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疲れにくい考え方

本日は「疲れにくい考え方」と僕がよく話しているんですけど、これをもう一回再考したいなと思います。


「疲れにくい考え方にしましょう」と僕よく言ってるんですけど、初めて聞いた人はわかったようでわからないじゃないですか。

完璧主義はいけないんだろうな、理想が高すぎると良くないんだろうな、欲望に支配されると疲れやすそうだなととか、はっきり言葉で聞くとそういう風なイメージを持つんじゃないかなと思うんですけれども、もうちょっと詳しく深堀って考えてみても面白いんじゃないかなと思って今回動画を撮ってみようかなと思います。

■精神科の治療

まずはおさらいです。
精神科の治療とは何なのかと言うと、まず最初に「心は脳だ」ということを理解することですよね、前提は。

そして、その上でセルフモニタリングをする。
セルフモニタリングして、今感情的だな、疲れてるな、怒りっぽいなとか思うのであれば休むとか、場合によっては診断を受けて薬を飲むとか考えたらいいということですよね。

どれくらい休めばいいのかと言うと、マインドフルネスを目安にする。

ただ呼吸に集中するということを5分もできないのであれば、それはもう疲れきっているからとにかく今休みなさいよということだし、30分ぐらいできるのであれば、自分と向き合って計画を立て直そうよということになったりします。

あとはコンフォートゾーンに居過ぎないことですよね。
ちょっとストレスのかかるゾーン、耐えられるだけの努力をしていればいいので、学びと成長のところにいればいい。

これを意識して休みましょうよということになります。

心は脳だから、自分を見つめて、場合によって休んだりしましょうということなんだけれども、じゃあいま休もうと思ったら休めないわけですよ。落ち着かないんだよね。

ただ休めと言われても休まらないので、これには整理されてないといけないんだよね。

頭を休めるためには、休む場所、自分の知識や経験や今やるべきこととか、今の悩みごと考え事を整理して「ああ、こういう風にやっていけばいいんだ。じゃあ、そのためには今休めばいいんだ」という風になるんですよ。

そのために誰かといるとか、専門家に整理を手伝ってもらうとかしなきゃいけない。頭の中が整理されていないとしっかり休めない。

で、そもそも疲れやすい考え方をしているんじゃないのという話ですね。

完璧主義だったり、欲望や常識に支配されていると疲れやすいので、疲れにくい考え方に変えていこうよということになります。

でも、疲れにくい考え方をするためには、今までの知識や経験をしっかり整理してもう一回、自分を作り直す必要があるので、これが大事よねということですね。

整理・明確化は自分一人でやることもできるし、カウンセラーと一緒にやらなきゃいけないかもしれないし、今僕が動画を撮っているようにアウトプットしながら整理することもあるし、色々なやり方があります。

整理しつつ休んだり、自分を作り直す、考え方を変えるということになります。
この流れを絶えずやり続けるというのが精神科の治療なんですけども、今回注目したいのはここですね。疲れにくい考え方についてちょっと考え直してみようかなと思います。

■疲れにくい考え方とは?

疲れにくい考え方って何?という話ですよね。
どうやって達成するの?

僕はどういう風に疲れにくい考え方に至るのかというのを、よく「主観2.0に至る」みたいな言い方で説明しました。

今までの考え方を変えていく、バージョンを変えていこうよ、2.0に変わろうよみたいな言い方をしたことがあります。

つまり、人間というのは客観視できていないんですよ。主観で物を見ているんですね、世界を。主観的にしか物を見れないんですね。
自分の感情、知識、思い込みの影響を受けて、今の問題や現実を見ているわけです。

そこからやっぱり客観的に物事を見なきゃいけないんですよ。

お金が稼げないから生きていけないんじゃないか、自分は価値がないんじゃないかとか言うけれども、もうちょっと冷静に考えてみると、いや、お金なくても生活保護で生きていけるよねとか。

今そんなにお金を貯めなくても旅行に行くのやめたらお金が貯まるんじゃない?とか。
本当に美味しいものばっかり食べなきゃダメなの?
塾に行かないと本当に成績上がらないの?
無料のものとか使ったりとかしたらわりと成績上がる子は上がるよ?
痩せないと本当にダメなの?
痩せてないからあなたは恋人と別れちゃうの?

