もやしのひげ根問題
もやしの「ひげ根」をとるのか否か…?
もやしを食べたいと思ったとき、ひげ根をとるかとらないか。
その判断は、私が食事を作るので、私が決めれば良いことなのだけど…。
スーパーでもやしを手に取り「ひげ根」を取るのは面倒くさいな。と思う自分がいる。
今は便利な世の中で、「根切もやし」なるものも売っているので、そちらを手に取ればいいのだけれど、結局完全にひげ根が排除されているわけでもないので、選択肢としては弱い。
もやし。使いたいな〜。
もやしと豚肉をさっぱりポン酢で食べたい気分。
でも、ひげ根を取るのは面倒なんだよな〜。
もやしコーナーでこんなこと考える時間ももったいないのだけれど、一瞬躊躇するぐらい、私はひげ根が好きじゃない。
いや、好きな人はいないのかもしれない。
在宅勤務の合間、昼休みを使ってスーパーで買い出しをしている昼下がり。
午後の仕事の予定と、小学校4年生の双子の習い事のスケジュールを勘案し、夕飯作りにかける時間を算出した。
思ったほど時間はない。
もやしの根っこは取らなきゃいいか。
そんなことを思って、もやし37円をかごに入れた。
ひげ根の呪縛
帰宅して、仕事を再開し、終業して夕飯作りを始めた。
もうここからはタイムトライアル。
もやしの袋に手をかけて、やっぱり思った。
ひげ根は取りたい。
これってもう性分みたいなもので、もっというとこれは私の育ちの問題なんだ。
ひげ根をとらない家庭もあるだろうし、料理屋さんでもひげ根がついた状態で野菜炒めが出てくることなんてザラにある。
食べられないわけでもないし、絶対に嫌なわけではない。
でも、ひげ根=カットする。と脳にインプットされているのだ。
小さい頃、台所に立つ母のとなりで、私はもやしのひげ根を取ったり、きぬさやの筋取りをしたり、海老の背わたを取ったり…。
思い出せば、小さいころ、よく台所で「お手伝い」をしていた。
母の隣で、ままごとのように、なにか作業をするのが好きだった。
母は言った。
「この一手間で美味しくなる」と。
まさか当時の記憶が、今もこんなに根強くインプットされているなんて。
時間もないのに、でも自分が取りたいんだもんな。
根っこを取ろう。
そう思って、結局ひげ根を取ることにした。
結局ひげ根は取りたい
無心になってひげ根をプチプチちぎっていると、さっきまで宿題をしていた息子がキッチンを通りかかって、「ぼくもやりたい」といい出した。
いいところに助っ人が表れたので、息子と並んでひげ根をちぎった。
時々息子がまちがえてひげ根をボウルに入れるので「それひげだよ」と言うと、「ママだって間違えてるじゃん」と言い返してくる。
でも、ひとりでひげ根を取るより楽しい。
もしかしたら、母もこんな気分だったのかな。
結果的に、今日も私はひげ根をちぎり、シャキシャキしたもやしを食べた。