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夢と現実の狭間でーー迫る決断の時

プロ入りか、それとも就職かーー。人生の岐路に4年生は立たされている。”プロサッカー選手になる”という、幼少期から抱き続けた夢を叶えるラストチャンスは目の前に転がっているかもしれない。しかしながら、その道を切り拓くことができる人間はごく僅かだという現実。夢と現実の狭間でもがきながらも、その葛藤の中で何を見出すのか。そして、大学サッカーに挑戦する過程で、どのような成長曲線を描いていったのか。彼らの本音を聞いた。

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○大学サッカーへの挑戦

ーー皆さんが大学サッカーに挑戦しようと思ったきっかけや経緯を教えてください。

工藤:俺は「サッカーで高みを目指そう」という実力がなくて、日大の付属校(日本大学藤沢高校)だったから「そのまま日大に上がるのかな」って思っていたときに、監督から”早稲田大学 玉井智久”っていう名刺を見せてもらって、高3の5月に3日間練習参加させてもらった。その時は技術もフィジカルも自分の実力が全部通用しなかったし、伝統や歴史が感じられたから、「すごい組織だな」って率直に思った。最初は”早稲田大学”にビビって「行きたくないな」と思うくらい挫折はしたんだけど、その気持ちを高校の監督に素直に伝えたら、「それって逃げてるんじゃないの?」「早稲田に行って、厳しい環境でやった方が絶対に成長できるぞ」というふうに言ってくれて。そこから考え直して、「人生は一度きりだし、早稲田に挑戦してみよう」っていうマインドになれた。最初はビビっていたけど、周りの人のサポートがあったり両親や友人と話したりして、「頑張ろう」って思えた。

鍬先:高卒プロを目指してJクラブで練習参加もしたんだけど、「正直プロでやっていける自信があんまりないな」って感じた。当時は既に早稲田の練習にも参加していて、「高卒プロになれなかったら早稲田か筑波に行こう」って思っていた。筑波に行けるか微妙だったから、早稲田を選んだ感じ。正直、早稲田にはあんまり行きたくなかった。

工藤:へー、そうなんだ。

梁:俺と逆だな。

鍬先:練習参加した時に「絶対行きたくないな」って。高校まではどちらかと言うと”ボールをさばく”タイプだったけど、早稲田に来て自分のプレースタイルが変わったし。

ーーそもそも早稲田を知ったきっかけは何だったんですか?

鍬先:全国高校サッカー選手権大会で優勝した直後、高2の3月くらいに高校の監督から「早稲田から連絡が来てるよ」って言われた。「7月くらいまでに決めて」とは言われていて、(高卒プロを目指して)夏のインターハイに懸けようと思っていたんだけど1回戦で負けて、早稲田に決めた感じ。
本当は筑波に行きたかったんだけど自分の中で迷いもあって、高校の監督から「だったら早稲田に行ったほうがいいよ」って言われて。

ーー梁選手はどうですか?

梁:俺も高卒プロを目指していて、高2の選手権で負けたその日に某強豪大学から連絡があったんだけど、当時は大学サッカー自体に全く興味がなくて断った。だけど高3のインターハイ予選も全然ダメで、当時練習参加していたJクラブからの内定もなかなか出なかったから、前年に断った大学の練習に参加してみてその大学に行こうかと思っていたんだけど、夏に早稲田から練習参加の連絡があった。それで練習参加したんだけど、部員の熱量に圧倒された。「嘘だろ?」「こんな組織があるのか?」って。それにびっくりして、今まで出会ったことがないピリピリした環境に憧れて、「これまでは順風満帆で天狗になっていたサッカー人生だったけど、ここで叩き直さないとダメだな」と思って、「早稲田に行きます!」ってなった。『WASEDA the 1st 〜サッカー選手としても、人としても1番であれ〜』っていう哲学が俺の心に刺さったね。”古賀早稲田”が本当に好きで、古賀さんに教わりたくて早稲田に入ったんだけど、1年で監督が交代してしまって、「嘘でしょ?」みたいな感じ。

