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駄作の書き方

この悪辣たる世には最早、純文学の居場所はないのです。人はもう、美しく、繊細な表現や、回りくどい晦渋で不器用な文章に興味をそそられなくなってしまったのではないでしょうか。

この一文にどうか目を通してみて下さい。

『貴方のことが好きです。付き合って下さい。』

色恋の甘美な匂いに魅了された男女がよく用いる不純な常套句。双方の未だ煮え切らない関係を、ここで、一新、キッパリと、決定付けようと編み出された、決死の一手。割りかし現代的な一文ではないでしょうか。いや、今ではもう既に古臭い言い回しなのかもしれませんが、そのような、普遍的な、普通の、悪く言わば味気のない表現を知らぬ男が居ったなら、彼は何と言って、その思い慕う誰かに、愛の告白をするのでしょう。いくらか例を思案してみませんか?是非皆様もペンと紙をとって、他に用意するものは、良いアイディアだけです。ほら、彼は早く告白をしたくてうずうずしているようです。先程からずっと待っているようですから。準備は良いでしょうか?では、私から、最初の一歩を踏み出しましょう。これは如何でしょうか。

『貴方を恋い慕っております。私の胸に宿る貴方への愛の炎が燃え尽きるまで、貴方の傍に居らせて下さい。』

あぁ、一歩目から転けました。出鼻を挫かれてしまいました。これは、一体何でしょうか。臭い臭い。臭いにも程があるでしょう。これではいけません。はい、その通り、却下です。それに、この言い方では、この男が何だか、身分が下の、相手に対しては、下賤な者のように聞こえてしまいます。いえ、それについては全く問題はないのですが。元来、生物学的に、男、雄というものは、女性に選ばれる立場でございますから、この告白文にも少しばかり、小物臭のする、小動物特有の可愛らしさ、のようなスパイスを散りばめなければなりません。そう、相手の母性をくすぐる様な香りをです。その点に於いては、この文章は合格点を得ているという訳では有りますが、この、『貴方の傍に居らせてください。』という部分、これはなんだか桃太郎の犬が言いそうで、些か頼り無さが過ぎる気がします。いけません、ここは変更点。又、『私の胸に宿る貴方への愛の炎が-』なんとやらなんとやら。最後まで書き起こすのも億劫です。これは良いも悪いもありません。ナルシストか、自尊心の膨れ上がった、自惚れ屋が言いそうで、聞くに耐えません。虫唾の走る、所謂キショイ男、でございます。それに、『恋慕っております。』これは何だか小狡い気がします。その表現を知っているなら、何故、"好きです。"を知らないのか。と思わず反駁してしまいそうになります。もっと、遠回りをしなければいけないようです。ラウンドアバウトに。という訳です。
皆様の方はどうでしょうか。何か良案が浮かんだらすぐに彼に伝えてあげてください。彼はそう何日も待っていられないようですから。せっかちさんなのです。さぁ、どんどんと例を挙げて行きましょう。男の恋愛の船出を祝う宴会は、始まったばかりです。これは、どうでしょうか。

『貴方の顔、目、鼻、口、輪郭、腕、足、首、貴方の姿、いえ、貴方の影をみただけでも、私は赤面し、狼狽し、自身の心臓が、口から飛び出しそうになる程に鳴るのです。街中へ轟く程に鳴るのです。いえ、嘘をつきました。貴方を想うだけで、そうなります。奇病です。貴方の所為で私は奇病に罹ってしまう。日に何度も、こうまごついてご覧なさい、気がおかしくなってしまいます。命が縮んでしまいます。それも原因は明らかなのです。貴方。貴方がこの病の正体なのです。貴方、いえ、先生!治してください!この病を治せるのは先生だけだ!後生です!宜しくお願いします。』

