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早稲田卒ニート186日目〜役に立つことを教えろ?〜

十九世紀後半から二十世紀になって、科学が人間の役に立つということ、経済的利得と結びつくことがやたらと強調されるようになりました。「社会のため」に役に立つということです。(中略)果たしてそれでいいのか、ということをもう一度考え直していかなければなりません。

(池内了「科学と社会へ望むこと」)

1940年代に東京帝大第二工学部が作られた。激化する第二次世界大戦下における軍事産業を支えるためである。即ち、戦争という国家事業に学問が屈服したわけである。

1960年頃から大学の学費値上げが始まった。しかし大学の学費を上げたところで一体何に使うのか。文系学部など、突き詰めれば本とペンさえあれば何かはできる。ところが、実験の要る理系学部はそうはいかない。つまり上げられた学費は、理系学部の、とりわけ工学部の充実のために使われるわけだ。1960年代。即ち、高度経済成長という国家政策に学問が隷属したのである。それに反発して起こったのが学生運動である。社会の役に立つという価値観に服従せず、学問は自立しなくてはならないのではないか、と。

敗戦から凡そ10年が経ち、「もはや戦後ではない」という言葉に日本の経済復興が象徴されたところで、そこで立ち止まらず、さらなる経済成長を追い求めることになる。そのとき、科学の発展が社会の発展に結びつくと考えられていた。科学は社会の役に立つのである。役に立つことは素晴らしいように聞こえるし、確かに役に立つ必要はあろう。しかし、学問が社会の役に立つということを追い求め続けた結果として、例えば四大公害訴訟のような悲惨を招いたわけである。このような、「役に立つ」ということの危険を顧みずに見過ごすケースは、21世紀になってもなお現在進行形で繰り返されているように思う。我々は、国家に従属して社会の役に立とうとする学問に無批判的であることの危うさを、常に眼差しておくべきである。

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