工藤:俺とヒョンジュは、”何事にも全力で取り組む””普段支えてくださる方々のために戦う”みたいな早稲田の雰囲気がかっこいいと思ったし、早稲田にしかない雰囲気に憧れて入ったんだけど、学生主体の組織なりの難しさに直面して苦しんだ時期もあった。

梁:衝撃的だった。

工藤:当時の4年生が練習終わりに熱く語っていて。

梁:俺が練習参加した日、4年生が泣いていたからね。びっくりした。「なんでもっとやらないの? これじゃ総理大臣杯1回戦負けだよ!」みたいな。

鍬先:確かにすごいなとは思った。

工藤:4年生が気持ちで喋る練習の締め方を見て「いや、すごいな」って思った。

ーー梁選手はインターハイも選手権も出場していないのに、スカウトの目に止まるとはすごいですね。

工藤:確かに、どこでみられていたんだろうね。

梁:(主要大会に出場できる)強豪校とかユースにはめっちゃ憧れていたよ。

ーー話は少し変わりますが、梁選手はどうして大宮アルディージャのジュニアユースからユースに昇格せず、東京朝鮮中高級学校への進学を決めたのですか?

梁:ジュニアユースの時はJFAプレミアカップで優勝して世界大会にも行って、個人でも大会MVPを獲ったし、中学生のリーグ戦でも得点を量産して、「あ、こんなものかな」みたいになってしまって、このままこのチームでやってもつまらないと正直思っていた。あとは、鄭大世選手や安英学選手に続くスター選手が出ていないと思ったから、「だったら俺がスターになってやるよ」と天狗になって高校に入った感じ。
今考えればだけど、「ユースに上がった方が良かったかな」って思う部分もないことはないかな。

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○決して順調な3年間ではなかった

ーー3人それぞれに様々な背景があって大学サッカーへの挑戦を決めたわけですが、実際に入ってみてどうでしたか? 想像していたものと違った部分はありましたか?

工藤:1年生の時は、”4年間で1回早慶戦に出場できればいいや”みたいな感じだった。関東リーグで活躍するイメージが持てないほどの立ち位置にいたし、自分と向き合って高いモチベーションを持てるだけの取り組みができていなかったと思う。1年目は挫折をしながら、「どうやったらいいんだろう?」という葛藤があった。Bチームで上級生に文句を言われながらサッカーをするのが嫌だったし、ピッチ場では自分らしくないと感じていた。だけど、転機になったのがア式の社会貢献活動。2年目からその役職に就いたら、ピッチ外で自分らしくいられる場所を見つけることができて、自分なりにワセチャレを運営したり、体育会を外から見て「もっとやれることがあるな」って気付いたり。そういう風にして、どんどん前向きになっていけた。
2年目からは運良くリーグ戦にも早慶戦にも出られたし、挫折があったからこそ、その中で何かを見出そうとしたことが良かったのかな。

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鍬先:1年目は特に、「こんなはずじゃなかったな」とは思っていたよ。1年目から試合に出られると思っていたから、試合に絡めなくて苦しんだけど、”プロになりたい”という夢をぶらしてはいけないと思っていた。だから、「2年目からは絶対に試合に出る」と切り替えてやっていたかな。

梁:俺も1年目から余裕で試合に出られると思っていたけど、いざ入ってみたら期待していたものと全然違った。「想像していたよりキツイな」って。1年生の仕事もあってピッチ外がキツかったから、ピッチ内で良い取り組みがあまりできていなかった。
2年生になったら泰平とクワはずっと試合に出ていたのに、俺はずっとベンチで。チームも勝っていたから試合になかなか出られなくて。その中でも、「俺はいずれ出られる」「チームが負ければ100%出られる」ってずっと思っていたの。
3年になっても俺は中途半端で、怪我もしてしまった。だけど、怪我をして考え方が変わったというか。「いずれ試合に出られるだろう」「このまま行けば大丈夫だろう」みたいな考え方が違うなと思ってきて、自分の弱さに気付くことができたのが怪我をしていたあの期間だった。
これまでのサッカー人生はずっと順調だったけど、大学3年間は低空飛行だったね。

工藤:でも、それを求めて早稲田に来たんだもんね?

