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『「仮面浪人説話集」(生方聖己とされる)』 第14章



丁度本番まで2週間となった日、いつものように朝、家で単語をやって図書館に向かった。その日は、ポラリス3という英語の参考書(早慶レベルの英語の長文の参考書)の1周目のレッスン5・6をやってからセンター英語の苦手分野をひたすらやるという予定であった。 この時期にその参考書がまだ1周目というのはとても進度的には遅かったのだが、そのレベルの問題はセンターには出ないので、「最悪早稲田一般の日に完成されていればいいだろう」という算段であった。だから、2日ほど前に始めたこの参考書は全部で12題あったのだが、早慶レベルという事もあってなかなか1題のボリュームがあり、解いて解説を読んで構文と単語を確認しているとかなりの時間を要した。そのため、この時期そろそろ本格的にセンター問題の安定化を図りたかった自分は、1日2題だけ進めることにした。2題×6日×3周=18日で終わる計算。
その参考書の最初の問題は確か慶應の問題であった。それを解く前、少しドキドキしていた。というのも、早稲田の一般試験日を最終的にゴールとするのならば、これを始めるのが本番約1ヶ月半前、浪人生にしては遅いスタート。この参考書をある程度、今までの積み重ねを生かして解けるかどうかで一般でも点が取れるか取れないかが左右される。だから、もし仮にでも全くその参考書が解けないなんてことがあったら、今までの積み重ねが否定され、あと1カ月半では修正しきれないという事を悟り、3段階目を優に超える、絶望なんて言葉では言い表せないものが降りかかることが明らかにわかっていたので、相当な覚悟を背負って、相当なリスクを負ってその参考書と対面していた。
T塾のルートは絶妙に作成されており、前のレベルの参考書を完遂させたならば次のレベルでも絶妙に、ちょうどよい点数がとれるようになっている。なので、新たなレベルで点を取れないということは、それ以前の参考書を”身につけた“のではなくただ”暗記した“という事を意味する。そこから生まれたドキドキである。本来はこうならないようにもっと早くから取り組んだ ほうがいいに決まっている。ただどういう訳か、こう解っているのにこうできない人のほう が今まで自分が見てきた感じ圧倒的に多い。なぜだろうか。
あとほんの少しだけあったのが、いよいよ自分もここまで到達できたのか、あの夢にまで見たポラリス3が目の前に、という興奮からくるドキドキもほんの少しだけあった。1年前の受験が終わった際にすぐ駆け付けたT塾高崎校で無料で貰ったルートの早慶の欄に記されていた“ポラリス3”。そこにたどり着くまでには果てしない時間と正しい勉強を要する。勉強とはほぼ無縁であった自分に、復讐心を原動力としている自分に本当にたどりつけるだろうか?たどり着いた自分 はどんなになってしまっているのか?


ようやくの思いで解き始める。その緊張感は本番さながらである。

そして気づいた。
「あれ?意外といける。むしろ簡単」

終わってみれば 正答率9割越え。「え、早慶の英語長文ってこんなレベルなの?」とも正直思った。そしてその時の会場はあの”ポポロ“(第10章を参照)。乗り出したら止まらない。
ただ、まだ1題だけ、たまたま自分に合っていただけかもしれない。予想外の出来とポポロの空気感によって有頂天になりかけていた自分はもう一度軽く気を引き締めなおし、次は2の早稲田の問題も解いた。するとこれも正答率8.5割。もう完全に有頂天。 もうその時は、何をやってもうまくいく気がした。ポポロ内に存在する空気から地球上に存在する空気全てまでもが自分に味方した気がした。その時は受かるイメージしか湧かなかった。「ほらやっぱできちゃったよ。成し遂げちゃったよ。こんなもんだよ。みたか世の中。」 と、その時だけ合格発表を終えた2月23日にタイムスリップしていた。その日は本当はも っとやるべきことがあったのだが、もう受かったので何もやる必要はないと思い、即刻チャリで大観衆のホームの中、空気たちが催す合格パレードを味わいながら帰宅した。そしてそれですぐに眠りにつけばよかったのっだが、ご飯を食べながら録画していたガキ使を見だしたのである!いつもならご飯は部屋にもっていき、何かしら参考書片手に食べていたのに。 一言で言うと阿呆である。


