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『「仮面浪人説話集」(生方聖己とされる)』 第7章



⚫️ センタープレ模試の詳細と計画と余談(続き)

「日本史」
確かこの模試で自分は85点くらいだった。
満点を目指している奴が1ヶ月前に取る点数ではないことは明らかだ。
ただ、落とした15点分は、未だかじりたての、インプット中であり、ただし1ヶ月後には完全なるアウトプットが成されているであろう【近代:だいたい第二次世界大戦〜現安倍政権】の範囲であった。要するに、これまでの範囲【縄文〜昭和初期】の知識に関してはこの時期までに完全にアウトプットが完成されていて(それがまあ当たり前だが)、結果として出たので何も問題がなかった。

そもそも自分が「受験のための日本史」を勉強し始めたのは、1ヶ月前の11月初めであった。これは普通に考えればとても遅いのだが、これには訳があり、と言うのも自分の中で“日本史”というものは長期記憶になっていたからだ。

自分はかねてより、“何故だか”「日本史(日本史にとどまらず“社会”という教科全般)はできなくてはいけない」という考えが常に脳裏に焼き付いていた。アダムスミスの「国富論」の言葉を借りるならば、少し使用用途は違うけれども、“見えざる手”によって導かれていた。なので、いつも定期テストが近くなるとテスト前日、良くて3日〜5日前に始めていた他の教科に対して、日本史(社会)は1ヶ月前には少なくとも始め、少しでも理解に苦しむところがあれば先生に聞くなり教科書を見たりネットで調べたりして、完全に理解するように(というより“そう”しなくてはいけなかったのだが)してからテストを迎えていた。

「日本史は覚えるだけのただの暗記教科なのだから、 解らないも何もないではないか」とそこのあなたは思われるかもしれない。

確かにその通りといえばその通りなのだが、違うといえば違う。自分は、「なぜそうなったのか?」ということが完全に理解できないと次に進めない性格であった。
例えば、日本で最初の全国的戸籍が670年に作られ、 口分田というものが多くの人民にわたった後に、荘園というものができたのはなぜか?知行国との違いは何か、そしてその荘園体系が衰退していったのはなぜか?
これくらいならば、基本的に点を取る人は当たり前のように所持している思考回路。しかし、それに合わせて自分は(日本史で例えると少し難しくなってしまうのと、これといってパっと良い例が思いつかないので日常的なものを用いて例えさせてもらうと)、「ペンはなぜ”ペン“という名前なのだろうか?」「そもそも”名前“とは何なのか?」といった類の非常に厄介な思考回路を所持してしまっていた。なので、日本史の勉強をしている時は、決まって苦しい思いをしていたのを覚えている。まあだから、日本史は自分にとって暗記教科というよりも、“自分から逃げない教科”と言える。 それに加え、テストを創る先生が、なんとも絶妙な、素晴らしく実践(受験)に近いテストを創るセンスを兼ね備えていたため、残念ながら、ワークの内容をそのままテストに出したり、「このプリントをやっておけば点が取れますよ」と言い放って、たった1枚のA4のプリントを配布し、テストの約50点分を本当にそのプリントから出す、と言った類の素晴らしい行いをすることはなかったが。【『本当にあった怖い話』より抜粋】

“日常の日本史”とともに、別に欲しくはなかったが後々生きる事になる“点を取るための日本史”の能力も手にすることができた。そして、これらの本能的取り組みの偶発的積み重ねにより、私は日本史という教科において長期記憶を獲得したのだ!(現役時、選手権が終わってから約1ヶ月以内でセンター英語の偏差値を爆上げできたのも、この時期日本史に割く時間が1割未満で 済んでいたからだと思われる)

定期テストが終わった後はもちろん勉強しなくなり、人間である以上どんどん用語を忘れて行くのだが、よく言われる「日本史は、用語が解っても“流れ”が解っていないと〜〜」というこの “流れ”を忘れることは絶対になかった。
自分にとってこの“流れ”に対する認識のレベルは、「地球は太陽の周りを周っている」「魚類は水のない地上では息ができない」「人間を含むすべての生物とされる原子の集合体には必ず“死”が訪れる」、といった事実に対する認識のレベルと同じカテゴリーに属していた。そして、一度本気でインプットした用語というものは一見、脳から消息を絶ったと思うものの、実は脳の奥底に深く入り込み、住み込んでいるのだ。だから、ちょっとだけ出てきてくれとお願いすればすぐに顔を出すのだ。その代わりに、一度でいいので彼らの名前をしっかり呼ばなくてはならない。
これらを証明するものとして、現役受験を終えてから浪人中の 11 月まで、1 度も日本史を勉強していなかったが、模試では基本8.5割以上は取っていた。


最初の「日本史はできなくてはいけない」という箇所で、先程は“何故だか”と述べたのだが、実のところを言うと、その理由として「おそらく自分の中に宿っていた“武士”を引き出したからなのだろう」と思われる導因があるはあるのだ。

それはまだ自分が若かりし12歳(小6の冬)の時。夕飯を食べた後の20時半くらいに、なんとなくその時やっていた歴史系テレビ番組を見ていた。その番組は確かTBS テレビの『世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー』っていう名前。 本当にただなんとなく、特に他に観たいものもなかったのでそのままつけていた。現代のアナウンサーが時空を超え、戦国時代やら明治時代やら色々な時代に行き、渦中の偉人にあらゆることを取材する、というのがその番組のスタンスである。だから、戦の真っ只中に取材を敢行し、「銃弾や大砲、矢が飛んできたので一旦退きたいと思います」という流れはあるあるである。要するになかなかセンスのある番組である。

そして、その回の主人公である伊達政宗の肖像画が「これだと余りイメージが湧かないであろうから」という司会の一 言によって、戦国無双というゲームから引用された伊達政宗のイメージ画像を上乗せした瞬間、私の身体中に激震が走った。

「、、、、、、、もしやこれは、、、、、、、!!!???」





第8章へと続く…

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