など、客観的に見ると全然違うことがわかるんですね。
だから思い込みがあったりするわけです。

でも、この客観的というのは結構辛いんですよ。

自分がそんなに優秀じゃないというか、不都合な真実を受け入れなきゃいけないんですね。平凡恐怖と言ったりもすることがあります。

自分が特別な人間ではなくて、どこにでもいるありふれたおじさんなんだ、ありふれたおばさんなんだっていうことを受け入れる。ありふれたただのガキンチョなんだ、男の子なんだ、女の子なんだ、老人なんだ、中高年なんだ。まあそういうことですよ。

どんなに偉い人でも、早稲田という土地柄だからいますよ、有名人、お金持ち、社長、ご子息とかいますけど、まあみんな一緒なんですよね。

一緒っていうとあれですけど、そこそこなんですよね。
だからどんなに賢くても人の2倍賢いことはあまりないですよね。よく思いますけど。

人の3倍4倍稼いでるからといって、その人が本当に人間として3倍4倍働いてるのか。それだけの価値があるのかというとそういうわけじゃなくて。

もちろん資本主義という前提だとそうなっちゃうこともあるんですけど、それはあくまで数字だけの問題なので。

大谷翔平が何10億、何100億稼いでいるからと言って、市の税収よりも多いかもしれないけれど、それだけの価値があるというものではない。
でも、この真実を受け入れられないという感じですね。

ここをどうにかして客観視することで自分の状況が分かり、新しい主観を手に入れる。この2.0の状態が疲れにくい考え方になっていくことが望ましいということになります。うん、難しいね。

こんなことばっかり僕はよく言ってるし考えているので、僕にとっては何10年もずっと同じこと考えてるから。思春期ぐらいからずっとこんなことばっかり考えてるから。哲学とか宗教とか、そういうのが好きだから、精神医学とか好きだからサラっと喋ってますけど。

多くの人はそんなこと考えていないと思うので、わかりにくいというか聞いてるけど手応えのない感じになるんじゃないかなと思います。でもまあこういうことですね。

こういう風に現実を受け入れていくことを通じて、疲れにくい考え方に至るということになります。

■心理的抵抗

ただ、ここに行けないんですよね。なかなかここに行けないんですよ。
客観視したとしても、ポジティブに疲れにくい考え方にも行けないんですよね。
なかなか行けない。

この行けない感じ、行動に移せないとか行けないことを「心理的抵抗」と呼びます。嫌なんですよ。受け入れられないんだよね。
それは誰だってそうだし、僕だってそうなわけです。

「あなたは癌ですよ」と言った時に、「あ、そうですかいつ手術ですか? 僕が死ぬのはいつでしょうか?」と冷静に聞く人なんかいないですよね。

必ず「本当にそうなんですか?」「嘘じゃないですか?」「あなたがやぶ医者なんじゃないですか?」「あなたが言うことはよくわかります。だけど、別の病院でちょっと検査させてください」とか否定したり、怒ったり。

もしくは悲しんだり。「僕はもう駄目なんでしょうか」と言って泣き崩れて、その場から動けなくなったりとか。

あとは「神様、どうにか私を助けてください」とか、「これから毎日神社に行くから助けてください」とか、いろんなことをやるわけですね。

それは別にガンの告知、死の受容だけじゃなくて、いろいろな場面でこういうことは起こります。心理的抵抗を経て受容に至るんですけども、こういうことが知られていますね。

■心理的な問題以外のもの

あとは、心理的な問題だけなのかというと、最初の頃はそう思ってたんですよ。精神医学も精神科医もフロイトたちも。

だけどやはり現代においては、これは心理的な問題だけじゃないよねということがわかってきた。

それはつまり知的な問題ですね。境界知能とかも含めた知的能力の問題、知的障害、境界知能、そして発達障害、神経発達症の問題ですね。

そういうことからなかなかスムーズに理解できなかったりすることもある
あとは科学リテラシーの問題ですよね。

知識があるようで、意外と皆ないという。一般教養、高校までの、中学までの一般教養とされているものがごっそり欠けている人たちがいて、そういう場合、陰謀論にはまってしまったりとか。

