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『「仮面浪人説話集」(生方聖己とされる)』 第21章



自分はいつも、日本史→国語→英語の順で採点していたので、今日もその感じでいった。


日本史の問題用紙を出す。
1回パラパラっと問題を見て、1つ不安だった問題をもう1回確認して、「やっぱここあってるよな・・・」って思えるまで凝視する。そうして、もしダメだった場合に、精神を回復させている自分を十分にイメージできたら、覚悟を決める。

まずは、大問1から。
「解答速報日本史」を開き、一気に小さい数字がバーッと並ぶ。より鼓動は激しくなる。
記念すべき最初の一問、どう考えても間違えているはずのない問題なのだが、全くスクリーンを拡大するための親指と人差し指がでてこない。もう一度、両手を顔で塞いで、両肘をつく。
自然と、この1年間にあった出来事が頭にポンポン浮かんでくる。何度ぶっ倒れかけたとこであろう。そして5分くらいそうした後、自分でも「俺こんなに指早く動かせるんだ」と驚くくらいの速度で問1を見る。次の問題が見えない程度に拡大するしなやかさも兼ね備えていた。

最初の答えは・・・「1!」・・・「確か1のマークを塗りつぶしたよな・・・、そうであれ!!!!神よ!!!(都合の良いときだけ神に頼る悪い癖である。)」

“恐る恐る”という言葉がこれほど合う場面は他にないんじゃないかと今書きながら思ったのだが、それは置いといて、恐る恐る問題を見る。
自分がつけた〇の淵を何となく探し、それを囲み、番号をチラ見する。

「・・・1・・・???」
番号をがっつり見る。
「・・・1!!!・・・」
記念すべき2点が。
ここに来るまで20分くらいかかった。そこからは、テンポよく進む。

「1、4、5、3、3・・・」
「よし、よし、よし、よし、よし」

そして不安だった問題の前に差し掛かる。
「ここさえ乗り越えられれば・・・」

先に自分が〇をつけた番号を見る。
「自分は・・・3・・・」
「解答は・・・3・・・・・3!!!!!」

気づけば終わっていて、気づけば100点であった。


国語も177点。これは自分にとってはかなり上出来。


英語も、最初の半分で、文法1題4点の問題と、不要文削除問題で3/2落としてしまっていてちょっと、てかかなり焦ったが、なんだかんだ終わってみれば178点と、まあ不本意ではあるが、特別ミスったという訳でもなかった。

あと、おまけ的な感じでリスニングもやったが、なんだかんだ44点取れていた。


3教科365点。センター利用で出したところは、基本日本史も200点配点になるのでそれで換算すると、約93%



まずここで2つの良いことと、1つの悪いことと、1つの最悪なことに気づく。


まずは、良いことから。
それは日本史で、本当に100点を取れた事。自分は、一般試験に【センター日本史+一般(英語・国語)】に出願していて、日本史の点数がそのまま反映されるので、国語と英語の負担がある程度減ったことは良かった。(まぁ基本的にそれに出願する人は社会満点近くとるのだが、だからこそ少しでも落とすと、だいぶ出遅れてしまうのだ。)

そしてもう1つの良いことは、ほぼ確実にセンター利用で合格が出る点数を取れたこと。

正直明治大学は、最後のほうのコンディションからして「運が良かったら行けるな」とか情けないことを思っていたのだが、この点数だったらまあ受かる。
そしてこのことによって、2浪回避ということがほぼ確実になり精神的負担が一気に減った。それプラス予定通り、一般で滑り止めを受けなくてよいため、早稲田スポ科だけに絞ることができた。だからここで、“点を取るための日本史”ともおさらばできた。


そして次は1つの悪いこと。
それは、自分の中であまりにもセンター試験において”成功を収めてしまったこと。これはシンプルに気が抜けた。8、7割ぐらいがきっと丁度良かった。何事も中庸が大事といったアリストテレスの言葉が深く思い出された。

自分は、少しでも受かる確率を上げるために、万が一センターが成功を収めた際のために、「競技歴方式」というものにも出願していた。これは、センター3教科+高校の時の部活の活動実績。それを、3教科400点換算にして、+競技200点配点の、計600点。例え、3教科で満点を取っても全体の7割近くしか与えられず、この“競技歴”が結構なカギとなってくる。
ところが謎なのは、競技歴が200点満点というのは後悔しているのだが、その中の詳しい配点(例えば、全国出場で○○点、国体で○○点、県大会ベスト○○で○○点など)は全く公表されていない。まあそこも所詮私立大学は会社なので、利潤を追求するものとして当然のことだから当たり前っちゃ当たり前なのだが。
自分の競技実績は群馬県高校サッカー選手権で3位。まぁちょっと調べていく過程で、これに受かる人の競技歴は全国大会出場は基本当たり前、って感じということがわかったので、「自分の実績じゃ到底かなわねーな」とか思って1回出願するのをやめようと思ったのだが、「万が一のことがあるんじゃねーか」とかも思って結局出してしまった。

