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「お金に換えられないモノ」の結論の出ない話4

オーバーザサンの混沌の中から


Over the sun >>オーバーザサン>>おばさん

タイトルが既にかっこよすぎなこのポッドキャスト番組は、毎回30分のトークプログラムと紹介しつつ1時間超えでおばさんたちが語り合う番組だ。

ちょくちょく混沌とした二人の会話の中からダイヤモンドのような言葉が私に耳に飛び込んでくる。前回に続き2週連続はちょっと驚いた。

自分が擦り減らないモノを渡す

koginbank.comをこの6年無報酬でやってきた自分にはかなり身に染みた言葉だった。koginbankとは、青森の伝統工芸であるこぎん刺しの面白さをあれこれ紹介しているウェブサイトである。試しにやってみようと軽い気持ちで始めたのだが、青森の新聞で大々的に取り上げられ、ファンになってくれる方もいてくださるおかげで、少しずつ活動の幅も広げて続けてこれている。

活動得た収益は、すべて拡大のために費やしてきた。けれど、コンテンツの制作や商品企画、イベント販売に立つ私自身の血肉にはまだ1円もなっていない。毎年、年間4割強の時間をここに費やしてきた。フリーランスなので、自分が働かないと所得は入ってこない。6年間、なんとか他の仕事や貯蓄でこの時間をカバーしてきたが、そろそろ限界を感じている。まさに身をすり減らしてきた。

koginbankのおかげで新しいご縁ができたし、今まで知らなかった世界に踏み入ることができた。身をすり減らして得たこれらを、これから自分で自分の血肉にしていかなくてはいけないのだが、50歳目前に心身の衰えを感じ、脚がわなわなしていて前に進めない。活動を広げていくにはリスクはつきものだから、多少身を削るのは仕方がないと思ってやってきたけど、今ここで身動きが取れないと感じているのは、削りすぎているのかもしれない。

人生後半戦に入り、自分たちが得てきたことを若い人たちに与えられる側になりたい。でも、私たちもこれからも生きるための蓄えはキープしなくてはいけない。自分が削られることなく、相手のプラスになるものって難しい。

一瞬、「技術」かな?と思った。しかしこれも難しい。相手に技術を教えたがために自分の仕事がなくなることだってある。技術が時代にそぐわず使い物にならないこともある。でも、これは受け取り手次第か。与える側が心配することじゃないのかもしれない。

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