梁:そう。だから、これがちょうどいい。


ーー工藤選手と鍬先選手は2年次から主力としてリーグ戦に出場していますが、そのチャンスを掴めた要因は何だと思っていますか?
(※工藤選手は第7節から11試合、鍬先選手は第2節から16試合に出場)

工藤:きっかけは単純な話で、スギ(杉山耕二・新4年)が怪我をしたからだと思う。第6節までベンチにも入っていなかったんだけど、「ついていたな」ってのはある。関東リーグには出たかったけど、負けたら(スタメンが)スギに戻っちゃうと思ったから、「自分にやれることをやろう」と思って死ぬ気で試合に出た。
技術的にはスギとかヒロ(坂本寛之・新4年)の方が高いと思うし、そこではないムードメーカー的なキャラの部分が要因だったんだと思う。外池さんは学生に変化を求めるし、”勝っても負けても変化し続けよう”というスタンスの監督だから、そこに俺が当てはまって歯車が回ったのかなって思う。

梁:泰平が監督のスタイルに1番ハマっていた。監督が求めているキャラとか雰囲気にジャストフィットしていた。もともと実力もあるし、それで一気に主力になれたんだと思う。

工藤:(出場した試合は)1回も負けないでマジで良かった。俺が出てから5連勝して、早慶戦にも出て、「アミノバイタル®︎」カップまで出て、総理大臣杯にはスギが出る、みたいなオチだったね。

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鍬先:俺は第2節の筑波大戦で初めて出たんだけど、外池さんじゃなかったら多分試合に出られていなかったかな。最初、外池さんに「三笘(薫・川崎フロンターレ所属)を止めろ」って言われて。「サイドバックは中学生以来やっていないので、どうすればいいか分からないです」って言ったんだけど、「お前ならできる」みたいな感じ。本当にいきなりで、試合の4日前くらいに言われた。それでサイドバックで出たんだけど、三笘が欠場でいなくて(笑)。だから特にやられることもなかったかな。

サイドバックをやってみて、より守備への意識は高くなったと思う。対人というよりも、サイドバックの目線から”ボランチがどのタイミングで守備に来てくれたら助かるか”を考えられるようになったかな。

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ーーそんな2人とは逆に、梁選手が試合になかなか出場できずにベンチ入り止まりになってしまった要因はどこにあると思いますか?

梁:自分のことしか考えていなくて、あまりチームのことは考えていなかったかな。あんまり言いたくないけど、ずっと「負けろ」って思っていたし。そうしないと自分が試合に出られないから。本当にチームのことを考えている人はそんなことは思わないと思うけど、「試合に出たい」「活躍したい」っていう選手は自分が出ていない試合でチームが勝っても全然嬉しくないし、むしろ負けた方が「やってやろう」っていう気になる。だから、「いつ失点するんだろうな」っていつも思っていた。
でも、そういう気持ちがあったから試合にも出られなかったし、練習中のプレーの見え方にも影響していたと思う。

工藤:本当にそう思う。ピッチ内外で行動に出ちゃうんだよね。そういうところで監督はじめ、チームメイトから信頼を得られなかった、っていうのはあると思う。
だから俺も共感した。1年の頃は「ア式ってこういう感じなのか」「キツイな」って思って逃げていたし、チームのことよりも自分のことばかり考えていたから。


