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ゼレンスキー大統領の国会演説(和訳)

1月下旬から2月下旬にかけて、プレゼンテーションの指導と
本番のアテンドでベルギー・ブリュッセルに出張してきました。
コロナ禍の最中で色々と興味深い経験をしたので
そのときのことをノートにまとめようと考えていましたが
ウクライナ情勢がこんなことになったのでそれは後にします。

去る3月23日(水)、ウクライナのゼレンスキー大統領が
日本の国会でスピーチを行いました。
既に報道やSNSで和訳が出回っていますが、ダイジェストが多く
全訳されているものは文語調の堅い文面が多いようです。
和訳問題の解答とすれば間違ってはいませんが、その書き方では
日本語のスピーチ原稿としてはどうも心に響かないと感じます。
そこで、ウクライナ政府が発表したウクライナ語の原文と
Japan Times紙が報じた英訳を横並びで基にした上で
日本語の口頭演説としてもう少し心に入るよう訳してみました。

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(Photo by The Government of Ukraine - Volodymyr Zelensky Official portrait.jpg / CC BY 2.0

(以下、訳文)

親愛なる細田様、山東様、
岸田首相、
栄えある日本の国会議員の皆様、
そして、親愛なる、日本国民の皆様。

日本の国会史上、ウクライナの首相として初めて演説の機会をいただいたことを大変誇りに思います。私たちの首都キエフと東京には、距離にして8,193kmの隔たりがあります。飛行機であれば、ルートにもよりますが平均でおよそ15時間かかる距離です。ですが、我々が自由を願う気持ちにそこまでの隔たりはあるでしょうか?生きたいという強い思いは遠くかけ離れていますでしょうか?平和を切に祈る気持ちはどうでしょうか?

2月24日、私はそこに隔たりはないと確信しました。キエフと東京は1ミリも、そして私たちとあなた方の思いも寸分たりとて離れてはいなかった。現にあなた方は私たちをいち早く助けに来てくださいました。そのことに私は深く、深く感謝しています。ロシアがウクライナ全体の平和を壊したとき、世界は心から戦争に反対しているのだということがすぐに分かりました。世界は自由を、その安全を、そしてそれぞれの社会の調和と繁栄を、心から願っているのだということも。日本はアジアにおいて、その先頭に立つ存在となりました。ロシア共和国が始めたこの野蛮な戦争を止めるため、あなた方はただちに働きかけてくださいました。ウクライナの平和のため、ひいてはヨーロッパの平和のため、すぐに動いてくださいました。それは真に、非常に大切なことなのです。地球上の一人ひとりにとって、大切なことなのです。なぜならウクライナの平和が失われると、誰も未来を信じることができなくなってしまうからです。

皆さまはチェルノブイリとは何か、よくご存知かと思います。1986年に大爆発を起こした、ウクライナの原子力発電所です。爆発により大量の放射性物質が大気中に放たれ、その結果は地球上の至るところで観測される事態になりました。同発電所から半径30kmの圏内は、現在も危険区域として閉鎖されています。この発電所の爆発による悪影響を除去する過程において、何千万トンもの汚染された物質や瓦礫などの廃棄物、自動車などが閉鎖区域の森林に廃棄されました。廃棄と言っても、単に大地に埋められただけです。

2月24日、その大地をロシアの軍事車両が踏み荒らし、放射能汚染された粉塵が再び大気中に撒き散らされました。そしてチェルノブイリ発電所は武力と武器によってロシアに占領されました。大災害の起きた原子力発電所を想像してみてください。破壊された原子炉を閉じ込める壁を、そして核廃棄物の保管施設を管理する様子を、思い浮かべてみてください。ロシアはそのような施設でさえ、戦争の舞台に変えてしまったのです。そしてロシアはこの閉鎖された30km圏内の区域を、私たちの守りに新たな攻撃を仕掛けるための準備に使用しているのです。彼らがチェルノブイリに一体どれだけの被害を与えたか、放射能廃棄施設のうちどれを損壊したか、そして放射線を帯びた粉塵が如何にこの星に拡がってしまったか…それを調べるには、ロシアがウクライナから撤退した後に何年もかかることでしょう。