男が奇病患者になってしまいました。あぁどうしてか、何処で間違えてしまったのでしょうか。これでは、愛が重過ぎます。どうやら、"好き"という言葉を使わずに愛を伝えようとすらば、愛は増してしまうのかも知れません。いえ、私がおかしい所為でしょうか。加えて、身体の部位をこんなに挙げてしまっては返って猟奇的です。相手に恐怖を植え付けてしまう。この告白を断れば、殺されてしまうのではないか。と考えるに違いありません。飽く迄も告白なのでありますから、相手が選択肢を持てぬ状況を作ってはいけません。常に、相手に、応諾と拒絶の両方を持たせてやらねば、対等な関係性での恋愛でなければ、よい愛など育めません。
しかしこれは、喜劇としては良い告白かも知れません。相手が笑って彼の主治医になることを承諾してくれるならば、それに越したことは有りません。ですが、これでは追い詰めているような気色を感ぜられますし、又、事を相手に委ね過ぎているような、気も。しかし!迷走を経て、漸く希望が見えてまいりました。これは一つの回答としては良いとは思いませんか。それに、皆様の妙案もそろそろ浮かび上がってくる頃ではないでしょうか。私にはそれらの 案の中枢をひょいと、掻い摘んで、翻案する。という手もあるのです。あら、皆さま、お待ち下さい。男の様子が芳しくないようです。怒っているような泣いておるような、苦しんでいることに間違いはないのですが、正に懊悩煩悶としている。本当に病に罹ってしまっているのかも知れません。どれ、覗いてみましょう。あら、彼の内に、ぼんやりとした焦燥がみえる。また、歯痒さと、侘しさと、不安と、緊張と、あぁこれは多い。数えてはいられません。どうしたものか。それに、どうやらさっきの私の案は気に食わないようです。小難しい男だ。頼まれてやっているのに、皆様、申し訳御座いません。私が彼の代わりに、頭を下げさせて頂きます。どうかご容赦を。彼は恋を患っておるのです。貴方もその辛酸の味をよくご存知の筈だ。知らぬとは言わせられません。知らぬのなら、そこの知らぬ貴方。そう、貴方です。私の羨望の眼差しをどうぞ。ですが同時にお気の毒だ。恋を知らぬ人生は、不幸の無い世界と同じです。

"好き"という便利な言葉を知らぬ彼をみて、私の心中には夥しい程の憐憫の情が芽生えるのです。言葉を、多用される語句を失うということは、文字通りものも言えぬほどの地獄のこそばゆさを、群衆の目の前で、与えられるのと同義ではないでしょうか。いや、この比喩は些かおかしい。人は感銘を与えようと必死になれば、間抜けな文を書いてしまうそうです。そう、感銘を与えようとする意識。この、意識ししてしまうこと自体が、いけないのかも知れません。もっと、単純明快に、シンプルな告白文を!なにしろ、告白の返答は、どう低く見積もっても、二分の一なのです。告白に至る。というならば、前提として、良好な関係性という基盤を敷き詰めておかねばなりません。詰まるところ、布石です。布石を打つのです。私ならそうする、皆様もそうする筈でしょう?相手の返答が必ず吉左右であると知りつつも、告白の数秒か数字間か、数週間後の、自身の、それはそれは悦に入った姿の確信を、凡そ7割八部四厘は持っており、後の2割の可能性を全身全霊で捏ねくりまわし、撫で回し、庭に放してみたり、友人に預けてみたりなどして、幸福なる苦悩の存在を愛しむのです。狂喜乱舞か意気消沈か、それは蓋を開けてみるまでは分かりませんが。

さて、おべんちゃらもそろそろお仕舞いにしてしまいましょう。友人の口癖をここで借りるなら、 enough talking, no blablabla.と言った所で御座います。今までの反省点を全て踏まえて、ここで、面向不背のイブもその絢爛さに思わず目を背けてしまう程眩い、新鮮、画期的な告白文を、彼に貸し付けてやりましょう。与えるには勿体無いですからね。あぁ、彼の驚愕と歓喜の表情が目に浮かびます。これは世にも珍しい素っ頓狂な阿保面だ。
いざ!我、出陣!

『結婚しよう』

なに、ただの冗談ですよ。そんなに怒ってはいけません。ただの遊戯ではありませんか。この手があったか!と思ったのですが。揶揄ってみただけです。それにしてもここまで読み進めた貴方、貴方は諦めの悪い人だ。努力家とも言えますね。物好だ。最後まで読んだ所で美味しい食べ物はあげられませんよ。ただ、貴方は優しい人だ。この世に重宝されるべき人です。謂わば古風で寛容で繊細な人です。そんな良い人が私は好きなのです。そのままでいて下さい。その心根を誇って下さい。そして、この駄作を愛して下さい。それは高望みかしら。はい、私には分不相応な望みです。非望非望。誹謗中傷はやめてください。私の非凡さを見せつけたかったのです。そんな望みを抱えている時点で凡夫なのです。してみたいのです、自己陶酔。得意なのは泥酔だけなのです。これはいけない。誰にも見せられないかも知れません。墓場まで持っていかねばならん!あぁ、男。彼の事を忘れていました。書きましょう。告白文を。

