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初めての出産。「里帰り?」と聞かれるたびに帰る巣のない自分が浮き彫りになった

2022年の初夏、初めての出産をした。

入院中は6月にも関わらず私が住む南関東はとても暑い日が続いた1週間だった。

高齢出産と言われる年齢での初めての妊娠で、子どもを身籠った喜びよりも不安の方が大きかった妊娠期間、私はちっともハッピーな妊婦ではなかった。

世の中のハッピーな妊婦たちは皆、
マタニティマークをバッグに付けるのを喜んだり、
世界一幸せな洗濯と言いながらこれから生まれる子どもの為に用意した肌着に水通ししていた。

望んだ子どもだったが、確実に生まれるその時が来るまでとてもじゃないが私は心浮かれてた様子にはどうしてもなれなかったのだ。

私の母には障害がある。
(このことはまたおいおい時間を取って詳しく書いていきたい)

幸いにも私は健常だが、遺伝子はどこでどうなって出るかははっきりとは分からない。

医学的に遺伝の確率◯%と言えるものではないものなのかもしれないが(詳しくは知らない)、私のお腹の子は健常なのかと常に不安な10ヶ月だった。

安定期に入るまで、または気づかれるまで、自分が妊婦であることは自分からはほとんど打ち明けずに過ごした。

とは言え、私が妊娠中だと知った人は皆、新しい命を喜び勇気付けてくれた。

その勇気付けは素直に嬉しかったし、ホルモンバランスのせいで妊娠中に乱れがちな精神状態の中でも割と平常心で淡々と10ヶ月の日々を過ごす努力をし、そうできていた。



妊娠中、そして出産後。

人との会話の中でさも当たり前のように出てくるマタニティワードがある。

ー「里帰り出産の予定は?」

ー「里帰り出産はしたの?」

私は、里帰りはせず、今住んでいるこの地での出産を当たり前に選択した。

この地は、夫の転勤で妊娠が分かる2ヶ月前に引っ越してきたばかりの縁もゆかりもない、土地勘も、知り合いも皆無の地だった。

それでも迷う余地もなく即決でこの地で出産することを選択した。

なぜなら、里帰りしたところで産前産後共に私には戦力になってくれる人がいないからだ。

思い返せば、物心ついた時から大事な時に支えてもらえた瞬間が一度もない。

一度も…は言いすぎかもしれない。
が、私の記憶の中では自分の母が私の心の支えになってくれた瞬間は哀しいかな一回たりともないのだ。

はなから頼ることを期待していない。

私にとって、里は、実家は、母は、心安らぐ場所ではなかった。

子どもながらに外で戦って来て(学校での出来事や友達関係など)、それを話して受け止めてもらえるような環境が私にはなかった。

雛鳥が疲れた羽を休めるような安全地帯がなく、私の心には人が当たり前に持っている何か大事なものがポッカリ抜けてるような、足りないような、そんな寂しさがいい年になった今でもあるんだ。

ー「里帰り出産の予定は?」

ー「里帰り出産はしたの?」


悪気なく会話の流れで聞かれたその言葉を聞くたびに、

「ああ、そうか。“普通”の人には頼るべき場所が当たり前にあるのか…」

と、自分の置かれた状況に、とても冷静に引き戻される。

みんなは頼るところがあって素直に羨ましいなと思う。

でも「羨ましい」という感情を麻痺させて何処かに隠している自分がいる気もする。

出産-命を産み出すという経験-は思った以上に壮大な経験だった。

産まれて来た我が子を見たその瞬間から

「何があってもこの子を守っていかなければ!」と思った。

私の母も、私を産んだ時そう思ったのだろうか。


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