いますよね、陰謀論にハマっちゃう人たち。2、3割いると言われていますけど、そして何かしらの陰謀論を信じている人は5、6割いると言われているんです。
だからこのリテラシーの問題というのも馬鹿にはできない。

例えば医師であっても、医師は高学歴ですけど、政治の陰謀論とか経済的な陰謀論に引っかかっている人、たくさんいますよね。投資詐欺に引っかかってる人もいるんです。

それは何かというと極めてオーソドックスな政治リテラシーとか経済的なリテラシーが欠けているからだ、と言われています。

だから、心理的抵抗のみならず、ここら辺の問題があるから客観視に至れないということもあります。というので、こういう抵抗感があるんだということです。

だからここのところをどういう風に抵抗を解除しながら、2.0に至るかというのが治療者の腕の見せどころで、それは信頼関係だったり、説明能力だったり、信頼感だったり、相性だったり、いろいろあるということです。

■主観2.0の状態とは?

主観2.0の状態はどういう状態なのかと言うと、現実を受け入れたということなんですけども。つまり現実を受け入れた状態というのはどういう状態かというと、白黒思考ではまずないですよね。

完璧主義だったり、どっちが正しい、どっちが間違っているとかではなくて、曖昧なものを許容している状態というのが次の段階に移っている状態です。

あとは、いわゆる常識や思い込みからフリーになっている。自由になっている。
これも2.0の状態ですね。

例えば、親子の絆は大事だ。それはケースバイケースだよね。
必ず親子が大事なわけではないし、婚姻関係を絶対死ぬまで続けなきゃいけないというカトリックの教えが正しいわけでもないですよね。

もちろんおおよその部分では正しいけれども、そうでない人たちもいるわけですよ。

そしてそうじゃないから、あなたたちは精神科の患者さんなんですよと。
それで弾かれているから苦しいわけで、そういう話ですよね。
おおよその人にはふさわしいかもしれないけど、ふさわしくない人たちもいるよということです。

あとは、お金教ですね。
お金教に支配されない。稼いでいるとか、稼いでいない人が価値がないとか、そういうわけじゃないですよね。

ほとんどの人は資本主義の中で生きているので、お金はただの便利な道具と思えず、お金こそ大事なんだという信仰心のようにお金を貯めてますけど、それはそこから自由にならないとやっぱり難しい。

あとは、心は脳であるということですよね。

ということは、もしかして自由意志はないんじゃないの?とか、人間が持つ自由意志の価値なんてほとんどないんじゃない?みたいなこととか、努力じゃなくて世の中は運じゃない?ということですよね。

だから遺伝的なものとか幼少期の環境が大事だったりして、本人の努力よりも才能だったりするわけですよ。あとは才能を活かす環境にいられたかどうかということになっていて。
だけど僕らの社会はそうは言わないんですね。

努力したからこの人はお金を稼げている、他の人ができないことで稼げているという風になるんだけど、それはそもそも才能なんじゃない?ということに気づいちゃったら、資本主義が成り立たなくなっちゃうわけですね。

だけど、現実はそうだということですね。
これに気づかなきゃいけないという難しさがあります。
これはなかなかできないんですよ。

こういうのは知的能力にもよるんですけども、哲学的な飛躍が必要で。

つまり天動説から地動説への切り替わりのような、パラダイムシフトを頭の中で起こさないといけないんですけど、これはなかなかできないですね。

SFとか何かこういうトレーニングを受けてるというか、そういうのが好きな人は得意なんですよ。

僕もそういうのが好きだから得意な方なんですよね。常識を壊しちゃうのは得意なんですけども、普通は出来ないと思いますね。

ただ、病気になった人たちが一つ越えるためには、この哲学的な飛躍をする、哲学的な飛躍の先にあるこういうものを受け入れていくことが大事だったりします。

後は、2.0というのは多様性ですね。
多様性の真の理解というのが大事で。
これがやっぱり島国で住む我々日本人には苦手ですね。

つまり、このニューロダイバーシティのことですけれども。
人は違うんですよ。
違う人達がいて、それらは理解できないほど相入れないんですね。

患者さんたちというのは、他の人から見たら考えられないほど言葉は悪いですけども、傷つきやすい、落ち込みやすい、トラウマが残りやすいし、疲れやすいんです。

そして一方では、我々からは信じられないほど鈍感で、体力があって、そして人を傷つけても何にも思わない人たちもいる。それは自分たちの権利じゃないかと思っている人たちもいるんですね。