朝起きると残念ながら酔いからさめていることに気づき、またいつものように単語を始め、いつものように図書館に向かって延長戦を行い・・・。
この日は3・4の問題を解いた。横国大と早稲田の問題。どちらも7割行くか行かないか。 昨日はやはりたまたまだったのかと少し落ちたが、初見でこのレベルを7割取れているのは別に悪くはないとも思ったので、特別気にすることなくよく眠った。



そして2週間前となった日、なんだかその日は曇りでどんよりしていた。初めに言っておくと、今まで生きてきてこの日ほど人間の機能が停止した日はない。心臓が強いて動いていたくらいではないのかと想像する。死ぬ直前には間違いなくこの日を思い出すであろう。もし自分が認知症を患っておらず、寿命により命を落とすことになった場合だが。 

まずその日はいつものように単語と戯れ、10時少し遅れで図書館に向かった。図書館では主にセンター英語をやろうと思っていて、その前にポラリス1日2題のノルマを終わらせてしまおうと考えた。先に難しいほうを終わらせたら、より簡単なセンターを解いている際の精神的負荷が減ると思ったから。5の問題は確か早稲田の問題で、いつもより難しかったため6割行くか行かないかであった。
「うーんまあこんなものか」とか思いながら解説を終えて、次に行こうとしたときにいつもよりナーバスな自分に気が付いた。天気のせいもあるだろうが、この6割は実力の6割ではなかったこと理解していたからだ。いつもは根拠を持って答えていたのだが、なんかその問題はすべてが曖昧で、全てがなんとなくであった。まあ ただ、1〜4の問題を普通に解いていたので錯覚していたが、早稲田ともあろう大学の問題が簡単に抜けるようでは困るし、今までが簡単であっただけで、「これくらいでなくてはな」と自分に言い聞かせながら次の問題に進んだ。
6題目。それは東京外国語大学の問題。国公立形式で、本文中にでてくる12個の()に、選択肢の英語を必要であったら変形させろという問題。「うわ、ちょっと苦手だな」とか思いながらスタートさせたのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全くわからない・・・・!!!


こんなにわからないのは本当に久しぶりであった。思い返せば、1年前に初めて明治の赤本をやった時以来。()のなかが解らないのではなく、全てが解らない。本文から何まで。見事なまでに自分の知らない英単語が文の主力に使われていた。選択肢の単語の意味も比較的わからないことが多い。人通り文を読み終えて全くわからなかったため、少し制限時間を延長して2周目に取り組むも何の進歩もなし。ただ一応空白は作らず全て埋め、もう無理だと思い答え合わせに向かった。

結果は12分の0

今までこつこつ丁寧に英語に取り組んだおかげで、いくら初見でできないなーと思った問題も5割を切ったことは滅多になかったし、ひどい時でもなんだかんだ6〜7割取れていることが大半であった。だから自分の中で「できない=5割は取れている」という思いが無意識にあった。

ただ、結果は0

0なんて生まれてこの方取ったことがない。それも1年前のまだ未熟な自分がこの問題を解いたならまだしも、あれを機に、あの悔しさをバネに、着実に1年かけ成長したはずの、いや、確実に成長した自分の、持てる力を全て出したうえでの0。
言い訳のしようなんてあるはずもなく、余りに予想外の出来事に震えが止まらなくなった。たまたまの0なんかない。 手を震わせるながら解説のページに向かう。 なんていったって一番大事なのは復習だ。ところが何も頭に入ってこない。
未だに信じられなかった。0を取ったことが。解説をよそ目に、必死に理由を探していた。自分が0を取った。でも必死に探しても、「解らなかった」以外の答えは見つからなかった。この期において解らなかった?そんなことがあるはずがない。いつもの倍以上の時間をかけて、何も頭に入っていないことを理解しながらも、解説のページをめくり終え、とりあえず6題目を終わらせた。
そして震える手を前に組みながら一度落ち着いた。そして、「よし!切り替えて いこう」と思い、リュックにポラリスをしまいセンター英語赤本を取り出した。 そしていつものように、③〜④を中心に解き始める。何もわからない。いつもなら簡単に何事もなく解き終えるのに、何もわからない。震えが止まらない。視界が揺れる。左から英文を読みだす。何も頭に入ってこない。

