彼はビデオを所有するのではなく、空間を所有しそれを自分で使用する。彼は流し見やレンタルといった社会儀式をおこなうことで、この死んだ空間を活性化させるのである。『アイ・アム・レジェンド』が描くレンタルビデオ店は、メディア商品の周りで人々が交流する公共の相互作用的空間なのだ。ビデオストアとは主人公 が社会性を発揮する劇場だ。味深いことに彼は「社会」を、買い物客と店員の共同体と考えているのである。

p308


シアトルのスケアクロウ・ビデオの様子

米国最大のビデオ店である<スケアクロウ>は文化的ランドマークとなっており、『ビデオランド』でも議論されている。

実際のところ、<スケアクロウ>のコレクションは単なるランドマークを超えている。むしろ深遠なる文化的意義を持つ場といってもいいほどだ。ある作家は<スケアクロウ>を「近くからも遠くからも巡礼者を集めるオフビート映画のアレキサンドリア図書館」になぞらえた。

p137

<スケアクロウ>の店員は、日常業務のなかで店員同士や客との会話でビデオ資本を引き出し、再循環させ、建て増し、蓄積させていく。仕事外の場で映画の話をするだけでなく、彼らは一日中ずっと映画の話をしていて、お互いに競い合うような会話を何度もすることで、知識を深めていくのだ。[…]そこには彼らの好みの特殊性を高め、秘教的といっていいところに向かわせる社会的な力が働いていると思われる。

p144


ネットフリックスの歴史

今では映像配信の最大手であるネットフリックスも初期にはDVDを郵送するというビジネス・モデルであった。以下の動画チャンネルはネットフリックスの歴史をまとめている。

ケーブルテレビの「オンデマンド」サービスと同じく、<ネットフリックス>のストリーミングも、ネットにつながっていればテレビでも映画を購入、消費できるようにした。<アマゾン・ドットコム>も〇六年にVOD(ビデオ・オンデマンド)サービスを開始し、iTunes も〇八年に端末にダウンロードするかたちで映画のセル&レンタルを手がけるようになった。街なかのような社会空間で、モノのかたちをしたビデオ商品を買うという段どりをあっさりと回避して、これらのオンデマンド・ストリーミング型サービスは、無形のメディアを無形にショッピングするという時代の扉を開いたのである。

pp85-6


クライテリオン・コレクション

『ビデオランド』はハリウッドの作品だけでなく米国外のアート・シネマなどを配給することで差別化戦略をとった流通業者たちも議論している。アート・シネマのDVDを買おうと思うと今では大体クライテリオンで買うことになる。

一部のビデオ配給会社は、映画は芸術だという高邁 な理念を育てて流布させてきた。それらの専門流通業者は、高尚な映画(クォリティ・シネマ)が映画館から家庭へと主要な鑑賞の場を移すのにも重要な役割を果たした。ジェイムズ・ケンドリックとバーバラ・クリンガーが論じたように最も顕著な例が<クライテリオン・コレクション>であり、このコレクションは、独自性と多様なものを取り入れる方針に基づいて映画の準正典(スードキャノン)を作り上げてきた。豪華で魅力的なパッケージと、批評家や学者によるエッセイを含む豊富な「特典」のついた<クライテリオン>のDVD販売は、文化的な意義とフォーマルな優雅さを伝えている。

p238


ブロックバスター

90年代から2000年代初頭にかけては、アメリカのチェーン経営のレンタルビデオ店といえばブロックバスターだった。しかし、オンライン配信に押されて倒産してしまい、私がアメリカに留学したのは2011年からだったので、結局ブロックバスターの店舗を見ることは一度もなかった。

一九八〇年代後半から九〇年代にかけて、ビデオストアはアメリカの映画文化の枢要な座にあった。ビデオをレンタルすることはもはや当たり前の習慣になり、その大部分が<ブロックバスター・ビデオ><ハリウッドビデオ><ムービーギャラリー>などのレンタルチェーン企業のお決まりの店舗空間でなされた。ビデオストアの系列店化と標準化は最初期から試みられたことだが、これが業界を支配するまでに至るのは八〇年代の後半のことである。七〇年代後半から八〇年代が家族経営の店舗形態が業界に躍り出た時期だとすれば、八〇年代後半は映画流通がチェーン化され、経営形態が大手資本の手に再び集約された時期だといえるだろう。<ブロックバスター>や<ハリウッドビデオ>とその他いくつかのチェーン店が、九〇年代後半までに市場を独占した。

p67


パパママ・ショップ型レンタルビデオ店

ブロックバスターのような規格化されたチェーン店が普及する前は個人・家族経営のレンタルビデオ店が一般的だった。パパママ・ショップ型の店舗がアメリカ人にビデオを借りるという文化的行為を教えた。

八〇年代の初頭に急増したパパママ・ショップ型の自営のビデオ専門店は、外見や店内の構成や品ぞろえはそれぞれ風変わりだったものの、ある文化的な実践を利用して収益を上げた点では共通していた。映画をショッピングするというふるまいを、アメリカ人の日常的な慣習行動として定着させたのである。

pp56-7


大学のフィルム・スクール(映画学校)

アメリカにはロー・スクールやメディカル・スクールなどの専門化した高等教育機関があるが、同じように映画に特化したフィルム・スクールと呼ばれるものもある。著者のダニエル・ハーバードは南カリフォルニア大学のフィルム・スクールで博士課程の研究をし『ビデオランド』を博士論文として執筆した。ちなみに私の先輩にあたる。

専門店はシネフィルや知識人のコミュニティと互いに依存しているため、 学歴の人々が多い都市や郊外にあることが多く、文化的な豊かさを表す場が複数あるようなコミュニティにも適している。たとえば美術館や、より決定的なのは大学の存在だ。つまり専門店がローカル化する稀少で個性的でオルタナティヴな映画文化は、より公的な文化資本が流通する社会や制度と明らかに結びついているのである。

p134


『ビデオランド』の情報はこちらからどうぞ。


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