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30代目前、これからの生き方について考える


半袖だと肌寒く、長袖の人をチラチラ見かけるようになり、2023年の終わりを感じる今日この頃。

尾道から帰ってきて、ここ毎日ずっとこれからの生き方についてぐるぐると考えている。

私は今、7月から7年勤めた会社を休職している。
色々あって、適応障害になってしまったからだ。

昔から通信簿には「頑張り屋」と書かれ、小学校は皆勤賞。中学は全国大会へ行くような一番厳しい吹奏楽部に入り、ほぼ365日練習していた。
大学ではサークルに入らず、週5フルタイムでアルバイトをし、周りからはフリーターだと思われ、当日の時給は東京都の最低賃金870円ほどだったのに、月10万は稼いでいたと思う。

反動で、家では何もしない。親の手伝いもせず、1日寝てることもあるようなぐーたら娘だった。

自分の中で、家の外では「頑張り続ける」「我慢する」ということが当たり前になっていて、「休む」ということを知らなかった。

新卒から入った会社は残業だらけ。
毎日21〜22時が当たり前の世界だった。
幸いにも先輩、上司、同期に恵まれ、時に愚痴を挟みながらなんだかんだその状況さえも、部活動の深夜練みたく楽しくやっていた。(今覚えばだいぶ過酷なことをしていたと思う)

2022年、4月。
3年で辞めようと思っていたのにいつのまにか6年目に突入していた。
もうほとんど当時の同期は残っていない。

そろそろ転職しようかと思っていたある日、ひょんなことから昔から希望していた部署への異動が叶った。
正直ずっと希望していたのもあり、夢が叶ったかのようで嬉しかった。その反動もあり、違和感を感じることがありながらも見て見ぬふりをしながら、とにかく早く仕事を覚えるために、必死に毎日食らいついていた。

新しい部署での仕事は楽しかった。
憧れていた仕事につけている自分が嬉しかった。
ただ、帰宅時間は前の部署よりも遅く、終電ギリギリだったりと体力的に限界が続いた。丁寧に仕事を教えてくれた先輩の退職、右も左もわからない案件、退職者の続出、信用できない組織体制、上司からの圧、クライアントからの圧 etc

異動して半年も過ぎた頃、徐々に楽しさだけでは拭いきれない状態になってきていた。その頃、一度心療内科からストップを受けるも、診断書は会社には提出せずに働き続けた。

「自分で選んだ道なのだから、頑張るしかない」そう自分に言い聞かせ、とにかく毎日生きることだけに必死だった。

そして1年と3ヶ月が過ぎた2023年7月、突然プツっと何かが壊れた。まるで並々のコップから一気に水がこぼれるようだった。

涙が止まらない。消えてしまいたい。寝れない。怖い。身体が動かない。パソコンを触れない。真っ暗な部屋で毎日のように体育座りをして泣いていた。円形脱毛症にもなった。

全力で走り続けて見て見ないふりをして、頑張り続けて限界を超えてしまっていた。
身体は正直だった。

せっかく憧れていた仕事につけたのに、
なんでこうなってしまうんだろう、と悔しくて仕方がなかった。

「会社を休む」ということに慣れてなくて、
上司に連絡する指が震えた。
ここで休んだら、永遠に戻れない気がした。

会社どころか電車にも乗れず、適応障害と書かれた診断書を郵送した。
私は昨日までヘラヘラしていたくせに、急に前触れもなく会社に来なくなった人になっている。

明日から仕事をしない、ということが恐怖でたまらなかった。暗い暗い、先の見えないトンネルに放り込まれたようだった。


あれから2ヶ月と半分が過ぎた。
今の私はというと、ご飯も食べれるし寝れるようになった。旅行もいけるようになった。
散歩して、近所の野良猫に挨拶をしてたまに神社に参拝をする。そんな日々がすごく幸せに感じている。

ただ、仕事のことを考える余裕はまだないし、
活動的に過ごせてたと思えば、何もやる気がなく一日中ベッドで過ごすなんて日もある。
これからどうすればいいのか、未来への不安に毎日毎秒襲われている。

あと、特に変わったことといえば、心がだいぶ脆くなったことだ。
言い方のキツイ人や大きな物音、悲しいニュースなどちょっとでも触れると心が壊れそうになる。
あと、元々心配性だったのが酷くなった。
これは仕事のことを考える時間がなくなったからか、適応障害から派生した不安症なのかはわからない。とにかく何に対しても不安や心配が付き纏うようになった。
そして、周りはどんどん結婚や出産、昇進などで人生のステップアップを踏んでいる中で、私はただ家でゴロゴロと何もせずに過ぎていく日々にやるせ無さと劣等感を覚えてしまった。

反面、良くなったこともある。
心に余裕が持てたことや、自分が嫌な思いをしたことの反動で、人に対して優しくなったのだ。
仕事をしていた時の自分はどこか余裕がなくてピリピリしていて、常にマラソンをしているようで、人に優しさを向けるどころか、空を見上げる余裕もなかった。

ただ今は、困っている人がいたら人助けをしたいと思えるようになったり、相手の気持ちなって言い方を考えたり、色んなことに対しても感謝する心を持っている。つい忘れがちなことに目を向けられている。そしてそれが本来の自分であるように感じている。

いつもいる野良猫3兄弟
神社にいる猫さん
家の近くにいる猫さん
猫パンチされた猫さん


あとは、実家によく帰るようになって両親の大切さに気づけた事だ。
あと何十年一緒ににいれるかわからない。
だからこそ、お互いが元気なうちにできるだけ一緒の時間を過ごしたいと思うようになった。
そして大嫌いだった実家の土地の素晴らしさに気付けたのだ。

実家の近くにある遊歩道からみた夕陽


そして最も変わったことは「休むことは素晴らしいこと」と思えるようになったことだ。

自分はよく言われる「社会のレールから外されたことに病むタイプ」の人間になると思っていたが、
これが真逆だった。今、これまでの頑張りを取り戻すかのように自分を甘やかして、自分を大切にできている自信があり、そんな自分を好きになれている。
もう以前のようにバリバリ働く自分は想像できないし、本来の自分ではなかったな、と気付くことができた。

暇を暇として贅沢に感じることができる私にとって、仕事というのは無理やり自分を正す時間にしていたんだと思う。
けど今は、暇を暇として贅沢に過ごせている自分が好きなのだ。

当然、このまま生きていてもお金は尽きていくばかりだ。
そろそろこれからのことを考えていかなければいけない。
今、頭の中に描いている理想がある。それをまた次に自分用にまとめておきたいと思う。

近所の美味しいお魚屋さん。
「長寿の心得 人生は六十から」

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