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君の ”ばあば” とわたしの母

「はる、君を待つ。」と言うタイトルでマガジンで連載を続けているのに、最近の私の文章には君のことがちっとも書かれていない。(ごめんね。)
君のことはとっても大事。でも私自身のこともとっても大事。
まだ、私の中にいるから、君の大切さにちょっと鈍感になっているところもある。
産まれてから「あー!!もっと私の中にいたときにああしていればよかった!」と悔しがってもそれは私のせいだね。

ぽこぽこと等間隔でリズムを刻んで、君は存在を知らせてくる。ぐっぐっ、ぐりぐりと体を縦にしたり横にしたりしている。この前先生が、君のお尻の位置が私の胸の真下にあって、膝を伸ばして入っているって教えてくれて、ふふっと笑った。
「人」が一人、自分のお腹の中でお尻を私の顔の方に向けて縦になって生きてるなんて可笑しいから。
そう、だから、どうしたって君のことを気にしないわけにはいかない。

今日は君のことを思って、最近は”ばあば”と自分を呼ぶ、私の母のことを話したい。

母とはずっと離れて暮らしていたから忘れていたことがある。母は、とんでもなく私に優しい人だ。他のおかあさんを知らないから比べようもないのだけれど、私が元気がなさそうだと決まって「大丈夫よ」と顔を見て話しかけてくれた。
パートの日でもご飯は必ず用意があって、「冷蔵庫に昨日の炒飯の残りと冷凍食品のコロッケがあるから、それをチンして食べてね!」と書き置きをしておいてくれるような人。
それが当たり前ではないんだと感じたのは結婚してからで、毎朝りんごを剥くことも部屋をきれいに保つことも、私には無理だった。

母は、私がソファーに座っていると隣にきて、ふわふわの泡を壊さないように大切に私のお腹を触る。”触る”と言うよりも、触れてはいけないものを触れるようにお腹に手を”乗せる”と言った方が正しいかもしれない。
そして私のお腹を見ながら、「かわいいね、かわいいね。」と何度も、本当に何度も言う。
娘の大きく育ったお腹をみて、こんなに優しく「かわいいね」と言えるのが母親らしい。たぶん、私よりもずっと君を「かわいいね」と思っている気がする。

私はまだ、自分のお腹を見てそんなに何度も「かわいいね」とは思えない。この大きなお腹は、”自分の”お腹であって、その奥に生きている”君”を、そこまでありありとは想像できていないのかもしれない。
十月十日一心同体ではない君のことを、心から「かわいいね」と言えるのが、私の母で、君のばあばだよ。


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