『私は貴方の幸せを祈ります。健康を祈ります。貴方の願いの成就を祈ります。貴方を大切にする人達の安寧さえ祈ります。私は決して迷惑などかけません。貴方の望む事を叶えます。保証は出来かねます。去れと言われれば去ります。来いと言われれば貴方の元へ参ります。貴方が抱擁するなら私も。口付けをするならば私も。不浄な行為も求められるなら応えます。自発性?貴方の為なら育てます。只、一つ、不善を、この思い違いを許して下さい。

私は貴方を知っております。貴方は私を知りません。貴方は私を嫌っておられる。それでも私は貴方を慕います。』

男は首を横に振った。1番の駄作だと言った。他力本願な奴だ。それに君、ちょっと体臭がキツいぞ!自分は何も思いつきはしないじゃないか。それならば自分で書いたらいい。否定ばかりするなら、自分で全てやったらいいのです。こだわる事など、何があるのだ。思い慕う人がいる。生きている。それ以上、何を望むのだ。私は、私なら、想う人が死ねば。私も死のう。それを伝えよう。

『私の葬式で泣いて下さい。さようなら。』

男は私の叱責を遮るようにそう呟いた。ぽつり。と呟いた。あまり納得がいっている様子ではないようであった。

『そう言おうと思います。通じるか分からないけれど、必ずそう言いますよ。有難う御座いました。本当は全部良いと思いました。貴方の出した案は確かにどれも良かった。最後は、気取っているようで、ちょいとあれでしたけれど。本当に全部良かった。』

男ば優しい微笑を浮かべて、私にそう言ってみせた。私は、彼は嘘をついていない、正直にそう言っているのだな。と思った。

『いや、こちらこそ。貴方のおかげで、楽しませて貰ったよ。さっき、キツい言葉を使ってしまってすみません。もう、今から伝えにいくのですか?』

私がそう言いかけると、男はもう不思議なことに何処にも居なかった。ただ、男の酸っぱい体臭だけが私の周りに残っていた。

私はこんなものが書きたかったわけではないのです。SNSが普及し、誰もが発言力を得るこの時代。思想と文章と創作が溢れているのです。多過ぎるのです。彼女らには、十分な広さの拠り所があったはずなのですが、社会性が彼女らを自由にさせてしまった。美しかった彼女らは、酷たらしいこの世に、陵辱され、肉を剥がれ、爪を剥がれ、骨を粉砕され、その艶めかしい髪をむしられ、眼球をほじくられ、あらゆる責苦を受け、少しやつれたようです。少し、醜くなりました。いやどうだろう。あれはあれで美しいと言えるのかしら。只、私は現在の文字の、文章の、思想の、哲学の、彼女らの使われ方が好きになれません。我々とは次元の違う、もっと高い、天空の、高尚な、お釈迦様の足元程ぐらいに漂っていた淑女らが、薄汚い、狡猾な、独善的で、不浄の我々によって地上まで引き摺り下ろされてしまったのです。今は猟犬の様に、コミュニケーションの道具として、分かりやすさばかり追求させられて、本来の力を発揮できずにいるまま、持て余されているのです。今の世では彼女らにはとって役不足なのです。あぁ、畏怖していたのに、綺麗な文章に、あっと驚く画期的な表現に、我々は恐れ、敬愛していたのに。もうその日々は、二度と戻ることはないのでしょう。合理主義が世の人々の大半に追従されていますから。行き過ぎた合理主義は時に不合理である事を我々は気づくべきなのです。遠回りの、堅物な、無骨な文章が愛される世を。そんな世を。古風な世を。文学が愛されていた世を。優愛と文學が恒久的に愛される世の中を私は望むのよ。可哀想ではないか!決して途切れぬ愛が侮蔑されるこの世に私はもう居られない。

これは駄作です。駄作。ダメな男が書いたダメな文章。もう恥の上塗りはやめましょう。休まなければ。休まなければ。鬱陶しい陽光が上がってきました。そろそろ私が微睡む時間です。さようなら。

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