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アニメ『BANANA FISH』は鬱になるのか?感想&アッシュの心理考察。

はじめに


BANANA FISHといえば、ネットでよく『見たら鬱になる』だとか、ボーイズラブだなんて言われている。

BANANA FISHのアニメは2017年から、原作は1985年からあったらしい。

それでも、今もネット上でBANANA FISHという話題があるのは、何かしら強烈な作品なのかなと予感した。

なので私は、2022年の冬にこたつでアニメを一気見した。
事前知識も一切なしに、漫画も読んでいない、アニメのみだ。

結果、鬱にはならなかった。

しかし。私が一番最初に思ったのは、銃の国や裏社会を生きる者の残酷さ。
そして、死の悲しさと理不尽さ。性的に搾取された者の孤独。

結末が辛すぎる!!

これらをうまく消化して、忘れ気味になってきた2024年(今)に、感想として書いていこうと思う。

流石にあんな辛い内容を見直すのができないので、記憶があやふやの状態で書く。以下から完全にネタバレ内容含む。


一番鬱になったシーン

ショーターが拘束されて、無理矢理、薬物投与されたところ。

そこが一番、鬱になった。(鬱というか辛かった)

アッシュが殺されたシーンよりも、酷くて心が締め付けられた。

声が、もがきが、リアルで見てて辛くなる。

この物語は、銃撃戦(殺し合い)のシーンも多かったが、
それでも、一番見ていて辛かったのは、ショーターが薬で人間ではなくなってしまう瞬間だ。

親友を目の前で、ある意味『殺されて』
ショーターではなくなった親友を、自分の手で殺さなければいけないという状況がひどすぎる。

敵対している者同士が殺し合うのはいいのだが、
仲間を殺したくもないのに、状況的に『殺す』しか選択できないのが辛い。

どれだけ人を殺してきたアッシュでも、友人を殺すことには胸が痛み、
殺した後も、何より罪悪感。

『自分は“殺す”ことしかできないのか』と突きつけられて、さらに殺傷の世界にのめり込ませるような裏社会の酷さを感じる。

実際、アッシュは肢体にムダ撃ちをするようなことがあった。これは、絶望感のあまり無心になっているのか、その表情にこの世の惨さを感じる。

銃で殺し合うのが当たり前の世界について

アニメを見終えて、感じたのが裏社会を生きる者の救われなさである。

そして、銃を持って殺すことが当たり前の世界と、
今自分が生きてる世界のギャップもある。

私は現実の今のアメリカの状態を全く知らないし、訪れたこともないから、こんなこと言える立場でもないが、

やはり、手元にすぐ銃を持ててしまう世界は何かが決定的に違うと思った。

ナイフよりも、素手よりも、銃のほうが『殺した』という感覚が少なくて済む。

だからこそ、終盤でアッシュが電動ドリルで殺し合った時、すごく恐ろしさと勢い、彼の覚悟を感じた。

引き金一つで、人間を殺せてしまう。

『殺した』という感覚が少なくなる、または麻痺する世界で生きている者は、どれだけの辛さ、深層に閉じ込めた罪悪感を抱えているかが分からされた。

アッシュがアニメの中で、どれだけ人を殺したか、撃ったかは数えきれないほど多い。

英二のように視聴者のほとんどは、『殺し』がすぐ近くにある世界を生きていないから、ある意味平和ボケをしている。とは思う。

だから、英二はアメリカでアッシュと、初めて会った時、
まるで『そういう世界の人』という一線を置いて、接することができたのだと思う。

やはり英二がその世界の人でない限り、
その惨さも考えずに、人として『助けるよ!』だとか『裏切らないよ』『ずっと味方だよ』『無抵抗の相手まで殺しちゃいけないよ!』『持たざる者の気持ちはわからないんだ』など身軽にいえてしまう立場ではあるのだ。