皆さん。

私たちの国土には今も稼動中の原子力発電所が4つあります。そしてそこには15個の核ユニットが存在します。これらすべてが今、戦火の脅威にさらされているのです。ロシア軍は既にヨーロッパ最大の原子力発電所であるザポリージャ原子力発電所をタンクで砲撃しました。数百ものプラントが損傷し、その多くが特に危険な状態に陥っています。また彼らの砲撃はガスやオイルのパイプラインや炭鉱も脅かしています。先日、ロシア軍はウクライナのスームィ地方にある化学工場にも砲撃を加えました。そしてその結果、アンモニアの漏出が発生しました。さらに私たちは化学兵器、特にサリンを使用した攻撃も辞さないとロシアから警告を受けました。かつてシリアで実際に起こった状況と同じです。

現在、世界中の政治家が「ロシアがもし核兵器を使ったら、どう対応すれば良いのか」という問題を議論しています。もし本当にそのような事態が起これば、世界中のあらゆる人から未来への希望が、信頼が、すべて奪われてしまいます。そして、国という国はことごとく滅亡してしまいます。

私たちの軍隊は既に28日間に渡って、ウクライナを壮烈に守り続けています。28日間、世界で最も大きな国家が全面的に仕掛け続けている侵略に耐え続けています。しかし彼らは単に面積が最も大きいだけです。未来の可能性が最も大きい国家では決してありません。世界への影響力が最も大きい国家でもありません。むしろ道徳的な観点で言えば、最も矮小な国です。

ロシアはウクライナの平和な都市に対して、これまで1,000発以上のミサイルと数え切れないほどの爆弾で攻撃してきました。そして何十もの町を破壊しました。完全に焼け野原と化した町もあります。ロシアに占領された多くの町や村では、殺された親戚や友人、近所の人々をきちんと弔うことも叶いません。破壊された家の庭や道ばた…とにかく可能な場所に、ただ埋めることしかできないのです。死者の数は既に数千人。その中には、121人のいたいけな子どもたちも含まれています。

現在、ロシア軍の攻撃から避難するために約900万人のウクライナ人が家や生まれ故郷を追われています。人々が命の危険から避難するにつれ、私たちの北部、東部そして南部にある領土は廃墟と化しつつあります。またロシアは私たちに対して海上封鎖も行っています。つまり私たちは通常の交易や物流のルートを断たれた状態にあります。海路を断つことで自由国家に圧力をかける。ロシアはその方法を、他国の侵略を企てかねない国々に示してしまったと言えます。

皆さん。

一国が世界の安全を破滅し尽くす、なんてことは不可能である。そして国家の自由を支える基盤が世界から失われることは、決してない。今こそ、ウクライナや仲間となってくださる国々、反戦の絆で結ばれた我々の連携がそのことを保障する時です。人々や、社会の多様性を守るために。国境の安全を守るために。そして私たちや子どもたち、そのまた子どもたちの世が平和であり続けるために。

皆さんがご覧の通り、国際機関は効果的に機能していません。国連や安全保障委員会ですら…今の彼らに一体何ができるというのでしょう?ただ口で議論するだけでなく、決定権と影響力を行使できる、存在意義のある組織になるためには、彼らの再編成が必要です。そうして公正の精神を注入されなければなりません。

ウクライナを相手にロシアが仕掛けた戦争によって、世界は不安定になりました。世界は今、多くの新たな危機の瀬戸際にいます。明日がどんな日になるか、確信が持てる人がいますか?世界市場の混乱は、さまざまな原材料を輸入に頼っているすべての国にとっては大きな問題です。環境問題や食糧危機の深刻さは、かつてないレベルに高まっています。そしてもっと重要なのは、まさに今、この星で侵略を繰り広げている国やその企てを持った国が、ある判断を下そうとしていることです。その判断とは「課せられる罰の重さを考えれば、戦争や世界の破壊など割に合わない」と確信するか否か。だからこそ今、責任ある国家が一体となって平和を守る姿勢を示すことは極めて正しく、筋が通ったことなのです。

