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バッターボックス

9回裏2アウト、ランナー1塁。3点ビハインド。
そんな状況で自分にバッターボックスが回ってきたら、どうするか?

ぼくは、この打席で、バットをいつもより短くもち、右方向に意識をむけ
セカンドの頭の上を狙う気持ちで打席でボールを待つ。

点は取らなくてよい。右に転がす、力強く1、2塁間を抜く。

「自分が主役になること」よりも、次のバッターにつなぎ、チームが勝つことに徹する。

高校野球をやっているとき、そんな選手だった。


中学では黙っていてもレギュラー。周りからも一目置かれる選手だった。
試合で活躍すれば褒められ、結果を出すための努力も他の人よりはやっていたと思う。

そんな僕は、「甲子園に行きたい」という想いから、秋田県で1番甲子園に行ってる高校に進学した。

「俺が中心選手で甲子園に行くから。」

そう言って、24人いた中学のチームメイトの中で一人だけ名門と言われる母校の門を叩いた。


高校に入り、野球部に入り、1週間。
レベルの高さに驚愕した。

同級生でも、足の運び、ゴロの取り方、ボールへの入り方
ボールの飛ばし方、体型、全てがチームのなかで真ん中より下だった。

先輩の気合い、グランドの雰囲気、オーラ。
すべてに圧倒された。

「このままだと、口だけで終わる」という焦りから、人一倍練習をした。

それでも差が縮まる気配はなく、「野球だけに集中する。俺は甲子園で勝つこと以外考えない」と、スマホやらなんやらを全て売り、野球しか考えられない環境に身を置いた。


話は変わるが、
僕は3人兄弟の末っ子。姉ちゃんと兄ちゃんがいる。

姉ちゃんは今年結婚をする。秋田で医者として頑張って働いている。
兄貴は国家公務員。僕なら絶対に就かない国税庁で働いている。

昔から勉強もでき、スポーツも頑張る兄弟。
僕はプロレスラーに憧れ、好きなことしかやらない奴だった。

「俺は野球がある。甲子園に行ってやるから」

その気持ちのほんの一部に、「俺の輝く場所は兄貴や姉ちゃんみたいに勉強じゃない」という中坊の意地があったことは否定しない。


そんな自分の高校3年間。必死だった。

野球っていうのは残酷で、どれだけ努力をしても、その1打席で結果が出なければ、努力は水の泡になる。そう思っていた。

補欠の僕に与えられるのは1打席やそこら。

「代打、鷲谷」

「この打席で結果を出さなければ」と、バッターボックスの中で足が震える。

でも、震えている時は、いつも結果はついてこなかった。

その理由はよくわからない。

でも、きっとその時の自分は「自分の結果」のことばかり考えていたんだと思う。

「俺はあれだけやったから大丈夫」

「俺が甲子園で、俺がレギュラーで」

そこにあるのは、俺が、俺が、俺が、俺が。

常に「俺」だった。

だから、悪い想像も「ここで打てなかったら、俺はもうベンチに入れないのかな」という、自分のことばかり。

そんな失敗をずっと続け、高校2年が終わるまでなんの結果も出なかった僕は、高校3年生の時にマネージャーとなり、それが転機だった。

「自分」のことのすぐ横に「チーム」のことがある。

「このチームをどうやったら強くなるか」それを考える毎日だった。

裏方の仕事をし、監督に話をして、練習メニューも決めた。
時には、今週のメンバー(練習できる選手)をチームメイトの中から決めるときもあった。

「あいつ頑張っているのに」と、仲間の名前を書いては、何度も消した。


そんな僕にまた同じ展開が来た。

「代打、鷲谷」

9回裏2アウト、3点ビハインド、ランナー1塁。
負ける直前の代打。

緊張はいつも通りしている。
でも足の震えも、過度な不安もない。

ネクストを見て、バッターボックスに入り、バットを短くもつ。

タイミングはネクストでバッチリ測っていたから、大丈夫。
あとは、初球か2球目でくるであろう真っ直ぐを右方向へ弾き返すだけ。

腰を引く、タイミングはよい。
低めにまっすぐ、多少低いが叩きつける。

ボールは1、2塁間を抜けていく。

次に繋いだ。

その練習試合は負けたが、練習試合終了後、監督から
「鷲谷を見習え。打ち方めちゃくちゃだけど、気持ちが違う。なんとかしようっていう気持ち。ああいうのが良いんだよ」

そうチームメイトに向けた言葉があった。


僕の良さは、泥臭いところ。

どんなに結果が出なくても、それに向けて真剣に取り組める自信はある。

どんなにカッコ悪くても、折れない根っこがある。というかそれしかない。

僕は大学4年生になり、これから社会に出る。

きっと、やることは違えど、姿勢は変わらないんだと思う。

利益、損得、表面的、
本当の関係・繋がりとは何かがわからない今の社会でも
僕は泥臭く、そこに揉まれながらも、今日を必死に生きていくと思う。

それが、鷲谷建だと思う。


高校3年間、結局甲子園には1年生の時に先輩に連れて行ってもらってからいけなかった。自分たちの代も負けてしまった。

中学の時、夢見ていた景色とは違う今を生きている。

かけ離れた今を生きている。

でも、僕は高校3年間で「姿勢」について学んだ。

「素直・謙虚・ひたむき」

高校の監督がよく言っていた言葉だ。

まだまだ素直になれないところ、謙虚さを失いそうな時、ひたむきに努力を続けらない時もあるが、僕はそれを目指して、今日も生きようと思う。

火曜の昼から、なんか物語のような文章を書いてしまった。

でも一度も手を止めることなく、スッとかけた。

今日も清々しく生きれそうだ。

さあ、頑張ろう。前に進もう



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