本気でそう思っていたとしても、それをある意味。
無謀に、純粋真っ直ぐに言えてしまう立場にはいる。

それが時に、アッシュの救いでもあり、辛さでもあったと思う。

これらが全て英二目線の物語だったら、我々はただ『アメリカにいる辛そうなアッシュ』を助けたい、『日本のような場所へ行って、平穏に幸せに暮らしてほしい』という共感性しかないだろうけど、

実際。アッシュ視点の多い物語なので、その世界で生きる本人の辛さ、当事者や周りの人々の憤りや孤独を、視聴者が感じられるようになっている。

これはお国柄だとか、置かれている環境も関係なく、共感できる部分が結構多くはあったと思う。

アッシュの人生が一番孤独だった

一番孤独だったのは、言わずもがなアッシュだろう。

彼は、容姿にも才能にも恵まれた人間だ。

けれど、運命に恵まれなかった人間でもある。

物語の中では、『アメリカ』の中にも、いろんな地域や場所があることもよく描いてる。

そして、どれだけ恵まれている人間でも。
それが一瞬で壊されるような出来事が、この世に塗れているのだと分からされる。

戦争や薬、暴力、加虐心が、一瞬でたくさんの人の命と心を奪った。
たった一つのカプセル薬が、たくさんの人生を狂わせてるのかが、わかる。

薬以外でも、アッシュの人生においては様々な要素が、彼の本来生きていく環境を壊した。英二やショータのような人間と生きていく道を、強制的に奪われたようなものだ。

幼少期の時の出来事は、その人の今後の人生に何度も現れ、本人の意思や希望すらも捻じ曲げてしまう。

アッシュは幼少期に大人の男に、性的に搾取された。

性的に搾取された者の生き方

レイプだとか、売春だとか、うまく言葉にならないので、
ここでは『性的搾取』とだけ表すが、

アッシュは幼少期に自分の児童ポルノ的な映像を撮られて、
その『カシャカシャ』という感覚が今も、思い起こされる。

トラウマはフラッシュバックするものだ。

彼は幼少期にそうされた後に、
マフィアで男娼として動き、性暴力的な方の道具として使われた。

刑務所に入った後も、同姓からそういうことを持ちかけられる。

BANANA FISHは結構、そういう『性的搾取や性暴力』の部分も描いてる。

そういう話題をマフィアの裏社会物語にガッツリ入れてくるのは、珍しいというか、そもそも同姓の強姦を出していることがすごいなと思った。

アニメ19話の。
アッシュが放心状態に陥って摂食障害になった時の、ゴルツィネとの会話もきつかった。

見ているだけで心が痛かった。
『便所と同じだ』と言った後に、狂ったように笑って、彼は自傷、自笑してた。
生きた便所に戻されるんだと、その吹っ切れた笑い声が、辛い。

『痛いか、小僧。』

『痛いか?傑作だろ。痛みすら感じないと思ってたのさ。人間どころが生き物ですらない』

『その気になった時、精液を流し込む。便所と同じだ、あは、はははははっはフハハッ』

sexの道具としか思ってない。

そもそも人間扱いなどされない、尊厳がない。

いざ、本人がその事実を口にした時、それが人生の諦めのような、絶望の中で笑いに帰ることしかできない状況が、きつい。

辛かったと、いう相手も、友人などの前では一切言わず、
レイプされた人間の前で、アッシュは、銃口を向けた。

レイプされた人間の前で引き金を引くのを、寸前で抑えた。

自分の写真を世間に見られてもいいとすら思ってた。

マックスがアッシュの過去のレイプ写真を、マッチで焼いて、

『もう忘れろ、いや、忘れられるもんならとっくにそうしているよな。だったらもう思い出すな。』

『こういうものにお前はもう支配される必要はないんだ』

と言った時、なぜかとても、自分も泣きそうになった。

レイプなどされたことなかったのに。
自分の過去の全てのしがらみ、トラウマ、から解放するような、
とても優しい言葉に感じた。

『レイプ』というとどうしても、『レイプモノ』っていうコンテンツとして見られがちで、「男と女のエロ」としてありがちで、本人のリアルな鬱やフラッシュバッグ、記憶の呪縛を入れるものは少ない。

