「誰かと紡ぐ物語」 3年・西前一輝
---------------------------------------------------
「人生とは、本質的に極めて相互依存的である。自立だけで最大限の効果を得ようとするのは、ゴルフグラブでテニスをするようなものだ。
相互依存は自立よりもはるかに成熟した状態であり、高度な概念である。肉体的に他者と力を合わせることができる人は、自分の力で結果を出せることは言うまでもないが、他者と協力すれば、自分ひとりで出す成功の結果をはるかに上回る結果を出せることを知っている。相互依存の段階に達した人は、他者と深く有意義な関係を築き、他の人々が持つ莫大な能力と可能性を生かすことができる。」
これは私が今、読んでいる本の一節です。
人間は誰しもが他者に助けられ、助けながら生きています。その前提として、まず個人として「自立」していることが求められますが、人と人の助け合いの総和が大きな力を生むことを説いているように思います。そして、それは自分と他者の双方向の繋がりを意識していることが念頭に置かれているのでしょう。
---------------------------------------------------
私は自己中心的だ。
私のこれまでの人生は、自分が思うままに自分がやりたいことをしてきた。
多くの方々にご迷惑をおかけしながら、決して順調な道のりでもなく、寄り道もしながら、でも、今こうして早稲田大学ア式蹴球部という本当に素晴らしい環境の中で大好きなサッカーをすることができている。
振り返っても今のところは最高の人生だなと素直に思うことができる。自分にとっては。
でも、最近思う。
「俺の人生って俺だけが楽しければいいんだっけ。」と。
これまでの人生の意思決定の中心にあるのは、
常に「自分がどうしたいか」という物差しだった。
幼稚園生の頃は、「自分が」使いたいから他の友達が使っている最中のおもちゃを奪い取って自分のものにしてしまう。
小学生の頃は、「自分が」したいこと・やりたい遊びに多くの友達に付き合ってもらっていた。
中学生の時は、「自分が」目立ちたいから眉毛を剃ったり、シャツを出して悪ガキぶっていた。
大学受験の時は、「自分が」早稲田大学ア式蹴球部で活躍したいから受験をする道を選んだ。
主務になることを決めた時だって、「自分の」可能性を広げることができる最高の「ツール」だと思って引き受ける決意をした。
「チームのために頑張りたい」というのは外身を固めるだけの常套句だったのかもしれない。
日常の些細な出来事から大きな決断までほとんどの意思決定を他者に与える影響や自分を支えてくださっている人の気持ちなどを鑑みずに自分がやりたい、自分が楽しいという自分本位の尺度で判断を下していた。
両親や身近な人からは
「もう少し他人の気持ちを考えて行動しなさい。」
と指摘されることもしばしばあった。
それでも私は「好きにやらせてくれ」と聞く耳を待たなかった。
自分の努力次第でどんなでっかい夢だって叶えることができると思っていたし、高く険しい道に挑戦していく自分が大好きだった。
それに他人には自分のかっこいい姿しか見せたくなかった。
周りに本当の自分をさらけ出すことを遮断していた。
それは去年のブログリレーの時に自分の想いを綴ることをしなかったことにも繋がるだろう。
自分の苦悩を誰かに打ち明けることはどこか同情を求めているようでなんだか気持ち悪かった。
酸いも甘いも全て自分で消化して、自分で選択して、
そしてその結果得られるものも全て自分で享受していた。
では、なぜ最近、
「自分が楽しい。」という意思決定に違和感を抱くようになったのか。
その要因は紛れもなく「ア式での日常」である。
組織や部員が私に見せてくれる姿の1つ1つの積み重なりが徐々に私の思考に変化をもたらした。
1年生が莫大な仕事量をチームのためにと試行錯誤しながら取り組む姿。
選手のケガに対して全力で向き合い、誰よりも長い時間グラウンドにいる省一郎さんの姿。
どのような状況、立場に置かれたとしても常にチームのために全力でトレーニングに励んでいるデラ(3年・小野寺拓海)の姿。
これらはア式が見せてくれる日常の極々わずかにすぎない。
毎日どのシーンを切り取っても多くの部員は自分よりも他者や組織の存在を優先させて価値貢献しようという姿勢を見せる。
そのような姿を毎日なんとなく見ていた私は、夏頃から自分の存在に対してどことない違和感を感じるようになった。
本当に「自分本位」の幸せを追い求めることが善なのかと。
そして、残留を争う中で過ごした2週間は私の意思決定に対して大きな変化をもたらすものとなった。
あの2週間は到底自分本位な思考では耐えうることのできない厳しい日々であった。
もし、自分のために残留を目指そうと考えていたら、逃げ出していた。
だって私はそんな強い人間じゃないから。
しかし、そこには以前の私はいなかった。
チームを残留させて、ア式蹴球部を支えてくださっている方々や私に携わってくださった方々になんとか報いたいという想いしかなかった。
そこに「自分が」という思考は全くなかった。
誰かは「結局のところは他者へ貢献している自分に酔っているのではないか。」と言うかもしれない。
でもあの時は違った。
心の底からチームのために、応援してくださる人のために身を捧げたいと思った。
だから、できることは全部やった。全力で。
たとえメンバーに入ることができなくてもチームのためにできることはあると信じて毎日を過ごしたし、その先にあるのは自分ではなく誰かだった。
そして、迎えた残留の時。
これまでにない達成感は仲間の笑顔や観客席の歓声からくるものであった。
誰かのために全力を尽くし、喜びを分かち合うことがいかに尊いことかを学ばさせていただいた。
その時に「誰か」のために全力を尽くしたいとも思った。
そして、この思考に行き着いた時にふと思った。
これまで私を支えてくださった方々は私のために向き合ってくださった人がたくさんいたのではないかと。
今の自分があるのは周りの方々のサポートのおかげであり、決してそれは当たり前のことではないのだと。