そして、これが、実際センター試験が成功に終わってみて気づいた、“最悪のこと”であった。



自己採点が終わって、リビングに座ってほっと一息、ガキ使の続きを見ている途中に、ふと「あれ?この点数ひょっとして競技歴ワンちゃんあるんじゃねーか?」と思ってしまった!
そしてそれと同時に、「あ、これからの3週間相当しんどいかも」とも悟った。


とりあえず、その日は2時くらいにベッドに入り、「明日の朝から切り替えていつも通りの生活に戻ろう。ここで気を抜いたら、いつもの自分と同じだ、最後までやり切ろう。」と建前の御託を並べ、睡眠を開始した。



次の日、意外にも、目覚ましの音通りに起きることができ、「あ、切り替えられてんな」と思いながら、いつものルーティン通り椅子に座り、単語帳を開く。
今日から、新しい単語帳「リンガメタリカ」だ。確かに始めるのは遅いけど、3週間あれば十分間に合うし、ちょっと前までは、早くこの単語帳をやりたくてうずうずしていた。
そして座って開いて1章目・・・・・・・

気づけば自分はリビングでガキ使を見ていた。そしてそれが見終わってもなおソファーから動けず、寝たりなんなりして、気づけば夕方の5時になっていた。

こんなに勉強から離れたのはいつぶりであろうか。
流石の自分もやばいと思い、本来やる予定だったポラリスを完遂させるべく、ポラリスだけを持ちポポロに向かった。

ところが、いつもなら1時間で1題終わり、それも3周目とかだったのでもっと早く終わる予定であったのだが、この日はなんと1題終えるのに3時間かかった。
センターボケの予想外のでかさには驚かざるを得なかったのだが、間違いなくこれは、「競技歴方式」に出願してしまったことが大きく影響している。
どこかに「いや、これワンちゃんどころか普通に受かる範囲なんじゃねーの。」とか思っていた。



次の日も、朝起きる、気づけばリビングに居る、寝ている、夕方になっているという感じで、時間がいたずらに過ぎていった。
自分でびっくりしたのは、本当に集中力が一瞬にして消えたことだ。椅子に30分も座ってられなくなった。ついこないだまでは椅子を離れることに苦痛を感じていたのに。そして、”自分“という人間として持って生まれた性格:タイプを変えることの難しさを改めて知り、何かに追われていないと能力を発揮できない能力を持って生まれたことを後悔した。心安らかになることはないのだなと。



次の日は、少し変わる。

もうこうなったら、嫌でも机に向かうしかないと思い。朝一で図書館に向かい、あえて自由に動きずらい6階の学習室を選び、参考書を開いて気合を入れて、「1日できる限り机から離れないキャンペーン」を開始した。
それでも、ほんの数十分したらぼーっとして、また気を入れなおして、またぼーっとしての繰り返し。何回か、机にいることが気持ち悪くて仕方なくて、うずくまらざるを得ない時もあった。
そして時々、「早稲田 スポ科 競技歴 配点」と調べていた。

結局閉館まで居れたもんじゃなく、「何かやらなきゃ、なんか大きな刺激が欲しい」と思って、その帰りには高崎駅のくまざわ書店に行って、受験生の最終形態が取り組むような、もはや全くもって必要のない、勿論ルートには載っていない現代文と、古典の参考書を買って帰った。



次の日は、その参考書をもって図書館に向かい、久しぶりにわくわくしながら、集中力を取り戻して解いていたのだが、逆に激ムズすぎて、集中力が落ち、再び何事も中庸が大事といったアリストテレスの言葉が深く思い出され、そして気づくと、「早稲田 スポ科 競技歴 配点」と検索していた。



次の日なんかはまた何もやる気がなくなって、3時くらいまでソファーで何もせずぼーっとしていたのだが、何もしないのは無駄だなと思い、丁度高校の部活が始まりそうな時間だったので、監督に電話して、急遽サッカーをしに行った。
なんだかんだ、自分が試みたセンターボケ対策で一番効果があったのはこれであった。最初の1週間はこんな感じであった。