ーー3年目はどうでしたか? チームの主力として1年間戦い抜いたわけですが。

鍬先:去年は全然勝てなかったけど、「俺は出なくてもいいからチームが勝ってくれ」って思ったのは初めて。

工藤:へえ、そうなんだ。

梁:意外だな。

鍬先:「俺が出て負けて、他の人が出て勝つならそっちの方がいいな」って思うくらい、勝ちたいとは思っていた。

工藤:俺は試合途中からセンターバックでクローザーとして出る時期があったんだけど、それは難しすぎて(笑)。今まで途中から出たことがなかったし、身体も動かないから(笑)。謙虚にやろうとはしたんだけど、(調子が良かった)前年の自分と比べている自分がいて。「今はうまくいっていないな」って認識してしまうから、すごく難しかったね。
去年はチーム運営的にも「チームが同じ方向を向けていないな」って感じていたから俺自身も「それに逃げよう」としていたし、「今年はチームビルディングがうまくいっていないから、勝てない状況も仕方ないのかな」って思っている自分もいた。3年生にもなったのに、まだそんなところに逃げ道を探していたことを自覚したね。
東洋大戦(第7節、3○1)の週くらいに学年ミーティングで「いよいよヤバいね」って話が出て、「チームの状況を好転させるために自分にできることって何だろう」というミーティングを何度もして、結局行き着いたのが”球際・切り替え・ハードワーク”というベースの部分。「戦術どうこうではなくて、ベースの部分を俺たちがチームで1番示そう」って3年生がなった中で東洋大に勝てたのは、自分たちの中では大きな収穫だったと思う。

ーーその試合で決勝ゴールを奪ったのは鍬先選手でしたね。

工藤:そうだよ、カットインからの左足でしょ?

梁:その試合は右サイドバックで出てなかった?

鍬先:そうだね。

工藤:あれは良かったよ!

梁:あれはナイスシュートだったよ!

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工藤:あの試合もベンチに入っていたんだけど、「途中からは絶対に出さないでくれ」って正直思っていた(笑)。途中出場って難しいね(笑)。

梁:途中出場はやっぱり難しいよ。でも1番ダメなのは、負けている状況での途中出場。

工藤:確かに。後期の筑波大戦は0-5の状況から出たんだけど、あの時は逆に「何でこの状況で俺が出るんだよ!」っていうエネルギーで身体もすごい動いたな。


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ーー梁選手は前期リーグで10番を付けていましたが、あまり試合には出られていない印象でした。

梁:いざ試合に出てみると難しい部分があった。全然うまくいかないし、監督にも色々言われるし。監督の言葉ってすごい大切だとは思っていたんだけど、その時は「うるさいな」「何言っているんだよ」「なんで俺を使わないんだよ」って思っていた。これは1年の時から3年の前期までずっと。ベンチでも「俺を出せよ」って思っていたし。でも、いざ試合に出てみたら全然結果を出せなかった。
そうしたら、(Aチームの公式戦出場メンバーが出ない)練習試合中にイライラして「なんでうまくいかないんだろう」って思いながらプレーしていたその矢先に膝を怪我してしまって。そういう時ってやっぱり怪我をするんだなって思ったね。

怪我をして「終わった」と思ったし、ゴリ(加藤拓己・新3年)とか杉田(将宏・新3年)とかが出てきて活躍するのを見て、ア式に来て初めて焦りを感じた。「あいつらは活躍しているのに、俺は何をしているんだろう」って。
復帰した後は「俺に何ができるんだろう」っていうのを考えて、サッカー人生で初めて自分にベクトルを向けた。その時に、「チームのために走るしかない」「チームのために身体を張るしかない」って思って後期リーグに臨んだかな。

サッカー人生で初めて、自分が得点していない試合で喜んだ。第17節の立正大戦で杉田が決勝ゴールを決めた時、涙が出るくらい喜んで「なんで俺はこんなに喜んでいるんだろうな」って思った。自分が得点した訳じゃないし、アシストした訳でもないし。その時に、「これが”チームのために戦う”ってことなんだな」って初めて感じたかな。みんなで守って最後まで身体を張って、「これがサッカーだな」って感じたし、初めて「ア式に来て良かったな」って思った。

