謹賀新年

『「仮面浪人説話集」(生方聖己とされる)』 第1章

⚫ 前書き

これは、生方聖己という男が書き残したとされる、作者がこれまでの人生で遭遇したエピソードを集めた説話集である。編者はこれを自伝だと思っているのだが、作者曰く、これは説話集であるらしい。とてもクセが強い。

本書には、どうやら前編があるようだ。
これは早稲田大学ア式蹴球部の部員ブログになるのだが、以下の前編を読んだ上で本書を読み進めることを大いに勧める。しかし、とてもとても文章が長い。
本書の厄介なところは、長い長い前編を読まないと話の内容がイマイチ理解できないところだ。
しかし、これが非常に面白い。

尚、作者は他人の理解の範囲を大きく超える独特の世界観を有しており、本書には内容を理解するのが非常に難解な箇所が散見された。そのため、編者が現代語訳をしたり注釈を入れたりすることで、読者が読みやすいように工夫をした。それでも尚理解に苦しむ箇所があれば、そこから先は作者本人に問い合わせていただきたい。

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⚫ 2000年後の君へ

2020年1月6日午前5時27分。
ようやく約半分書き終わったこの時点で一番初めに戻ってきた理由は、この先この永い文を読み進めていく上での注釈を記すためだ。
では、始める。

まず一番大事なことは、この話が始まるきっかけとなった、”受験“というモノ?コト?存在?のちっぽけさを常に心の片隅に、いや、念頭に置きながら進める事である。やはり”受験“を中心にこの話が進んでいくことをやめることができない。ただ、”受験“という人工物はそこらへんのはさみやえんぴつ、モデルガンと何ら変わりはなく、ましてや太陽、月、川底に沈む石や土、生物などの自然物にはかないっこないということ、これらのことを深く理解しなくてはいけない。

そして、この文を読む際は必ずとまでは言わないが、できる限り「自分ならこの部分をどう考えるだろうか」「自分がもしこの場面に直面したらどうなるだろうか?」などを考えることをやめないでほしい。(別にそこまで強く思っていない。そもそもこの永い間、常に新たな考えを与えられる文を創っていない。)
最後に、できるだけ最後まで読み切ってほしいが、飽きたら途中でさっさとやめ、寝るなり食うなりもっと有意義なことに時間を使ってほしい。言わなくてもそうするだろうが、念押しだ。(これもあまり強く思っていない)

以上

【説話】・・・話。物語。特に、語り伝えられた神話・伝説・民話など。



⚫ 臥薪嘗胆

おはよう。11 月13日。冬休み中にこの間のブログの続きを書くことになっていたのだが、いくら何字でも書けると言ったものの、本当にまた書く機会が来ると思ってなかったので、少し焦っている(開始早々“焦る”という陳腐な言葉を使ってしまっている時点で、今日の頭は冴えていない)。あぁどうしよーかな。特に思いつかないな。まあ今日は書き始めただけよしでいいか。1つ気づいたのは、語彙が欠如しかけている。今日の進展はこれに気づいただけか。先が思いやられる。



⚫ 完全に理解するにはあと10億年は足りないであろう宇宙の中の数ある銀河系の中の天の川銀河の中の太陽系の中の地球という惑星に存在する”人間“という原子の集合体

眠くない。12月14日、午前3時12分。Dailymotionでリーガルハイを見ている。

古御門先生 「どんな関係であれ人間はいがみ合う生き物だ。」
生方聖己  「解る。」

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この時間まで何か机に向かい作業しているというのは長らくない気がする。
今日は2019年12月14日。今気づいたのだが(本当に)、2018年12月14日、つまるところ去年の今日は、自分が日体大サッカー部を辞めることを皆に告げた日である。
このことに気づく約3分の間の脳内・・・【今日は12月14日か。どうせなら明後日の16日ならよかったな。16日なら去年の今日辞めた日だから上手くそこから話を繋げられたのに・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・トゥーン・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちょっと待てよ。あれ。そういえば去年の今日はお茶の水の駿台校舎で1ヶ月後に控えたセンター試験前最後のセンタープレ模試を受けていたな。思ったより寝すぎて1限目の日本史に遅れた“あの”模試。受験を始めて以来、一度も落ちることなく伸びていた結果(本当)が初めて落ちた“あの模試”。隣の席の金髪浪人生の貧乏ゆすりに睨みを利かせていた“あの模試”。“あの”をつける程、特に思い入れがある訳でもないあの模試。あれは2018年12月の16日であったわ。んでもって模試の前日は確か、“本の家”(青葉台にある図書館)にこもって明日に来たるべき模試に備えて勉強していたな。あれ、辞めたの15日だっけ?ま、14日でいいか。とりあえず16日は確実に “あの模試”を受けていたわ。(前回のブログにも 16 日に辞めたと書いてしまっていた)】

ということで、前の部員ブログの続き、要するに、自分が日体大を辞めてからセンターを受けるまでの約1ヶ月間&センターが成功してしまってから早稲田大学スポーツ科学部一般入試を迎えるまでの3週間の、本当にあった地獄の日々(前回のブログで長くなりすぎるために省いた日々)について話そうと思う。


【「12/20 に追記」・・・そういえば 12 月 16 日は大河ドラマ「西郷どん」の最終回だった。 西南戦争最後のシーン、実際はどうであったか知らないが、ドラマながら薩摩武士の意地を 感じ、紀尾井坂で大久保卿が暗殺された際にはこの上ない悔しさを感じた。ドラマながら。】

といきたいところであったが、気づけば朝の4時50分。自分はこれからグラウンドに向かわなくてはいけない。というのも、今シーズンラストの練習試合、鹿島アントラーズ戦の荷物の詰め込みを皆としなくてはいけない。なので、次にパソコンを開くときにあの時の話を書こう。
いやぁ、にしても相手はアントラーズか。勿論、自分はまだまだ出られるはずはないのだが、怪我人ということもあり、審判として行くことになった。

早稲田ア式では、このように、J1・J2 のチームと練習試合をすることがちょいちょいの頻度であるのだが(先程も述べたように、出場することはまだできない)、このような機会がある度に自分は、“本当にこの組織に入れて良かった”と思い、それと同時に、入部を認めてくれた、今は引退された4年生、先輩方に感謝の念を抱く。それはこの先もずっと抱く。


家を出る。





第2章へと続く…

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