そうこうしてるうちに、先日駿台大宮校まで約1時間半かけて行ったセンターリサーチの結果が返ってきた。

するとそこには、
中央大学:A判定
立教大学:A判定
明治大学:限りなくAに近いB判定、まぁ受かってるとみてよいだろう。

そして渦中の早稲田大学スポーツ科学部競技歴方式:余裕のA判定。
しかも問題はその推定順位だ。確か志願者の中で12位とかであった気がする。前年の倍率は4倍。400人受けて100人受かっていた。そう考えると、自分は88人に抜かれてもいい計算になる。「あれ、?これ受かったんじゃないの?」という思いがそれを機に一層強くなり、気が付くとそれは「これは受かっている」という虚実にすり替わっていた。

日がたつにつれて、「早稲田 スポ科 競技歴 配点」の検索回数は増えていき、どうにか自分と似た境遇で見事合格を勝ち取った投稿者の投稿を見つけるまでは、その日の検索を終えることはできない。

まぁ、3日目くらいから「なんだよ、、、この投稿昨日も見たよ」ってのが明らかに増えてくる。そして、自分でも、自分が合格するありとあらゆるパターンを考え出す。
「競技歴、県大会第3位だからなんだかんだ100点は貰えるだろう。100点あれば十分受かるだろう。自分の代は育英が全国優勝しているから、その県内3位は他と比べて加点になるんじゃなかろうか、いや、そうに違いない。そもそも早稲田大学ともあろうものが、いくら競技歴といえど、こんなに点を取った人を落とすだろうか?いや、落とさない。」など、考えられるパターンは考えつくした。そう思えば思う程その虚実は信憑性を増していく。

日が進むごとに、あぁ、俺受かっちゃったのか、って思いが先行する。生まれた初めてなにか壁を、順応を超えた気がした。そうなると自分はあらぬ方向に進むのだ。
何と言ったらいいかわからないので、この時自分が書いていた“闇ノート”から特別に抜粋させていただく。


「闇ノート」
塾講師が「なら来るな」と言った時の論破方法

給料高くなるとやる気なくす教師はそもそも概念から学び直す必要あり
塾→県営国営化

①目標:どうにか人間それぞれ最も適性のある職業に付かせる方法を見つけたい
②研究:そもそも人間の才能と願望は分離されるものであるのか
(例)その人は教育の才能適性がかなりあるが、願望はプロスポーツ選手になりたいなど。

研究:もし塾の国営化、私立大学の費用を制限した場合社会全体にどのような影響がでるのか。行く行く社会主義などに戻ってしまうのでは?
ちゃんと経営者に理念を訪ねる。高いなら来る名じゃない。

やりたい研究①:YouTubeの関連動画の欄を廃止した場合に来るYouTuberや一般市民からの批判に納得させるように答える方法。

やりたい研究②:裏アカウント、また、匿名アカウントの禁止を慣行した場合
表現の自由との対立

・いつも行きついてしまう思考
→保険会社の例

遺伝子工学が人間に応用されるとどの人がどんな病気になるかがわかる
それを利用して保険会社は将来病気になる患者を脅し保険料を通常よりあげる
このような悪人をどうにかして陥れたい
ただ、悪いことの定義ってなんだ、他の人を不幸にすることなのか、、、?


以上が、当時の「闇ノート」の、まだ人様に見せられる一部である闇というほど大したことではない。

こんなの今の時代、調べれば出てくるのであろうが、そんなに単純じゃないというのも事実である。当時はこんなことを考えては悩み、結局答えなんて出るはずもなく、最終的には必ず「人の数があまりにも多すぎる」と言って収束する。何か自分にとっての矛盾を見つけると、それを社会の矛盾としてあてはめ、もやもやして、イライラして寝れない時もあった。

この期間に自分にとって“サッカー“とは、抑止力として働いてることも発見した。
今まで時々、「なんで自分ってまだサッカー続けているんだろう」と思うことが多々あった。勿論、「上手くなりたい」という明確でわかりやすい理由はあったのだが、それだけでは続けきれないだろうとも思っていた。それは無意識に、防衛本能が働いていたのだろう。

自分なんかは確実に社会に向いていないので。この期間は本当に気持ち悪かった。

こんなこともありながらも、流石に万が一競技歴に落ちるとあれなので、(“万が一”と使っている時点で自分の精神状態の推移がうかがえる。)なんだかんだ勉強時間は初期より確保できてきて、無事俺を殺しかけたポラリスも終了し、最後は締めの、”俺伝統、日中音読大会”も開催した。

(*)日中音読大会とは、その名の通り日通しCDに合わせて、音読すること
である。12時間続けて当たり前。英語のリーディング速度と引き換えに喉がなくなる。



んでそうこうしているうちに2月9日の、競技歴方式合格発表になった。

急に当日になって、今までの自信が嘘のようになくなり、ここで落ちたらあと5日後にある一般に間に合わないきがするとか弱気なことを思っていた30分前から5Sと見つめ合っていた。