工藤:それを感じられたのはプラスだね。

梁:自分のことのように嬉しかった。試合にも勝ったし。

あとは第21節の明大戦でも「成長できたな」って感じられた。俺みたいな選手は勝っている状況で出されないと思うんだけど、1-0の状況で試合に出られたということは「成長したんだな」って感じたね。今までは負けている状況でしか出されなかったけど、「信頼を勝ち得たんだな」って。

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後輩にも俺と同じような境遇のやつはいるけど、まだ他のことにベクトルが向いているんだと思う。監督に何か言われてキレることは俺もあったし、言われやすいんだと思う。だけど、”自分がどうして言われやすいのか”を考えた方がいい。ターゲットになる選手って絶対にいるから。

工藤:そう意味で言うと、外池さんってすごい学生を見ているなって感じる。俺も監督から何か言われたら「うるさいな」って言いたくなるタイプだと思う。だけど、外池さんはそこを分かっていて、「それが工藤らしさだから」みたいに言ってくれるの。「逆に工藤らしさがない期間をなくしてほしい」「ずっと工藤らしくいることがチームのためになると思うよ」みたいな。答えを与えるんじゃなくて、ちょっと考えさせるように言うわけ。

梁:本当に人のことを見ていると思う。いつも適当ぶっているけど、本当に人を見ているから。
1年の時のコーチの方も俺に口酸っぱく言ってくれた。俺は言われやすいんだろうね、キャラ的にも。でも、意外と打たれ弱くてシュンってなっちゃうから(笑)。

工藤:そうは見えないんだけどな(笑)。



○プロ入りか、それとも就職か

ーー大学3年間を終えて、大学サッカー界での”自分の立ち位置”がある程度見えてきたと思います。プロを目指す上で、それをどのように評価していますか?

工藤:プロになる基準には全然乗っていないと思う。今は就活もしているんだけど、自信を持って「プロになります」って言えないから就活をしているのであって、そう言う状況にあるなっていうのはすごい感じる。

鍬先:周りもJクラブへの内定が結構決まってきて、その人たちと話すこともあるんだけど、やっぱり危機感はある。デンチャレも中止になったし、デンチャレに懸けていた部分は結構あるから。それで「まずいな」とは思ったし、俺も就活するか迷ったけど、(プロになれなかった時の)言い訳を作ってしまいそうで嫌だった。プロになれなかったらサッカーをやめる覚悟を持って、この今年1年はプロに行くつもりでやっているから、「就活はしない」って決めた。
プロになる基準にはまだ乗っていないと思っている。高校の時は「もう少し守備力が欲しいね」って言われて大学では守備にフォーカスしていたけど、守備にフォーカスしすぎて、次は「攻撃力がもう少し欲しいね」ってなってしまって。だから、そこのバランスを取らないといけないとは思う。高校の時のプレーと大学の時のプレーのバランスが取れれば、プロに行ける自信はある。

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梁:4年間という大きなスパンで考えていたから、就活は一切考えていなかった。俺も4年間でプロになれなかったらサッカーはやめる。自分の立ち位置も、他の選手と比べてもしょうがないと言うか、あまり周りのことは気にしていない。自分がやるべきことは、”チームを勝たせること+結果を残すこと”。これは明確になっているし、チームが結果を残せば自然とスカウトの目にも止まると思う。
早稲田がやっている取り組みはすごく価値があると思っているから、夢に近づくためにはこれを続けることが大事だと思っているよ。


ーー工藤選手は就活を実際にやってみてどうですか?