だから、現実で実際にレイプをしたり、されたりしたことがない
私たちからしたら、その『辛さ』って全く分からないと思うんだよ。
当事者でもないし、本人たちの辛さやフラッシュバックを見たことが少ないから。

それでも、BANANA FISHは現実の酷さ、レイプだけではなくいろんな当事者の辛さを真正面から映してると思う。

アッシュの人生は。あんなに幼い頃から、この世の理不尽に蝕まれていた。

それでもアッシュはそれら全てを利用するくらいに、
自分の容姿も属性も環境も、使える者は全て使い、この世に一人で争った。

それが彼の孤高の強さと、深層にある報われなさ、救われなさを生んだのだ。

誰よりも孤独に、最期まで己を貫いた彼の生き様を見ると、
まさにキリマンジャロに登って死んだヒョウである。

そんな彼の生き様を見ると、かわいそうだとか、尊敬だとか、
そんなものではなくて。

心の底から、共感と『救われて欲しかった』という気持ちが溢れ出る。

薬や性暴力が、その人の人生に一度でも絡めば、
それは一生体を蝕んで、心を殺す。

性暴力も薬と同じくらい、持続性と刺激と、痛みを伴い、
長い人生を苦しませ、何度も脳に焼きつき、フラッシュバックする。

それが『正しい生き方』なのだと示唆するように。

実際性暴力を受けたものが、性的な仕事に従事することは現実でも多いことで。それは自分の過去を肯定するための取り組みでもある。

私はレイプとまではいかないが、幼い時、同姓に軽く性的いじめを受けたことがある。暴力はなかった。

同性から性欲を向けられる時。本来良き隣人であるべき存在に、性欲を勝手に押し付けられる失望感喪失感、人間不信になる。人間に期待できなくなる。

その人は友人だったのに、関係なくただ、欲に駆られて、一瞬私をそのようにした。

だからこそ、このアニメでアッシュの過去を見た時、本当は心の底で共感していた。

性暴力が行われるのは必ずしも、大人の男女間だけではなくって。
幼い子供にだってあるし、同性にもそれは向けられる。

男性から女性だけでなく、男性から男性、女性から女性、女性から男性も確かにある。

いつそれが、誰に対して起こるかなんて分からない。

ただの暴力でなく、性暴力という時点で、
本人がこれから同性や異性(様々な人間)と健全に仲良くなることだったり、友愛、恋愛など、
その人の根幹にある部分を揺るがして、破壊していることに変わりはない。

その部分が、良い意味でも悪い意味でも、
アッシュ本人の生き様を形作ったことに変わりはないのだろう。

薬が、性暴力が、その人の人生に一度も交わらなければ。
それだけで、どれだけ今幸せに生きることができたか。

と考えさせられる。


アッシュにとって英二は『安心できる場所』

そのような生き様のアッシュにとって、英二はどんな存在だろうか。

私は英二よりもアッシュに共感があるので、考えやすいのだが、

今まで孤独に戦ってきて、この世の全てに抗って、
殺すか殺されるかという環境にいたものにとって、

英二のような人は、唯一安心できる場所であろう。

そして『失うのが怖い』と初めて思う。

『失うのが怖い』のは、情があるからだ。

情がなければ、ただ『殺す』か『殺される』になるだけの世界だから。

そして英二は純粋そのものである。

何も考えず、ただ人間として扱ってくれる。
純粋な感情で。

そんな英二が傷つけられたら、
ある意味それは、アッシュにとって唯一の純粋そのものである。

それを血と血で汚されることなど、絶対望んでいない。

だからあれほどにまで、アッシュは友人が傷つけられた時、
死体撃ちまでした。何度も撃った。

それほどの怒り、憎しみ。

幼少期から、安全な居場所がなかった(または常に危険に晒される)アッシュのような人は、恋とか愛という以前に、子供の頃の安住の場所を大人になってから、探し求めて、葛藤し苦労することが多い。