このような歴史的な瞬間に、あなた方の国が真の支援をウクライナにしてくださることで主役となる立場にあることを、私は大変嬉しく思います。平和を取り戻すため、あなた方はアジアで真っ先にロシアに実質的な圧力をかけ、制裁を支援してくださいました。そして今後もそれを継続してくださるよう、私はあなた方に切に期待します。
またこの状況を平定するため、私はアジア諸国やそのパートナーに一丸となったご尽力をぜひお願いしたいと思います。それを以てロシアが平和に目を向け、私たちの国ウクライナへの野蛮な侵略という津波を止める道へと繋げたいのです。具体的には、ロシアとの貿易を禁止する必要があります。ロシア軍の資金源を断つために、企業をロシア市場から撤退させる必要があります。ロシア軍をさらに後退させるために、私たちの国や攻撃にさらされている最前線、兵士たちを支援していただく必要があります。ウクライナを復興させるために、今からその計画を考え始める必要があります。ロシアに破壊された都市や、荒廃させられた領土の暮らしを如何に取り戻すか。人々は自らを育み暮らしてきた我が家であり、心の故郷である元の場所に帰らねばなりません。日本の皆さんにはきっと、その気持ちを分かっていただけると思います。何としても自分の土地に帰りたいという、その気持ちを。

私たちはまた、新しい安全保障の仕組みを作り出す必要があります。そうすることで、平和への脅威が生じた際に予防的に強力なアクションを実行できるようにするのです。その仕組みは果たして、これまでの世界構造をベースにして作り出せるのでしょうか?このような戦争が起こった今、それが不可能なことは明らかです。私たちは侵略などいかなる攻撃的行動も起こらないよう、実効性の高い新しい方策や保障の仕組みを創造しなければなりません。そこには日本のリーダーシップが不可欠です。ウクライナを、そして世界を代表して、それをあなた方に託したいと思います。世界が希望や確信を取り戻すために。それは、どんな明日が待っているのかという希望であり確信です。そして明日は必ずやって来る、そこには必ず安定と平和がある。そう私たちや未来の世代が信じられるように。

皆さん。
日本国民の皆さん!

我々には共にできることがたくさんあります。今、想像できる以上にたくさんあるはずです。皆さんの国には素晴らしい発展の歴史があったことを、私は存じ上げています。如何に調和を創り出し、それを守ってこられたかということも。信じる主義に忠実に生き、命を重んじる。そして自然環境を慈しむ。そんな精神性が皆さんの文化にはあります。それはまた、ウクライナ人が心から愛することでもあるのです。何か物で証明するのは難しいですが、これは間違いない真実と言えます。
2019年、私がウクライナの大統領になって6ヶ月経った頃、私の妻オレナは視覚に障がいがある子どもたちのためのプロジェクトに参加しました。それはオーディオブックを制作するプロジェクトでした。そこで彼女は日本の童話をウクライナ語で朗読する役を担いました。なぜなら、それらの童話は私たちウクライナ人やその子どもたちにとっても非常に共感できるものだったからです。これはあなた方が生み出したものに対してウクライナ人が持つ、大いなる関心のごく一部に過ぎません。
国としての距離は遠く離れていますが、私たちはよく似た価値観を分かち合っています。同じ暖かい心を持っている私たちにとって、距離など本当は存在しないのです。共にこの事態に向き合い、ロシアにさらなる圧力をかけてくださることで、私たちは平和を取り戻すことができるでしょう。国を再び建て直すこともできるでしょう。そして国際機関の再編成を実現することもできるでしょう。
そのとき、日本はきっと私たちの側にいてくださる。そう信じています。まさに今、そうであるように。反戦の絆をもって、我々人類すべてが重要な岐路にいる今、そうであるように。

Thank you!
ありがとうございます!
ウクライナに栄光あれ!
日本に栄光あれ!

