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早稲田卒ニート158日目〜いつまで子供か、いつまでも子供か〜

チャリを盗まれた都合、最近は随分と歩く。街中ですれ違うチャリにも、そこら辺に駐まっているチャリにも、どうしても目が行く。何なら集合住宅の駐輪場に並べられているチャリにも近づいては見回しながら、自分のが無いかを確認してしまう。

そんなこんなでひたすら歩くわけだが、そのせいで「歩く」ことについて考えさせられている。まず思い出すのは高校生活である。その頃私は速く歩くことを信念とし、歩くのが遅い奴は信用しない、歩くのが遅い奴とは喋らないと決め込んでいた。というのも、歩くことは考えることであり、歩く速さには考える速さが反映されているとみなしていて、従って歩くのが遅い奴は考えるのも遅い。そんな奴とは関わってやらない、という道理である。つまり、イタかったのである。こういう恥ずかしい記憶をいくつも抱え、それを更新しながら年をとってきている。

こういう恥ずかしい記憶はたくさんあって、その度に、「あの時は子供だったなあ」と振り返る。「あの時は子供だった」と思うということは、少なくともそう思うとき私は、子供を相対化した大人として自分を位置付けているのである。初めてそう思ったのは、確か小学5年生の頃だった。小4から小5への移行は精神的に大きな変化があって、即ち「上級生」として括られる様になったことで、自分が下級生に比べて大人であるという思いを芽生えさせた。それが6年生にもなると一層強まった。立派な「最上級生」である。しかし、その時の担任になった清野先生は、当時恐らく40代だったろうが、「6年生の頃の自分は、その時は自分を大人だと思っていたが、今思えば随分と子供だったなあと思う」と仰った。この発言が、私は不思議なほど強烈に記憶に刻まれている。

そのせいもあってか、私も清野先生と同様の反省を繰り返す様になった。小6になれば、5年生の自分がいかに子供であったかを思った。しかし中学生になった時は、今度こそ自分は大人であると自覚した。が、それも1年ずつ更新され続け、やがて高校生になった時は、これは間違いなく自分は大人であると信じた。ところがまたそれも1年ごとの更新を免れず、いよいよ大学生になって、これはさすがに自分が子供であるはずがないと確信した。だってもう大学生である。ところが、やはり、である。ここでもまた、自分の幼稚さを日々思い知らされ、この時、初めて、一体自分はいつになったら正真正銘の「大人」として自分を疑うことなく生きていけるのかという問いが立ち上がった。そしてそれは恐らく社会人になってからだろうと予感した。即ち、経済的自立を達成した時である。「大人」とは、言わば精神的に自立した人のことを言う。たとえ学生であっても精神的に自分が自立していると思い込む者はあるだろう。が、経済的に自立していない人間が、精神的に自立できるはずなどないのである。学生は経済的に自立していないがゆえに精神的にも自立できない。このことを、学生の頃はひとつも理解していなかった。

そして社会人になった。何の仕送りも貰わなくなり、生活的諸経済の一切を自らの稼いだ金をもって行う様になる。これでもう誰からも文句は言われまい。確かに大人である。そのはずだった。しかし、富山での社会人生活の2年間を振り返ってもなお、やはり私は子供であり、そしてまた大人になれたかと思いきや再び子供になることの繰り返しであった。

つまり、経済的自立は精神的自立のキッカケに過ぎないのである。経済的に自立して初めて、精神的自立へ向けて出発する号砲が鳴るのである。それゆえ、たとえ社会人になろうとも、あの頃と同じ様な「子供・大人」のアップデートは変わらない。その証拠に、今なお、私は例えば仮につい先週のことを振り返るにしても、あの時の自分は子供だったなと己を深く恥じ入るのである。

しかしその道中で、学生の頃から、「自分は大人である」と思い込んで疑い得ぬ時期がしばしばあった。それゆえ本当の大人に対して、大人であると思い過ごしたガキが生意気な態度を取って憚らなかった。思い出すだけで顔が赤らんでくる様な感があるが、それもまた、大人に成るための「必要恥」であろう。果たしてこの繰り返しがいつまで続くのだろうか。尤も、いつまでも続くことが悪いことだとは思っていない。それは、自分を相対化し続けるということだからである。

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