だから、アニメの日常シーンで、
英二とアッシュは若干、兄弟のように見える。

アッシュの幼少期の救われなさと、現在の酷い世界で生きる憤りを、
唯一受け入れ、浄化してくれるのが英二ではないか。

『何があっても味方だ』と無条件に肯定してくれる英二は、
まさに良き親像や兄弟像である。

そしてアッシュは英二のことを、こう思う。

『俺は今幸福なんだ。この世に少なくともただ一人だけは、何の見返りもなく俺のことを気にかけてくれる人間がいるんだ』

『偽物に囲まれて生きるよりずっといい』

互いに何の見返りもなく、自分のことを忘れて、相手を大切に思えることは愛かもしれない。

でも、アッシュの『英二を傷つけるものがいれば、躊躇なく殺す』は、愛ではない、何か愛よりも意味を持ち過ぎていると思う。

それはアッシュの中で英二が神聖化されているように感じる。
英二が汚されなきもの、親、神とか大きな意味を持ってる。

アッシュの環境的に、その役割を担ってくれる人は一人もいなかったのに、
突然英二が現れたことで、それが救いだと思い、それを失うくらいなら死んでもいいって、思えるくらいの感情が抱けるのは、何か当たり前のように感じる。

おそらくアッシュにとって、英二は初めての親(安全基地)である。

それを失うくらいなら、
自分が彼に関わることで、彼が傷つくなら、
少しでも死の可能性がある世界に、英二(安全基地)がいるのは、ダメなんだ。

英二を安全なままで生きさせるためになら、自分が死んでもいい。
みたいな思想が、後半には結構出てたけど、

最後の最後で、その彼の踏ん張りは途切れた。

英二の手紙で。

『アッシュ 運命は変えることができるんだ』

『君は一人じゃない 僕がそばにいる 僕の魂はいつも君とともにある』

その言葉を受け取った時、アッシュはもう、心の全てが安心しきっって、
やっと自分のままで心地の良い場所(仲間、英二、日本、天国など)へいける準備ができてしまった。

運命は変えることができるという言葉の通り、
彼は突き進んで、最後を迎えた。

彼は彼の世界に最後まで必死に抗ったのだと、思った。
結果、彼の仲間や周囲の人間、友人、彼本人は、最後にそれぞれのあるべきところに戻れたのかなと。

泣きそうになるだろ。
まじで辛い。辛いシーンが多かった。

殺し合いに、愛がわからない、生まれながらにして愛に飢えている人々、
多すぎて、見るに耐えなくて、辛えよ。

アッシュが望んでいた最後は、この通りだったのだろうか。

本人にしかわからない。
けれど生前のアッシュの発言を見れば、そうなのかもしれない。

英二に会わずに迎える死と英二と出会って精一杯生きて、殺して迎えた死。

アッシュは幸せそうな顔に見えた。

英二の場合はどうだろうか。

英二はアッシュとあって迎える死の方が良かったと思えるだろうか。
英二はアッシュと一緒に死ぬことはできない、生きてかなければならない。

アッシュに対して、エイジは心配しながらアメリカを出た。

英二は、今後の人生どうなるのだろうか。
幸せになれるだろうか。

そこまで考えると辛くなる最後だった。
飛行機のチケットの答えは一生返されないだろう。

おわりに

アニメ全話通して、辛くなるシーンが多かった。
鬱とまではいかないが、苦しい。

でも現実のような、純粋な人間を無情にも蝕む薬、トラウマ、過去、環境の全てが、描かれていて、それらを直視する機会となった。

BANANA FISHを見れて良かったと、思った。
Prayer Xのアニメエンディングも聞いてて、すごく心の底が揺れる。

MVもアッシュ自身を表してるようで辛い。

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