これまでの人生は自分が主人公であったから、そのようなことを考える術がなかった。
しかし、これまでの人生を冷静に振り返ってみると、
今までの自分では気付くことができずにいた、多くの支えを受けていたことを感じる。
だから、まずはこの場をお借りしてこれまで私を支えてきてくださった方々に感謝を伝えなくてはならない。
その中でも特に私の人生に大きな導きを与えてくださった方々に感謝を述べさせていただきたい。
そして、その思いを残り1年となったサッカー人生への覚悟の表明とする。
・FC町田ゼルビアのサポーター。
アカデミーにいた時から日本で一番情熱的なサポーターであるということはわかっていました。
選手もスタッフもサポーターも関わる全ての人が生み出す一体感はゼルビアの財産です。
ただ、今になって、究極的に選手にエネルギーを与えたいという想いの凄みを感じます。
今もなおゼルビアサポーターの方々のサポートが私の原動力となっています。
・高校時代の同級生のたけし。
誰よりも志が高く、誰よりも努力を続ける姿勢を尊敬していた。
その意思の強さは仮面浪人することを選択した時にも表れていた気がする。
多くのことを犠牲にしてでも信念を突き通すその姿がかっこよかったよ。
でも実は今の方が刺激をもらっている。
Instagram越しで見るたけしのアメリカでの生活は、常に自分の襟を正すきっかけになっている。
おそらく優秀な戦略コンサルタントになるだろう。
自分もたけしと勝負できる人間になれるように精進する。
・雄大くん
雄大くんの背中は本当に大きかった。
誰よりも苦しいはずなのに、誰よりもサッカーがしたいはずなのに、その想いを押し殺して、チームのために働く姿をずっと見ていた。
どこからその力強さが湧いてくるのかまだ未熟な自分には見つけることができない。
でも、いつの日か雄大くんみたいな人間になりたい。
・同期
早稲田大学ア式蹴球部に入部してよかったと思える理由として真っ先に思い浮かぶのは、同期の23人と出会うことができたことだと思う。
どのような巡り合わせがあったら、こんなにも素晴らしい23人が集まるのかなといつも思っている。
彼らはいつも自分に気づきを与えてくれる。
自分が見えていないものや見ようとしないものを見せてくれる。
これは当たり前のことではない。
いくら同期でも他人に干渉していくことは結構しんどい。
それでも全力でぶつかってきてくれることが本当に嬉しい。
そして、今思うのは、
「最高の4年目を過ごしたい」ということ。
自分たちならできると信じて止まない。
絶対に強い早稲田を取り戻そう。
最後に感謝を伝えなければいけないのは、
「両親」
恥ずかしながら、これまでの人生で感謝の気持ちを伝えたことはなかった。
感謝はしていたけれども、なんとなくうやむやにしてここまできてしまった。
とはいえ、面と向かって言うのは性格的に無理なので、この場をお借りしたいと思います。
--------------------------------------------------
ここまでたくさんの人に支えられて、早稲田大学ア式蹴球部という素晴らしい環境で過ごすことができています。
ただ、一番の支えとなっているのはやはり両親です。
小さな頃は飛んだバカ息子で悪さをたくさんして迷惑をかけました。
やっとまともになったかと思えば、大学受験で精神的にまいっている姿を見せてしまったことで多くの心配をかけました。
そのような中でもなんだかんだ常に味方でいてくれて、自分の意志を尊重してくれました。
母親は中学生までは何かとすぐに怒っていたような気がします。
でも大学に入って、家を出た途端、優しくなりました。
口ではいなくなって助かってると言っているけど実は寂しいのではないかと思っています。
この調子だと孫ができた時が思いやられます。
父親は、やたら自分の経歴を自慢してきます。
それを聞いていた私は「そんなこと大したことじゃないだろ」と思って聞き流していました。
でも、就職活動を始めて、「あれ、ちょっとすごいのかな」とも感じるようになりました。
弟も含めて2人の息子を私立の大学に通わせることは素直にすごいと思います。
(あと1年は親のスネをかじらせていただきます。)
そういう訳で、最近は自分が育ってきた環境を上回る環境で子供を育てることが人生の目標の1つになっています。
それが1つ、両親への恩返しなのかなと思っています。
大学に入学してから、サッカーをしている姿を両親にあまり見せることができていません。
私のサッカーをしている姿を見ることをずっと楽しみしているはずです。
でもそんなことは口にも態度にも出しません。
私に気を使ってくれているのでしょう。
大学生活も残り1年となってしまいました。
「両親のために」私はリーグ戦のピッチに立たなくてはなりません。
もう一度、私がピッチで躍動する姿を必ず見せます。
私のサッカー人生、最後の1年の生き様を見守っていてください。
そして、これまで支えてきてくれてありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
---------------------------------------------------
ここまで長々と自分の思いの丈を語らせていただきました。
お付き合いありがとうございました。
私がア式蹴球部で過ごした3年間はかけがえのない時間です。
最後の1年はどのような物語が待っているのでしょうか。
そして、私は「これまで支えてくださった方々」のために全力を尽くします。
皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。
西前 一輝
西前 一輝(にしまえ かずき)
学年:3年
学部:スポーツ科学部
経歴:FC町田ゼルビアジュニアユース(稲城市立稲城第六中学校)→FC町田ゼルビアユース(東京都立町田高校)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?