工藤:就活をすればするほどサッカー選手の凄みが分かるし、「サッカー選手になりたい」って強く思うよ。だから、本気でプロになりたいと思っている2人を見て、「相当な覚悟があるんだな」「かっこいいな」って心から思う。

俺はコミュニケーション力には長けている方だと思うし、組織の空間に何かを発することはできる。みんなの前で「やろうぜ!」みたいなことは言えるんだけど、人と面と向かって親身になって話を聞いて、噛み砕いてアドバイスをしたりするアプローチはどちらかと言うと苦手だってことに就活を通して気付けた。一喜一憂しやすい弱みにも改めて気付けたかもしれない。リーグ戦で全試合に出られなかった現実を考えると、プレーにムラがあって。「どうしてムラがあるんだろう?」って考えた時に、感情的になりやすかったり、独りよがりであるが故にプレー判断の選択肢を自分なりの解釈でやってしまったりするところにも繋がっているんだと思う。
でも、今年は今までお世話になった人への感謝の気持ちをピッチで表現したいから、”誰かのために”っていうスタンスでやっているよ。

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ーー鍬先選手と梁選手は「プロになれなかったらサッカーはやめる」と言っていましたが、もし仮に夢が叶わなかった場合はどうしますか?

工藤:2人はそこを考えていないんだと思う。考えないほどの覚悟で今シーズン向かっているんだと思う。

鍬先:俺は、その時になって考えると思う。

梁:俺もそうだと思う。でも、まず「プロになれない」という思考はない。

鍬先:俺も「なるしかない」っていう気持ちでやる。

工藤:この思考がすごいと思わない? 就活をやってみて、よりそう思うよ。この時期に「1年後のことは分からないから今を全力でやるしかないだろ」って言っている人がいる中で、こういう選手と同じピッチに立って同じ試合を戦っているんだよ。それは頑張るしかないでしょ、こっちも。
捨ての選択肢を持たないのはすごい覚悟だと思うけど、プロって絶対そういう世界じゃん?

梁:厳しい世界だよな。

鍬先:厳しいね。



○大学サッカーの魅力とは

ーーこれまでの3年間を通して、自身で1番成長できたと感じる部分を教えてください。高校生の時と比べて、「ここは大学サッカーを通したからこそ伸びた」と感じるところはありますか?

工藤:冒頭でも言ったけど、練習参加をした時に挫折をして、根拠はないけど「こういう環境に身を置けば人として成長できるな」と思って早稲田に来た。案の定挫折もしたけど、「大学はサッカーだけをやっていればいいところじゃない」っていうのは言われていたし、社会貢献活動などの切り口もあって幅が広いなって感じていたの。地域の子供たちへのサッカー教室だとか、知的障がい児童とのスポーツ交流、東日本大震災の復興支援などを通して、「サッカーは1人でやっているんじゃないな」って感じられたし、「周りに支えられて早稲田大学は存在しているんだな」「体育会って狭いんだな」っていうのもめちゃくちゃ感じた。
社会貢献活動の担当として体育会と地域社会との間に立ったことですごく考えさせられて、「本気で日本一という目標に向かえているのか」「試合に出られなかったとしても、”チームのために””応援してくれる地域の方々のために”という気持ちを本当に持てているのか」と感じられるようになった。高校では”学校”というコミュニティーの中でサッカー部を他の部が応援してくれることはあったけど、「色々な個性的な人がいて自分がいる」「地域に支えられている」みたいなことは、高校までの自分にはない価値観だったかな。豊かになった。

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鍬先:高校の時と比べて、周りを見られるようになった。「見て、広く捉える」ことができるようになった。頭の良い同期もいるし、それぞれ考え方も違うし、柔軟に考えられるようにはなったかな。そこは「来て良かった」と思えるところ。

工藤:ア式は色々な人がいるからね。スポーツ推薦がいて、付属もいて、「俺は自己推薦だから」って威張っている人もいて。本当にすごいと思う。筑波とか明治にはないところってそこだと思う。そういう人と協調して、1つの方向に向かわなきゃいけないから。

梁:言い方悪いけど、小野寺(拓海・新4年)みたいに無名のチームから来た部員と、鍬先みたいに全国トップクラスのチームから来た部員が一緒にやっているんだよ。びっくりするよね。それは色々なものを感じると思う。