それぐらい多様だし色々な人がいるので、だからみんなが仲良くいなきゃいけないというわけではなくて、この多様性の中でどう振る舞うかが大事だったりします。

哲学的に考えたら、ある意味そこまで自己中心的な人も人類には必要だったりするんですよね。

スティーブ・ジョブズみたいなもので、周りの人からからは評判が悪くても、もう故人なのでそういう風に言いますけど、周りの社員から「あいつは」とか思われていても、すごいイノベーションを生んだわけですよね。
人類の進歩や発展に貢献したわけで。

スマートフォンがあったおかげで救われた命もたくさんあるはずなんですよね。
災害の時とかも含めてね。だから、そういう意味ではすごい人なんだけれども、それが善人だったのか悪人だったのかっていうのはわからない。

この多様性の理解が大事なんだけどもなかなか難しいですね。だからある意味、あなたの親はそういう人なんだから距離を取ったらという話もあるわけですね。

虐待されてる子たちの話を治療の中でする時にね。
でもこれはなかなか思えないんだよね。

やっぱり刷り込み効果みたいなもありますからね。子供の時に見たものを親と思うというか、離れられないというかね。そういう脳の構造の問題もあるんですけど、でもこういう飛躍が必要だったりします。

あとは難しいんですけど、「矛盾との調和」というのが大事なんですよ。
じゃあ益田先生は科学なんですか?宗教が大事ですか?どっちが大事なんですか?じゃなくて、どっちも大事とか。

宗教と科学は矛盾するじゃないですか。神様の教えの中には、科学とは相反するものがあります。なんで宗教を信じられるんですか?神様の愛を感じられるんですか?と言うけれども、まあそれはいいとこ取りをしているとか、調和しているんですよね。

そういうことは結構あって。
益田先生は自衛隊が嫌で辞めているし、追い出されてるのに自衛隊が好きなんですか?とか、好きだったら残ればいいんじゃないですか。

日本政府のことなんで好きになれるんですか?ひどいことしてるじゃないですかとか言われても、別にいい感じで自分の中で都合よく調和しているんですよね。

言語的に考えるとよくわからないけど、いい感じでいいとこ取りしてるんです。
それは僕だけじゃなくて、普通の人はそうなんですけども、患者さんたちはそういう風に思いにくいんですよね。

一方を無視するというか、こういうのはなかなか難しいんですけど、この調和感というのも結構大事だったりします。これが2.0に至るということです。

だから冷たいけど優しいとかね、発展途上だけれども完成されているとか、そういうものはあるわけです。何か矛盾してるような感じ。

言葉で聞くと矛盾しているんだけども、体感的にはスッと来るものはあって。こういう状態に行けるか。

最初はできないんだけども、そっちの方に行けるかというのが疲れにくい考え方の特徴かなと思います。とにかく会話の中で色々なやり方がありますよ。

マインドフルネスだったり、カウンセリングだったり、人によっては小説を書くこと、音楽を作ること、スポーツに打ち込むこと、色々なやり方があるとは思うんですけども、その中で少しずつこのラーニングゾーンにいれば、客観的なところに入り込まざるを得ないですから。

そして次に至るということを経験していくのはいいと思います。
2.0の最後に、2.0たる理由をお話ししますと、これは最初は1.1、1.13とか1.2とかバージョンがちょっとずつ上がっていくんですよ。

ある時に瞬間的にポンと、1.4から突然2.0に移れる感じですね。
それを表すために2.0と書いてます。

本当にソフトウェアのバージョンアップみたいにちょこちょこ上がって、ある瞬間ポンとバージョンが上がる。2.0で終わりではなくて、2.1、2.12、2.23と来てある時またポンと変わって3.0になるということですね。終わりはないです。




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