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ダダダダダダダダダメー!!!!!

夢をみていました。霞がかかる霧の中に、父がおり、説教と称するには些か汚い語彙でもって、罵詈雑言、嘲罵、怒号の嵐、どうやら私に怒っているようでした。霧の中で、父の顔の一部一部が時々見え隠れし、その度に全く別人の容貌の雰囲気を、その父らしき人物から感ずるのでした。どうやら、私と父以外にも人間がおるようでした。奇妙な夢の中で、私は大勢の人間の大群に囲まれ、私という人間の全てを否定されておりました。はっ、と目が覚め。飛び起きると同時に、死のう。と突発的に、感情的に、そう思いました。私は机の上に置いてあるミルタザピンとセパゾンをある分だけ取り出し、口に入れて、水で流し込みました。こんなものでは死のうにも死ねぬ。そんな事は自身でも理解しておりました。ただ、若気の至り、と言ってはいけませんでしょうか。私は布団の上に寝転がり、寝ようと、努めました。半刻が過ぎて、吐き気を催しました。身体は完全に脱力して、瞼は開けようにも開かず、意識も混濁、傾眠状態の一歩手前、といったところで、便所に脱力し切った身体で、流れ押し込むように入り、2度3度の空嘔吐を経て、4度、5度目で嘔吐しました。黄土色の胃液そのものといったような吐瀉物でした。口を洗い、胸のあたりにあったつっかえが消えて、気分が良くなっていることに気付きましたから、また布団へ戻り、目を瞑りました。瞼の裏に、額縁が浮かび、その中で、滝廉太郎が笑いながら、九州の野菜を紹介し、褒め称えるといった映像が延々と流れ、それが大変心地よかったのを覚えております。その後は、ただひたすらの傾眠。起きているのか寝ているのか、よくわからぬ状態です。女の喘ぎ声の幻聴を聞きました。あんっあんっという喘ぎ声のお手本のような芸のない声でした。自室の外で、従姉妹が母と会話している幻聴も聴きました。これに関しては幻聴と思えぬ程に鮮明で、しっかり成り立った会話だったのを覚えております。昼過ぎ、3時頃だったでしょうか、その頃には頭も冴えて、倦怠感は心なしか残っておりましたが、傾眠は治りました。家族の者に悟られぬよう、全ての言動に気を遣い、その日一日を過ごしました。1週間後、母だけに、事の全貌を話しました。精神科に行くことにしまたした。明日行こうかしら。ミルタザピン、セパゾン、あれじゃあ死ねぬよ。名前からして優しそうだ。そもそもあれは睡眠薬ではなかったようです。死ぬ薬は、そう、ルシフルやら、ベルゼータルブみたいな名前にしなければ。安直すぎるかしら。あぁ、もう暇だし、死のうかな。バナナオレのバナナオレ抜きアイスを飲んでから。

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