8年ぶりのお留守番
横浜の実家に里帰りをして、もうすぐ2週間。
すっかりこの家の人に戻ったかと思えば、そうではない。自分の家ではあるけれども、どこか自分の知っている家ではなく、父と母の関係性は実家を出た8年前とは何かが変化していて、私はこの家から随分遠のいたのだなと感じる。
実家では、出てきたご飯を食べ、ソファに座って物書きをしたり、パソコンやスマホを見ながらこれからの自分のことを考えたりして、夜になったらお風呂に入って寝るだけ。
普段夫と2人で生活している中では絶対に耳にしない、父と母の生活感のある会話、父がよく見るゴルフ番組や車番組、ちっとも面白くないお笑い番組がノイズになって、自分の思考を乱されるのも、なんだか懐かしい。
それが、今日はこの家に私ひとりでお留守番なのである。
昼過ぎから父と母が、歩くのも億劫な私を置いて買い物に出かけた。少し丘の上にあるマンションの7階の窓からみる外は、雲ひとつなく晴れていて、スッキリしていた。4月上旬だというのに20度を超える夏日らしく、今日私に会いに実家に来てくれる夫は「半袖で行くね」とちょっと楽しそうに言っていた。春の強風でベランダに干した洗濯物が、父が大切にしている盆栽に引っかかっていて、私はベランダに出てなおしてあげたけれど、また引っかかったのでそのままにしておいた。
お留守番の時間に、私は久しぶりに本を読む。
今のわたしにきっと合うよと本好きの友人が進めてくれた江國香織さんの「やわらかなレタス」。1話5ページくらいの短編のエッセイで、普段本を読まない私でも読んでみようかなと思える薄さだ。
こんなに天気のいい日に広い家で本を読むのは、なんて贅沢な時間なんだと思いながら、優しいピンク色の表紙をめくる。
デジタルな文章を読み続けてきた私には、紙で読む縦書きの文章が心地よい。マンションの下の公園から子どもの遊び声が聞こえる。遠くから聞こえる声はノイズにはならなくて、今この瞬間、贅沢なお留守番をしていることを認識させてくれる。
と、こんなにも気持ちの良い時間を過ごしていたのに、大きな音でインターフォンが鳴った。昔からお留守番中の来客はソワソワする。
「はい」と出るとぶっきらぼうな「宅急便です」の声が聞こえて、ちょっと戸惑ってからオートロックのボタンを開ける。
「はあ、せっかくのお留守番時間が・・」と急に現実に呼び戻されてガックリきていたんだけれど、玄関で受け取った荷物は、わたしがこれから産まれる君を大切に撮りたいと思って買った、実家を受け取り先にしていたカメラのレンズだった。
「このレンズで君をどんな風に撮ろうかな」贅沢なお留守番の時間はまだ続く。
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