工藤:だけど、小野寺は10日で入部したんだよ。鍬先はまだ練習生だったから「なんでだろう?」って考えたと思うし、小野寺のパーソナリティに同期全員が惹かれたから。「あいつやっぱりすごいな」って。「サッカーうまくないかもしれないけど、誰よりも献身的に戦うな」っていうところでは「勝てない」って思ったもん。最初は「こういうヘタクソなやつがいて良かった」「俺も埋もれないな」って正直思っちゃったの。だけど、「やっぱりすごい人間だな」って思わされるのがア式だと思う。

梁:そういう面では、ア式ってやっぱり良いところだよね。色々な経歴を持つ部員がいて、ピッチ内だけじゃなくて、ピッチ外でも感じられることはあると思う。

工藤:他の大学にもこういう多様性はあると思うけど、違うんだよな。主体的な人間がア式には多いと思うし、文化的にも”サッカーだけをやる組織”じゃないし、”自分のためだけにサッカーをやりに来た人は認めないよ”っていうところがあるじゃん。「全員で結果に向かっていきましょう」っていう中で外池さんが来て、部員一人ひとりが活躍できる場所が増えたと思う。これは外池さんのおかげ。そういう活動を通して自分の居場所を探すけど、”サッカーの組織だから関東リーグ制覇・日本一を目指す”っていう活動量と活動の幅、主体的な考え方、部員の個性ア式にしかないものなんじゃないかなって思う。やっと「ア式って良い組織だな」って思えるようになった。

俺らは今そう思えているけど、下級生の中にはまだ思えていない部員もいると思うし、「高校まではこうだったし、俺が目指しているところはここだから」っていう理想と現実の間で葛藤していると思うんだよ。そういう部員に対してどうやってアプローチしていくかは学年ミーティングの中でも話していて、(挫折した経験がある)俺たちには燻っている下級生の気持ちがすごく分かるの。だから、そのアプローチの方法を考えているんだよね。4年生も悩みながらチーム運営を進めているから、それは4年生の成長でもある。4年生はどんなに苦しくてもチームのことを考えないといけないから、自ずとそういう思考になるんだよ。
「自分のために頑張ることがチームのためになる」って思っていた下級生時代と、「チーム視点で自分にやれることは何かを考えて頑張ったことがチームのためになる」って気付けた上級生の違いだと思う。

梁:俺はそこに気付けたことが大学に来て1番成長できたことだと思う。3年の前期までは前者だったんだけど、怪我をして後者に変わったね。



○大学サッカーを戦い抜いた先に見えるもの

ーーもし仮に高卒でプロの道に進んでいたとして、大学4年生と同じ22歳、高卒プロ4年目になった自分はどのようになっていたと思いますか?

工藤:俺は引退していると思う。

鍬先:まずそこだよな。

工藤:2人は違うと思うけど、俺に関しては絶対に引退していると思う。高卒プロなんて当時は微塵も考えられなかったから。

鍬先:サッカーをやっているだけなんじゃない?

梁:(大学に進学した)今よりもはるかに技術的にはうまいと思うし、それは間違いないと思う。だけど、物事に対する考え方の面では今の方が上に行っているなって感じる。

工藤:ヒョンジュは気付けないままプロになっていたわけだ。”自分が結果を出せば試合に出させてもらって、チームも勝つだろう”っていう考え方だったかもしれないけど、監督が代わるかもしれないし、移籍した選手が来るかもしれない中で自分に求められることを解釈してプレーすることは、高卒だったらできていないかもしれないよね、ヒョンジュは。

梁:多分できなかった。

工藤:でも、今はそれができるようになったって感じるようになったんだから。プロに行っても問題ないでしょ。
高卒プロの方が技術的な成長は確実にある中で、大卒は4年遅れてプロに行くんだもんね。4年間ってプロにとっては相当な時間だったり価値だったりするんだろうけど、それに値する4年間が大学サッカーにはあるだろうし、ア式にもあると思う。

鍬先:『日本をリードする存在になる』というビジョンを掲げて、部員全員が本気で取り組んでいるからね。ア式じゃなかったら、大学4年間でここまで本気に考えて取り組めていたかは分からない。

ーーそういうことに気付けたり考えられるようになったことが大学サッカーの魅力というか、大学サッカーを経て成長したところですか?