(以上、訳文)

カナダやアメリカ、欧州で彼が行ったスピーチとは
内容が大きく異なっており、日本向けに新たに書き起こされています。
そのことは「原発」「津波」「帰れない故郷を思う避難民」「核兵器」
また中国と日本の関係を意図したと思われる「海からの侵略計画」など
日本人にとって自分事として響く切り口にフォーカスしていることや
日本の童話を例としたウクライナ人と日本人の精神性の共通点を
クロージングに取り上げていることからも明らかです。

またスピーチとしての印象や余韻を深めるためのレトリックも
積極的に使われており、決してアドリブで行われたスピーチではなく
事前に練って書かれた原稿が存在することが分かります。
一方、原稿の存在をほぼ意識させない自然な話しぶり。
視線の動きから判断しておそらくプロンプターを使っているか
もしくは原稿を表示した大きなモニタの前にカメラを置いているか。
完全暗誦ではないと思いますが、それに準じるレベルの表現力でした。
顔の表情や声のコントロールも適切。
不屈の精神や日本国民に思いを伝えたい熱意も十分に感じる
素晴らしいデリバリーだと思います。
それと地味なポイントですが、画角が完璧です。

工夫の余地があるとすれば段落レベルの構成ですが
(話の内容がやや行ったり来たりしている印象を受けます)
それを変えて訳すとスピーチを書き直しているのと同じになるので
あえて段落レベルでは原文の構成を尊重して訳してみました。
その上で、段落内の文や節、句、単語については意を汲んだ上で
順番を入れ換えたり補足、省略しています。

ちなみに彼は大学を卒業後、コメディアンや俳優として活躍し
映画・テレビ番組等の制作者も20年近くやっていたそうです。
政治家歴は直近の約3年間に過ぎませんが
政治家に絶対不可欠な素養、リテラシーだとボクが考えている
「自分自身が優れたメディアとなれるスピーチ力」は
十分に備えている方だなと理解しました。

なお、このスピーチの後に某参院議長が聴衆を代表してコメントし
「内容が薄い」「言葉選びが不適切」「話術が稚拙」などと
ボロカスに叩かれていましたが…
彼女もテレビタレント・女優歴20年、政治家歴50年だそうです。
それについて論じることは、ここでは控えます。

歴史の重要な場面で役目の重い政治家が行うスピーチは
その多くがスピーチ自体を学ぶための絶好の教材になります。
このスピーチについても各語版を比較しつつ分解、詳解して
「どんなレトリックが使われているか?」
「どう再構成すればより良くなるか?」
「どのデリバリー技術がどんな効果を上げているか?」
等々を大学の講義にて取り上げたいと思います。
またその際は、日本の政治家による悪例も取り上げます。
(甚だ残念ですが良いスピーチを理解する上で絶好の比較対象ゆえ)

最後に、このスピーチがテレビでライブ中継された際の
同時通訳のクオリティが低かったと非難する声がありますが
ボクはスピーチ(特によく練られたレトリックを含むもの)の真価を
同時通訳で表現するのは非常に難しいタスクだと思います。
スピーチは日英ですら専門の通翻訳者がいるほど。
ましてや同時通訳、しかも通訳リソースが潤沢ではなさそうな
日本語〜ウクライナ語であれば相当ハードルが高いはず。
抄訳レベルで含意を含めた半分でも伝えられたら上等かと思います。
せめて日本側が数時間前に原稿を入手できていれば
事前に翻訳して本番はアテレコするという方法をとれたでしょう。
その方が遙かに理解もしやすく心にも響く通訳になったと思います。
ただ今回のようなケースで事前に原稿を渡せというのは非現実的ですね。
表現上の演出効果を優先した結果、しばしば正しい文法から逸脱する
スピーチのようなコミュニケーションをAIが(その演出も含めて)
同時通訳できる時代は、もう少し待たないとやってこない気がします。

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