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【読書記録】鉄鼠の檻(京極夏彦)

高校生のときにハマって依頼、追い続けているシリーズの4作目。

9月に17年ぶりの新刊が出るということで久々に読み返そうと思ったら鉄鼠が思いの外、重厚で読み終わるのに2週間くらいかかってしまった…
新刊には間に合わなかったけど、改めて読みなおしてやっぱり百鬼夜行シリーズおもしれ〜〜!!となっているので、こつこつ再読する。

【あらすじ】

忽然と出現した修行僧の屍、山中駆ける振袖の童女、埋没した「経蔵」……。箱根に起きる奇怪な事象に魅入られた者――骨董屋・今川、老医師・久遠寺、作家・関口らの眼前で仏弟子たちが次々と無惨に殺されていく。謎の巨刹=明慧寺に封じ込められた動機と妄執に、さしもの京極堂が苦闘する、シリーズ第4弾!(あらすじより)

【感想(ネタバレあり)】

山奥にある京極堂も知らない謎の禅寺・明慧寺と明慧寺という箱庭に捕われた禅僧たちの話なんだけど、とにかく坊主が出てくる出てくる!坊主の洪水状態。初見のときは随分混乱した記憶がある。

でも名前が出てくるメインの禅僧は、それぞれの僧としてのスタンスや人間くさい部分がきちんと描かれていて、かなりキャラクターが立っているので、名前さえ覚えてしまえば結構区別がつく。

鉄鼠の檻というくらいなので、色んな人が色んなものに捕らわれている表現が出てきて巧妙。記憶という檻だったり、世界を認識する脳という檻だったり、自分の罪悪感から生み出された檻だったり…
山奥の、それも雪山の中に世間から知られることなく存在した明慧寺もわかりやすい一種の檻で、みんなそこから出られなくなっている。

狂骨の夢は、仏教の中でも真言宗とか密教とか、そちらがメインの話だったけど、鉄鼠の檻は禅宗がメインの話。禅と言えば臨済宗と曹洞宗しか知らなかったんだけど、その2つに別れる前の話(北宗禅と南宗禅)だったり、それぞれの修行の方法であったり、悟り方(徐々に悟る漸修漸悟、急にはっと悟る頓修頓悟)の違いであったり、禅宗の情報量がものすごかった。難しい部分もあって、何度も読み返したりメモを取ったり…こういうときはやっぱり紙の本が便利だよねぇ。

坐禅や修行によって得られた神秘体験を悟りと勘違いするのが魔境で、それを受け流すのがまた修行なんだも書いてあって、禅の修行っていうのは、生きている限り延々と続く奥深いものなんだな、と思ったり。

こういった禅の知識があれば、序盤も序盤の犯人の台詞で、犯人が南宗禅の流れを汲む明慧寺の中の僧の誰でもないということが、わかってしまうという…まぁ普通はわかりませんわな。

猟奇殺人、見立て殺人のように見えたのも、公案(禅の問答)のことを知っていれば、実はそういうつもりではなく、供養のつもりだったということがわかるという…いや、やっぱり普通はわからないよ…
序盤に出てきた敦っちゃんと鳥口の何気ない箱根の山の植生に関する会話(柏の木が少ない)が、この公案の話と小坂了然の死体が死後数日経って仙石楼の庭の柏の木に現れることとリンクするんだから、百鬼夜行シリーズは何気ない雑談や関係なさそうな情報も読み飛ばせない。

もう出てこないと思ってた過去作品との関係者やシリーズ間の繋がりも見えてちょっと嬉しくなる。姑獲鳥の夏の久遠寺翁や菅野はもちろんだけど、円覚丹貫首は狂骨の夢に出てきた真言宗に関係があってこんなところまで?!となった。

今回よく出てくる禅や悟りは言葉の外、脳の外のもので、わかったと思ったときにはわかってないというか、はっきり認識きたらもう認識できてないことになるというか、説明が難しくて、こうして言葉にしてしまう時点で、理解できた気がして理解できてないってことなんだろうけど、京極堂が得意とする憑物落としは言葉を匠に使って事象を解体するものだから、言葉では言い表わせられないとされている禅とは、ものすごく相性が悪い。

手に負えないものを相手にした不利な状況の中で、1人で明慧寺に行こうとする京極堂に対して、
関口「馬鹿云うな。君ひとりに行かせるかー」
京極堂「この先に面白い顛末はないぞ。不愉快な結末があるだけだ」
関口「構うものか!」
というシーンがあったり、警察に手配されていた榎木津が現れて「京極だけじゃ荷が重かろうと思ってね。わざわざ待っていてやったのだー有り難く思え」と言ったりして、君たち普段はあんな感じなのに、やっぱ根っこのとこではめちゃくちゃ仲良しじゃんかよ〜と1人で盛り上がってしまった。学生時代にこの3人で旅行に行ったという話が出てくるけど、旅行するって結構仲良しだよね?
最後、気絶した関口を背負って下山したのも榎木津だしね。腐れ縁というか、こういう関係性がエモいというのだろうか…

それから、鳥口、敦子、今川、久遠寺のセットでの行動が多かったんだけど、冷静かつ、ちょっとおちゃらけたこのグループと、何がなんだかわかってなくて頭に血が上っている警察の山下さんのやり取りが面白くて和んだ。

山下さんも終盤は既成概念がとっぱらわれて、柔軟かつ逞しくなっていて、最初は権威を振りかざす嫌な奴だったけど、最後はなんだか憎めない、というところまできたなぁ。

鳥口は今回ちょっと見直した。お調子者の青年に見えるけど、結構理性的だし、久遠寺翁の話をしたときの関口の反応を見て、関口を思いやったきりっとした対応をしたりとか、いいやつなんだよね〜

それから榎木津は相変わらず素晴らしかった。序盤の京極堂の真似事は去ることながら、明慧寺の異様な雰囲気や僧たちも物怖じせず、今回ばかりは榎木津の周辺だけが正常な気がした。
土牢での菅野とのシーンは1番よかったかも。このときだけは久遠寺の名前間違えないんだよね。やっぱわかってて間違えてるよね??
「釈迦も彌勒も彼の下僕に過ぎないーさあ云ってみろー彼とは誰かー」という公案を口走る菅野に対して「ぼくだ」と言っちゃう、そしてそれを聞いて菅野が大悟しちゃうのが痺れる。

百鬼夜行シリーズって、文字だけど舞台のような演出が多いよね。特に榎木津が出てくるシーンと京極堂が憑物落としするシーンはその気が強い気がする。読んでるだけで、場面がありありと浮かんでくるんだよね。

最後まで謎だったのが慈行和尚。榎木津にこどもだとか、中身が伽藍堂だとか言われたり、京極堂に禅など学んでいない、修行などしていない、心を伝えられていないと言われたり。祖父の悲願を叶えるために山を、寺を手に入れることだけが目的で、形は修行をしてるけど、中身が伴ってなかったということ?
夜坐をしてる常信和尚が判らなかったりっていうのはどういう意味だったんだろう。座る場所が決まってるから判らないはずがないって常信和尚は言ってた気がするけど、それなら修行がなっていないからわからなかったというよりは、規律を守ることに執着しすぎてそんなことにも興味がなかったってことなのかな?
ここだけ謎のままでなんだか気持ち悪い〜鉄鼠の檻の読書感想文になにかヒントがないか探しに行ってみようと思う。

次は絡新婦の理だ〜これも長いから時間かかりそう!

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