映画「フィシスの波紋」から学ぶ(1)
映画の冒頭で、京唐紙・唐長 十一代目の千田堅吉さんは、絵具を配合するときに分量を計らないと語っている。紙は漉く時の気温や湿度、漉く人によって一枚一枚違う。それを最初から決められた配合で色を作っても良い色は出ないと。彼はそれが使われる場所を肌で感じ、一枚一枚の紙と対話しながら、熟練の技と感性で色をつくり擦り上げていく。 そこにひとつとして同じものはない。
映像を観ながら、それはあたかも、子ども一人一人が育った環境や性格も違うのに、一つの基準で指導するのは違う。子どもの声無き声に耳を傾け一人一人に合った色を引き出してあげることが大事だと言われているようにも感じた。
また千田さんは、模様そのものよりも余白が大事だと語る。模様は目に見えるものだが、その模様と模様の間の何もない空間に生まれる風や重力のようなものが大事だと・・・。そんな話しを聞いた後、映像の中の唐紙の貼られた部屋には、かすかに風が吹いているように感じる。それはあたかも自然の中で感じるゆらぎのようでもある。
幼児教育でも、決められたカリキュラムよりも、その過程や関係性・偶然性から生まれる一瞬にこそ学びがあるように思う。そこに気がついて、風を可視化(言語化)できるかが保育者の専門性なのだろう。
フィシスとは、ギリシャ語で「あるがままの自然」という意味で、日本語の「自然(じねん)」に近い概念だという。
子どもの存在を「フィシス」としてとらえたらどんな保育になるのだろう?映画を見ながら、そんな考えが頭をよぎった。
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