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『「仮面浪人説話集」(生方聖己とされる)』 第15章



⚫ 〒194-8543 東京都町田市東玉川学園3丁目3165

あの日以降は毎日を常にギリギリの精神状態で過ごしていた。
例えばであるが、あの日以降は勉強場所の1つであった公民館を使わなくなった。なぜかと言うと、ほんのちょっとのことで落ち込み、あの空気感によって落ち込み具合が一気に増すからだ。
初見の問題も午前中、 午後の早い時間にやることはやめた。もし失敗した際にその日の残りの時間全てが台無しになる可能性があったからだ。あと初見の問題を解く前は、ひたすら自分に「もし失敗しても気にするな」と説いた。全くもって効果を得ることができなかったが。
コピー機のインクを切らすことも御法度だ。予定が崩れて精神が崩れてしまうからだ。

そして、締め切りギリギリに新たに中央大学経済学部のセンター利用を出すことを決めた。というのも、当初は立教、 明治、早稲田スポ科の競技歴(センターが大成功してしまった時のため)の3つだけに出す予定であったのだが、自分のセンターの出来からボーダー8.2割(受かるには最低でも 8.5 は 取っておきたい)の立教にこける可能性が万が一にあったため、それよりちょっと低いボーダー8割の中央大学に出すことを急遽決めた。
経済学は特に興味があった訳ではなかったのだが、そのたった0.2割の差が命取りになることがあると十分理解していて、なんといってもセンター利用を1つも取れないということを酷く危惧していたため、親と相談して出させてもらった。
それに親は「落ちたら絶対に日体に戻れ」といっていたので、なおさら落ちるわけには いかなかった。親には言えていなかったが、ほぼ退学の方向で手続きを進めていたから。部活もしっかり辞めてしまったし。本当にこの期間は心に細心の注意を払いながら生きていた。 

また漢文なのだが、案の定、初めて解いたときは全然とは言わないまでも解らなかった。まあまあ本文は読めるのだが点の取り方が解らなかった。それに本番は15分で終わらせなくてはいけなかったのだが、25分くらいかかってしまっていた。まあなんとなく参考書をやっている時に古文漢文を学ぶことはトリリンガルの道と捉えていた自分にとっては不十分なルートであることは薄々気づいていたが、なんといっても魔法にかかっていたので。 ただ、今や魔法は解け、残り2週間でセンター漢文を9、せめて8割、なおかつ15分以内に仕上げなくてはいけない。そして現状全然仕上がっていないという現実に向かわざるを得なくなった。
本来ならば、この期間にして2度目の“無”に陥る所であったのだが、その時は最後の希望の光がまだ残っていた。
それは『センター漢文満点のコツ』という参考書が存在していたことである。特別新しいモノではないのだが、センター専門の参考書なので、その設問事の解き方とかセンターで出やすい単語・句形が主に乗っているらしい。常に気になっていた存在で、「もしセンター解いてみてダメだったらそれを使おう」と決めていたので、案の定無理だった時のショックを半減させることに成功した。作戦勝ちである。その日中に高崎駅にあるくまざわ書店に行ってパラパラっと見て買った。かなりコンパクトであったので、1.5日で1周×4=6日で、5周目は1日で終わらせるという計画を帰りの自転車で立てた。そして立て終わった後、「もしこの参考書でも無理だった俺終わりだな」と自転車をこぎながら思った。国語は漢文のでき次第で大方決まるといっても過言ではない。もし無理でも15分以内で終わらせなくてはいけない。スーパー現代文マスターでない限り。だから俺は全ての、この先の未来をこいつに懸ける決意を自転車をこぎながらした。
最初の1周目は、「ここに載てるもの基本今までの参考書に載ってたぞ。これ意味あるのか?センター対策とか言ってる割に他のと変わんないな」とか思い、ちょっと心配になっていた。でも自分にはそいつしかなかったから。とりあえず何かに導かれるように予定より 早く5周して、すきさえあれば音読して・・・。
ある日を境に覚醒した。急に15分以内に 終わるようになったし、正答率も8割を切ることがなくなった、最後のほうは基本45〜50点。大当たりした。その参考書が自分にフィットしていたというより無理やりフィットさせることに成功したようだ。安心した半面自分は今までこのような経験をすることが比較的多かったため、ひそかに期待してもいた。結果、巷の噂通りに約1ヶ月で漢文で点が取れるようになっていた。