結果から言うと落ちた

今考えれば当たり前なのだが、その時は流石にショックの色を隠せないようであった。そうして、結局人間は変われねぇのかとか思いながら、一生この性格を背負っていかなくてはいけないことにひどく嫌気がさした。それでも、残っていた、見えない敵への復讐心を基に、残り5日、再び修羅となり、可能な限り励んだ。
ここで負けたらダサすぎるだろ。闇ノートも一時休載。



そして迎えた5日後の2月14日。

朝高崎を出て、余裕をもって受験会場の高田馬場に着く。
早稲田のこのキャンパスは、高1の時、学校の大学見学できた以来であり、「大学ってすごいな」と思った反面、「自分には全く縁のないところだな」と思い、一生懸命、華の大学生ごっこをしていた自分を思い出した。「あの自分がまさかここを受けるとは・・。」


試験が終わり、キャンパスから早稲田駅まで歩いている途中、あ、本当に終わったんだな俺の復讐。久しぶりに空を見ながら歩き、一年が本当に過ぎ去ったことを実感する。

肝心の試験は、THE普通。
正直本当にダサいのだが、あまり手ごたえを感じていなかった。

だから歩きながらキャンパスを見て、「これが見納めかもな」と思いながら、また歩き続けた。正直この道中、結構後悔していたんだと思う。
でも同時に、「これが俺なんだ」と思い、それに初めて素直に納得してしまった。

「これで落ちたら、俺は潔く復讐界から身を引こう」と思い、それに初めて素直に納得してしまった。


その日は、次の日に日体大に退学届の本格的な手続きをするために、一度青葉台に戻った。
その電車の中、もう今までのような”勉強をやってない時に生まれる罪悪感“も、”来る受験での失敗を想像して酷く追いつめられること“もない。何にも追われていないのである。なんか乗客皆が仲間に見えた。

青葉台に着き、自宅に着いたら、もう電気が通っていなかった。そんなことも気にする間もなく、かねてより、受験が終わったら飯に行こうと約束していた仲の良い友達3人に合うためにキャンパスに行き、「あれ、俺ってここに本当に通ってたっけ」って思い友達にあって「お疲れ」と言われ、「あ、俺はここにいたのか」と思う。

青葉台の町を初めて見る。「こんな店もあったのか、え、こんな店も、あ、あんな店も・・

あれ、俺ってここに本当に住んでたっけ」と思い、友達に「せな」と呼ばれ、「あ、俺はここにいたのか」と思う。

焼肉を食べ、そのまま友達の学生寮へ。「セナが遊んでるの見たの初めてじゃね」と言われ、「確かに」と思う。

地元の友達に会う。
「本当にやり切ったな」と言われ、「確かに」と思う。味方がいる。

こうして、だんだんと自分を取り戻す。




合格発表当日。

確か12時発表であった。

12時になる。
混雑を予想し、あえて10分遅らせて発表サイトを開く。

自分の欄を探す(早稲田は自分の受験場合を入力するのではなく、〇〇~○○みたいな感じで載っている。)

他の欄を見てみる。
ずらーっと数字が並んでいる。

もう発表が開始されたことを確認して自分の所へ。

空白・・・・?

あれ?もう他の欄は載っていたよな?
10分遅らせたから、あちらのミスとかではないだろう。

となると・・・?

受験番号欄が空白だった場合にあり得る2つのパターン
1:あちらのミス
2:該当者なし

1は10分遅らせた上に、他の欄には載っている。

となると・・・?
該当者なし・・・?

てことは
不合格?


え、でもあの教室めちゃめちゃ人いたぞ。15号館。
あそこ全員が落ちたってこと?
そんなこと・・・ある・・・?


俺:「明日いよいよなんだけどさ、倍率11倍~12倍でさー、俺流石に自信ないわ」

佐々木:「いやシンプルに考えろ、四方それぞれ3人ずつ倒すだけ。それだけ。」

俺:「確かに!なんか楽になった!がんばるわ」


あの会話は一体・・・?

まぁあり得るか。落ちたのか。まぁ、そんなに人生上手くいかねぇか。




電話でも合否確認できるのか。便利な時代だな。
まあ一応やってみるか。


AI:「早稲田大学、合否確認サイトです。受験番号を入力ください」

俺:「意外とめんどいな」

AI:「受験番号○○○○○○ですね?」




「おめでとうございます。合格です。つきましては、こち・・・・・・・・・」




復讐完了。





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