工藤:そうだね。18歳と22歳の間で”大人と子供”や”主観と客観”を感じられたり、「何のためにサッカーをしているのか」を考えられることは大きな魅力だよね。ラストチャンスの大学4年間で、サッカーをより広く捉えて、また一段とサッカーが好きになって大人に近づいていく。最高だよな。

鍬先:そうだと思う。

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ーーいよいよ現実が迫ってくる大学サッカーのラストイヤーになりますが、どういうシーズンにしたいですか?

工藤:やっぱり目標は達成したいよ。”チームの目標に向かっていく”且つ、”今まで支えてくれた人への感謝を体現する”シーズンにしたいとは思う。俺はプロサッカー選手になれない可能性の方が高いから、この1年で自分が見せる姿をなるべく多くの人に見せたいし、多くの人に感じて欲しい。なるべく多くの試合に出たいし、『リーグ制覇・日本一』という目標に全力を注ぎたい。
この3年間でそういう思考になれた。”自分が”っていう気持ちは常に100%くらいあるんだけど、”チームが”っていう思いが120%くらいでそれを上回っている。

鍬先:俺も、まずはチームが勝つこと。普段ピッチ内外で部員みんながやっている取り組みの価値を高めるのは、ピッチに立っている11人だと思う。自分がプロに行くっていうのもそうだけど、俺はみんなの頑張りをピッチで表現したい。”早稲田の勝利”という形として。今年は”チームの勝利のため””自己実現のため”の2つを持ってやり切るだけだね。

梁:俺も同じような感じで、”チームのため”+”自己実現のため”。入ってきた当初から、「このチームで日本一を獲れなかったらおかしい」と思っているし、絶対に日本一を獲れると思うから、何がなんでもチームを日本一にして、俺だけじゃなくて部員全員が今までやってきた取り組みが正しかったことを証明したいかな。

工藤:そのためにも下級生の力は本当に必要で、4年生だけでどうこうできる問題ではないから。高校サッカーだと”3年生がスタメン”っていうのがあるけど、外池さんになってからは新しい選手も使うようになったし、下級生の協力というか、むしろ下級生が「これはおかしいだろ!」って先輩に楯突くくらい意見を持って提案思考でいてくれた方がこっちとしてはありがたいね。下級生のポテンシャルを引き出すというか、覚悟を持たせたいよね。

梁:下級生が感じているモヤモヤの捌け口に、俺たちがならないとね。

工藤:確かな能力はあるけど今燻っている下級生はいるから。周りの環境もあるけど、マインドの部分が大きく左右しているんだと思う。「それに自分自身で気付けよ」っていうのがア式の文化なんだけど、それだと4年生にならないと気付けないまま終わっちゃんだよね。もし全員が1年目で気付けて2年目から主体的に活動できたら、絶対にいいチームになるよ。

とはいえ、1年目から”チームが”ってなりすぎるのは良くないと思う。”自分のこと”を考えないと気付けないこともあるし、「ちょっと前まで高校生でした」っていう勢いもチームには必要だから。そこのバランスが難しいよね。だから、1・2年の頃はそれなりに”自分のこと”を考えてやった方が良いとも思う。それは言っておきたい。


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大学サッカーに挑戦したからこそ見えたもの、気付けたこと。豊かになった考え方が彼らの強みとなり、彼らの未来に繋がっていくのだろうと感じました。
夢を実現させるということはもちろん、”高卒プロではなく大学サッカーに挑戦した”という、自身の過去の決断を肯定化できるような有終の美を飾って欲しいと思います。

(インタビュー:林 隆生)

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工藤泰平(くどうたいへい)
学年:新4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:日本大学藤沢高校
鍬先祐弥(くわさきゆうや)
学年:新4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:東福岡高校
梁賢柱(りゃんひょんじゅ)
学年:新4年
学部:スポーツ科学部
前所属チーム:東京朝鮮中高級学校

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