センター試験まで残り約1週間、午前はセンター英語(全ての年のぶんを終えた後は河合塾の予想問題集)をやって、午後はセンター国語をひたすら(1日4年分×5日)やった。
漢文が覚醒して心の余裕ができたおかげか、英語は9割〜10割で安定してきたし、国語も良くて9割取れるようになってまあまあ良かった。それでも、5年分に1回は7割付近をとってしまっていたのでまだまだ油断はできなかった。だから、「もし失敗しても気にするな」と説くことも忘れな かったし、国語を解くときの会場は基本的に家かポポロにした。日本史は『石川』のシリーズが本番2日前に全部5周終わる計算でうまくやっていた。




そうこうしているうちにセンター本番2日前になった。

実は、自分は10月にセンター試験の受験表を請求する際に、“帰ってきていた実家の住所”ではなく“神奈川の住所”で登録するというしょーもないミスを犯してしまったため、受験会場が青葉台駅から電車で20〜30分ちょいの昭和薬科大学になってしまった。本番1日前にいくと何かあった時が怖かいという理由で、2日前には青葉台の家に入ることを決めていた。

そして2日前になり、持ち物を入念に確認し、受験表を持ったことを5回くらい確認した。何か1つお守り的参考書を持っていくことにしていたので、親友である“開発講座”をスーツケースに入れ、渋谷行の湘南新宿ラインに乗った。確かギリギリまでこっちで勉強してから行こうと思ったので、高崎を出たのは夜の9時くらい。

青葉台についてから本番までの予定は、まず次の日(センター前日)の朝早く起きて会場の下見。初めていく場所であったため、行くべきだと思ったから。下見に貴重な勉強時間を割くのは気が引けたが、もうこの時期に急に何かやっても変に焦るだけだと思い、自分の持てる力を全て出すための準備をしようと心がけた。
そして下見が終わったら、青葉台駅近く にある“ブックファースト”(本第一主義)という本屋で、河合塾が出すセンター国語予想問題集(河合塾のが一番本番に近いとされていたから)を買った。そして、そこに載ってる5〜6年分の古文・漢文を本の家にこもって一気にやり、家に帰って日本史の忘れやすい単語の最終確認をして、次の日の持ち物を入念に確認、特に受験票(受験票さえあればどうにかなるという考え)を5回は確認し、T塾のセンター前日に出す心得動画を篠原好が出すセンター前の心得動画をゆっくり風呂で観てすぐ寝た。

そして本番当日の朝、起きたら英語のリスニングを3年分(センター利用でどこも要らないと思っていたのだが、立教と中央で使うことが発覚しちょっと焦ったが、 普段からなんだかんだ7割取れていて配点も低いという事もあり、本番の朝だけ一応確 認することにした)をやって、英語の1問目の発音・アクセント問題の確認をして(これも1週間前に始めた。情けない)、1時間半前に余裕をもって到着する。
そして日本史の文化を最後の最後に確認をして、本番を迎える。



気づけば2日前、高崎を出てから本庄につく間にもうここまで完璧な予定を構築し終わり、そのあとは単語を見たりしながら、勿論心のどこかに不安はあったが、それをいったんしまって物思いに浸る。
「やっぱり自分ってギリギリになってしまうのだなぁ。でもなんだかんだルートは基本全部終わらせられたなぁ。こんなにコツコツ物事に取り組 んだのは生まれて初めてであるなぁ(サッカーを除いて)。実はすんごいターニングポイントになるのではなかろうか。」

そうこうしているうちに渋谷に着き、そこから田園都市線のホームに向かい、懐かしい光景を味わいながら自分が本当にここに生きていたことを実感していると、青葉台に着いた。夜中の11時半くらい。
そこからバスに乗って15分くらい、日体からチャリで5分くらいの家の最寄りバス停に着き、そこからサカナクションのアルクアラウンドを全力でかけながら(バス停から家までの道では必ずアルクアラウンドをかけると決まっている)、空にあるオリオン座(自分が唯一見分けられる星座。冬の受験シーズンには必ず夜の空に現れ、中3の時も去年の現役の時もオリオン座を見ていた。オリオン座を見ると受験を思いだす。)を見ながら5分くらい歩き、ラビィエコロという変な名前のアパートに着く。ちなみに、上には仲の良い先輩(風戸君)が住んでいる。