そうだこれだ。この感覚だ。去年初めて赤本を見た時に感じた。帝京大学のIリーグのとき(第4章を参照)に感じた。ただその時よりもはるかに大きい。
「あぁ、結局来たんだな。来ないなんてことあるはずもないか・・・あははははははははっはは」。
そこでようやく自分が“0”を取ったことに気づく。その瞬間、全ての不安、というより起こりうる最悪の形が”受験生マジック“の溶解とともに一気に押し寄せてくる。 


・この後やる漢文のできがひどく、センター試験に失敗してそれを引きずり一般でも失敗し2浪
・100点取る予定の日本史で大コケし、それを引きずり2浪
・センター英語で今日みたいにわからな過ぎて失敗し2浪
・センター古文、難しい物語が出て失敗し2浪



こんな感じで考えうる最悪の形を可能な限り想像しつくしたら、次は自分の持つ全ての力を振り絞って後悔する。

友達の懐疑的な目を押し切って仮面浪人を決意したこと。
親の反対を押し切って仮面浪人を決意したこと。
監督の反対を押し切って仮面浪人を決意したこと。
自分なら絶対できると思って仮面浪人を決意したこと。
どんなことがあろうと、ここまでぎりぎりのスケジュールになってしまったこと。
辞める際に「もう戻ってくることはない」とコーチに言ってしまったこと。
皆と自信満々に最後の挨拶を交わしたこと。
日体大サッカー部に入ったこと。
日体大に入学した事。
仮面浪人になったこと。
受験に出会ってしまったこと。
人間に生まれたこと。


そして最後に、落ちた時の周りの心情を読み取る。

やっぱ無理だったかと思う友達。
やっぱ 無理だったかと思う身内。
やっぱ無理だったかと思う監督。
やっぱ無理だったかと思う日体大のコーチ。
やっぱ無理だったかと思う日体大の友達。
やっぱ無理だったかと思う社会。



そうして頭が真っ白になる。赤本を閉じる。外を見る。うずくまる。
不安→後悔→自責→不安→後悔→自責→不安→後・・・・・・・・。

1時間後、席を立つ。まだ午後2時。構わず家に帰る。家に着く。部屋に籠る。うずくまる。
不安→後悔→自責→不安→後・・・。

リビングに出る。机に座る。テレビをつける。テレビ を消す。部屋に籠る。
不安→後悔→自責→不安→後・・・。 

午後3時にして寝るかと思う。ベッドに入る。
不安→不安→不安→何かやらねば→何をやっても頭に入らない→不安→後悔→自責→寝れない→起きる→机に座る→うずくまる→横を見る→もう既に4周終えてセンター前最後に5周目して確認しようと思っていた『石川日本史』実況中継がある→何となく手に取る→開く。



気づけば次の日の朝の6時になっていた。異様なまでに激しく鼓動を打っていた心臓はもと通りの脈拍になっていた。気づけば落ち着いていた。
どうやら14時間ぶっ続けで『石川日本史』を読んでいたようだ。約400ページあるその本はだいたい1時間40ページの計算で進むので1冊は優に読み終え、途中で極東裁判の動画が現存しているか気になり、調べたらあったので、それを夢中になりながら見ていたようだ。 

そうしてまたいつものように単語達と戯れ、図書館に向かい、ポラリスの 7・8題目を解き、7割くらいの点を取り、センター英語の対策を続け、延長戦を行い、帰って参考書片手にご飯を食べ、長文に出た新しい単語を思いながら睡眠に入る。





第15章へと続く…

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