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【雑談】見下す、見下される、の意味を考え直してみる

今日は「見下す」をテーマに考えてみようかなと思います。
「見下す、見下される」はよく患者さんが言う言葉なんですけども、実際、どういう意味なのかなと思って考えてみようと思います。


■「見下す」とは?

見下すというのはどういう意味か国語辞典的に言うと、「見下ろす」。そのままですね。高いところから下の人を見る、見下ろすという意味ですよね。

つまりこれが人間関係でもある。相手を馬鹿にするとか、差別偏見を持つことですよね。劣っていると思うとかね。

あとは品位がないとか、物を知らないとか色々ありますけど、見下された感じがするというのは、劣等感を刺激するみたいなことですよね。
ただ劣等感を刺激しているのではなく、劣等感の刺激と相手の優越感。

本当はこんなに苦しいのにという無理解や誤解、そういう色々なものが合わさって見下された感じが起きるのかなと思います。

よく言われますね。「益田先生は僕のことを馬鹿にして、見下してるんでしょう」とか。直接言われることもあればコメント欄で言われることもあるし、口コミで書かれることもあります。

そうと言えばそうだろうなと思います。
優越感があるかないかで言うと、別に優越感を常に意識はしないですね。

だけど僕は医者だから、治療者でもあるから、優越感というか、父性的、押さえつけるような感じ、こうしなさいという風に命令的になることもありますよね。
そういう意味では上にいる。

そしてそれはどこかで劣等感を刺激しますよね、僕という存在は刺激すると思います。口で言わなくてもね。

どうして助けてくれないんだとか、自分の傷がどうしてわかってくれてないんだという誤解を与えることもある。

無理解なことだってあるでしょう。
そういう意味ではそうかなとは思いますけど。
ただバカにはしていないんですよね。

バカにするという明らかな侮蔑みたいなものはないんだけども、見下すという行為の中のある程度の部分、梅干しの種みたいなものは持っていますよね。
周りの部分はちょっと違いますけどね。

でも周りの部分というのは、相手の感情とかによってモワモワと集積されてそう見えたりもするので、まあそうなのかなとは思ったりもします。

■個性?

僕は確かに患者さんの病気とか障害を、時に「それは劣性なんだ」という言い方をすることがありますね。それは個性じゃなくて障害なんだとか、病気なんだとか、そこは欠けちゃっているんだ、というような言い方をすることがあります。

そんなことないだろう、価値観じゃないかとか、そういう言い方をすることはあるのですが、医学の人間なので医師なので、医師というのはそこに問題があると考えるし、そこは障害があるとか伸ばさなきゃいけないものとして考える。
だから医師なんですよね。

そういう価値観を持って動くべきものだと僕は思っているので、それはそうかなと。

そう言わないと救われない患者さんもいるし、納得できない患者さんもいるし、家族もいるので、あまり「個性だからね」とか言って、その時はいいんだけど「じゃあ、もっと頑張れということなのか」とか「自分が得意なところを見つけろってことなのか」とか。

でも自分が劣っている分、補うような才能がどこかに隠れているはずなんだと探し回ることをしなきゃいけないのかとか、本当にあるのか。ないこともありますからね。何となく僕は「個性」という形で逃げるのは好きじゃないです。
何かずるいなという気がします、結局は。

本当に個性だと思っている人は、そもそも精神科に来ないし、個性だと気づいたら途中から通院をやめるんです。

それをわざわざ僕が言うことじゃないと思います。
やっぱり苦しんでいる人たちは、ちょっと違うなとはいつも思っていますけど。

でも、苦しんでいる人たちなんだと考えて接するというのは、どこか見下しているかのような感じはあるのかもしれないですよね。
自尊心を傷つけるような感じもあるのかなとは思います。

自尊心をどういう風に回復させるべきなのかとかというのはすごく思います。
できるだけ褒めることをずっと考えたり、いいところを探したりとか、あとは患者さんのことを好きになろうと常にしています。

どんな患者さんであっても好きになる。
かといって、性的なものとか、本当にベッタリとかではなくて、人間として存在を好きになることを意識してはいますけど。

そういう好意がなんかね心を変えていく瞬間もあるのかなとは思ったりします。
でもまあ変わらないですよね、ほとんどは。

■心の底から好きになろうとする

ただ、僕も患者さんに振る舞う時にそういう風にしないと、心をそういう風にしておかないと、やっぱり所作に表れてくる。

所作だけは完璧にしようということはできないので、やっぱり自分の心の底からやっていることじゃないと。

人間は嘘を見抜く力は強いですから。しかも1回、2回じゃなくて半年とか1年とか10年単位で付き合ったりもしますので、絶対見抜かれちゃうので、できるだけ所作だけを身につけるというよりは、心の底からそう思えるようにしているというのはあります。

だから見下してはいないんだよね。好きになろうとしているので。だけどある種上から目線になってしまうのは、どうしてもあるし、そういうものだなと思っています。

これを上から目線じゃなく対等な目線で治療に臨むということは、部分部分では対等ですよ。人間として対等だし、意思決定においては対等であるべきなんだけども、無責任な瞬間もあるという感じはします。

ここら辺のカルチャーはもうちょっと深い水準で理解しないとわからなかったりします。最近はあまりいないですけど、「お金を払ってるのは」とか「医者もサービス業だろう」とかそういう人もいます。

お金を払っているから言う通りにしろとかもありますけど、最近はもうそういうのも減りました。

カスタマーハラスメントと言ったりしますけど、病院も減ってるし、最近はどこもそうだと思います。

飲食店とかでも色々なところでも、お客さんだから、お金を払っているからいいわけじゃないんだよとかいう、そういうツイートがいっぱいありますよね。

こちらだって客を選ぶ権利があるんだ、みたいなものがあったりする。
だからそういうことを言う患者さんは減っている気はします。
それは世間の流れ的にもそうなっているかなと思います。

今回は、見下すをテーマにちょっと動画を撮ってみました。
では課題ですね。今日の宿題を考えてみます。

1.見下された経験
大人になってから見下される経験はそんなにないと思うんですよ。
でも見下された経験は絶対中学生や高校生、学生時代はありますね。

学生時代というのはすごく競争意識が激しくて見下したりとか見下されたりとか、そういうのが活発に起きる時期なので。10代の脳というのは。

幼いしそういうこともあると思うので、その10代の時の見下された経験とかを書いてもらうのがいいかな。もしくはそういうのを見たことがあるとかね。

見下した経験、見下された経験を書いてみてもいいかなと思います。
キツかったら書かなくていいですからね。

2.大人になってから、医師や他の人に見下されたと最初思ったけど、本当に見下されてたのか?ということを吟味してみてください。

批判的に見て、その上でやっぱりそうだったなと思うのか、それは思い違いだったなと思うのか。

3.医師は本当に患者さんに対して上の立場だということは良いのでしょうか?

専門職であるということと上の立場であるということ。ここの難しさをどういう風にしていけば成立するのか。人間としては対等である。もちろん価値としてはね。

だけど専門家として一つ上の立場にあるわけですよね。ここの部分をどういう風に折り合いをつけていけばいいのか、どういう風に相手にわかってもらえばいいのか、こちら側が振る舞えばいいのかを 。

1から3のどれかを宿題あげてもらってもいいし、3つやってもらっても構わないし、もちろん宿題に関係ないことをコメント欄に書いてもらっても良いです。

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