ちょうど夜中の12時くらい。部屋を開けると、参考書やコピーしたプリントが散らばりたい放題であった。こんな汚かったっけ?電気はかろうじてついた。
もう眠かったので、少し日本史と発音アクセントを確認して寝ようと試みた。ここで1つの大きなミスに気づく。スマホの充電器を忘れたのだ!
1つくらいこっちに残っていると思っていたが、なんかあの四角い部分は2・3個あったのだが、なぜかコードがひとつも残っていなか った。まあ確かに自分にしては上手くいきすぎていたため何かしらやっているだろうと思ったが、まさかそれが充電器だとは・・・。その時の自分のiPhone 5Sの充電残量は約30%。自分の5Sはやけに充電の減りが早かったため、100%にしてきたうえにあまり電車で使っていな いのにこの量になっていた。最悪本番当日の行きだけもてばいいのでとりあえずそいつを冬眠させることに決めた。これが後々大きな事件を引き起こす。


次の朝(センター試験前日)、さっそく予定が崩れる。下見に行く予定の時間に起きたは起きたのだが、急に面倒くさく(携帯の件もあったし、下見するくらいなら勉強したほうがましだと思いだした)なって結局行かなかった。後で死ぬほど後悔するのだが。
そして次に予定通り本第一主義屋に行って河合塾のを買おうと思ったら、河合塾のしかも国語だけがなくなっていた。これには少しパニックになりかけたが、急遽駿台のを買って難を凌いだ。そしてここからは予定通り本の家に向かった。
途中でサッカー部の友達に会って1年を懐かしんだ。そして7時間くらいで8年分の古漢を一気に解いた(慣らすためであったので答え合わせは適当)。全部時間以内、しかも8割を切ることはなかったのでなかなかよかった。少し不安だったのは 本番より少し簡単であったこと。まあそんな感じで後は全て予定通りことが進んだ。こんなに時間に余裕をもって予定通り事が進んだのはいつぶりであろうか。そしてコンディショ ンはなかなか良い状態で眠った。この後自分の受験史史上かなりの事件が起こることも知らずに。




せンター試験当日、朝7時くらいに優雅に起きた。予定通りリスニングを3年分こなし、結果はまずまず。まあ配点も大きくないのであまり気にすることもなく。
そして最後の持ち物確認、主に受験票を。あと本番前最後に確認する用で心配な語句だけをピックアップした紙。親友。あと、残り25%の5Sをもって。(前日に試験会場までのルートを調べたので 25%になってしま った。ちなみに何かあるとまずいので書き出しておくという用意周到さ。)

こんなに時間に余裕を持って家を出たのはいつぶりであろうってくらい早く出た。5S の充電残量が少し不安であったが、とりあえず会場の最寄までもってくれさえすれば、他の受験生についていくだけなのでこの時はまあ大きな不安要素ってわけでもなかった。青葉台からは、田園都市線で長津田まで生き、そこからJR線に乗り換え町田まで行き、最後に小田急線に乗り換えて最寄り駅の玉川学園前駅まで行く。

無事に町田まで着き、最後の確認としてNAVITIMEを確認する。何もしていないのに充電が残り20%になっていた。そろそろ寒さで急に切れてしまう頃だ。でも何とか小田急線への乗り換えに成功し、玉川学園前駅に素晴らしい時間帯に着いた。

パーフェクト

そうして残りの20%すべての力を出し切る許可を5Sに与え、玉川学園前駅から昭和薬科大までのルートを調べた。
意外と遠い。ただ、基本的に最初は真っ直ぐということは理解した。そしてそれをもとに一歩踏み出した瞬間、画面が突然真っ黒に。5Sがその外気の寒さゆえに冬眠に入ってしまった。ただ、この時は「うわ、俺運いいわ。今日はマジで行ける気がする」とか思っていたに違いない。ここまでくればもう他の学生達についていくだけだ。俺の勝ち。

歩いた。真っ直ぐに。
もう本番モード。難しい問題が出てきたときの切り替え方。時間配分の確認。少しでも目標達成に近づく方法を何回もイメージしていた。

すると会場が見えてきた。「思ったより早いな」とか思いながら。「え、だとしてもこんな早いことあるか?さっき 見たマップでは・・」。なんか違う。そう思いながら入り口に向かう。
いつもなら5Sを取り出せばどうにかなるのだが、このときは満を持して冬眠中。そんな自分の唯一の手掛かりは黄色い受験票。住所と受験番号、あと確かその周辺の地図(何の役にも立たない)が載っていた。


そして、そいつをもとに受験生を案内していた警備員のおじさんに話しかけた。

俺:「この受験番号ってここですよね?何号館ですか?」

警備員:「ここは玉川学園だから君はそもそもここじゃないよ」

俺:「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」





第16章へと続く…

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