高校時代に統合失調症を発症した大学生が大学を休学した話


こんにちは、主です。
この記事は主の半生をつづろうと思います。
統合失調症と書くだけで一般就職が難しいといわれているほどこの情報開示はリスキーですが、少しでも苦しんでいる人のために、本名等の個人情報がばれてしまいそうな情報を隠して投稿しようと思います。
まず主のプロフィールから。現在某私立大の理系学部に通っています。進学校出身です。
まずこの話をするためには高校受験期にさかのぼる必要があるため、思い出して書いてみようと思います。いかんせん日記をつける習慣がないため、記憶だけが頼りなのです。

高校受験

高校受験時期の私はいたってまじめな学生でした。陰キャラだったため学級委員でクラスの中心に立つとかそういったことはありませんでしたが、模試で偏差値65以上をキープするほどでした。内申は授業を真面目に受けるようなタイプではなかったためオール3くらいでしたが。これには行きたいと本気で思えるような高校があり、そこの偏差値が65くらいだったため、そこを目標に中学校時代に塾に通って偏差値を上げていたのです。
運のいいことに、高校受験では内申を使わない方式が選択できたため、それを使い目標としていた偏差値65の進学校に合格することができました。しかし、これが終わりの始まりだとは知る由もなかったのです…

高校1年次

私が高校に入学した年は、ちょうど中国で発生した新型コロナウイルスのパンデミックが騒がれ始めた年でした。私の世代は高校入学前からもろにその影響を受け、高校入学後の2か月間はオンラインでの自宅学習と外出自粛を余儀なくされました。6月になって対面授業が再開されましたが、あくまで段階的に緩和していくとのことで、分散登校というものが夏休みまで行われました。夏休みも2週間に短縮されました。
夏休み前になってようやく高校で入る部活を選ぶことになったのですが、じっくり見る暇がないまま何となくで私は舞台照明の部活を選びました。
しかし、ここがどうしても肌に合わず、入部早々トラブルを連発させてしまい、1か月で休部、そのまま翌年の3月にフェードアウトする形で退部することになったのでした。
また、同時期にアルバイトを始めるのですが、アルバイト先がいわゆるブラック企業で、心がすさんでしまいこちらは3か月で退職しました。
度重なるトラブルから、当時15歳の青二才は心を病んで学校を休みがちになってしまい、適応障害と診断されたのでした。
その後は学校にも行かずに精神疾患を抱えた友達を作り、そちらと遊ぶ日々が続きました。そのコミュニティの中で彼女ができたりなんかもしましたが。

高校2年次

高校二年になる直前に、精神科医の言っていることが信用できなくなり、セカンドオピニオンを受けた結果自律神経失調症という診断を受けました。
高校二年。失われた高校1年を取り戻しながら生活を立て直すぞと意気込み、最初のほうこそうまくいくのですが、ここにきて前述の精神疾患を抱えた友達や彼女の症状がひどくなり、電話口でその看病をしているうちに自分の精神も病みはじめ、今度はとうとう幻聴や幻覚を見るレベルまで発展します。
高校2年の6月、とうとう統合失調症の診断を受けてしまいます。診断を受けてからというものの、症状は悪化の一途をたどり、徘徊老人のようによくわからない遠方の街に遁走してしまうなどの症状が現れたため、精神科の閉鎖病棟に入院することになりました。しかも保護室に行かされることになり、自分の症状はこんなに深刻だったのかと痛感することになります。
この閉鎖病棟に実に2か月もの間入院しました。期間としては高校2年生の夏休みです。やりたいこと、行きたい場所、たくさんありました。青春を一番謳歌できる人生でもトップクラスに楽しいともいえる期間でもあります。そんな高2の夏休みを閉鎖病棟の何もないところで過ごしました。入院仲間には恵まれたため、そこそこ楽しくもありましたが、ただ失ったものは計り知れません。
退院してきたときには、高校の卒業に必要な出席日数には遠く及ばず、高校4年生までやるか、高校をどこかしらのタイミングで中退するかの選択を迫られました。せっかく頑張って塾まで行って入った高校。どうせなら卒業したかったですが、高校留年という肩書は意地でも回避したかったため、中退する道を選びました。しかし、何かしらの組織に属していないと怖かったため、高校側に特別に許可をもらい、同期が卒業するまでは高校に在籍させてもらうことになりました。

高校3年次、大学受験

高校3年になった私は、まず手始めに高卒認定をササっと取り、大学受験に挑戦することになりました。医者に相談すると、統合失調症は頭が回らなくなる病気でもあるため、とても厳しい戦いになるとは思うが、がんばれと背中を押してくれました。両親に頭を下げて予備校に入れさせてもらい、1年間高校の自習室と予備校を活用して大学受験に挑むことにしました。
高校にまともに通ってないのでブランクがあること、勉強の習慣が確立できていないこともあり、また、高校3年間で怠け癖のようなものもついてしまい、高校受験の時より勉強がはかどらず、なかなか成績も伸びず、模試の判定も最後までE判定。当時理系だったのですが、文転する直前まで行ったりもしました。共通テストでは特別な配慮が必要ということで別室で試験を受けさせてもらい、私大一般や国公立二次試験にも挑戦しましたが、結果はすべての試験でふるわず、一般全落ち。最後の望みで出願した私大工学部の共通テスト利用入試で2校合格をいただきました。浪人はメンタル的にも厳しかったため、その私大に進学することに決め、高校を退学してその翌日に大学に入学しました。

大学1年前期

大学は自宅から片道2時間ほどかかる遠方の大学です。一人暮らしも考えましたが、心労や経済面を考え、とりあえず1年間は通ってみることにしました。
大学に入ってからというものの、高校時代に失った青春を取り戻すように、毎月のように友人とドライブや趣味の写真撮影の旅行に出かけたり、大学ではサークルに入ったり、大学で気の合う友達を作ったりしました。
肝心の成績のほうは、文転寸前だったこともあり、肝心の微積で追試験の対象になって、ギリギリCで単位を取得したり、何なら前期から単位をちょっとだけ落としてしまったりといった状況でした。そんな中で迎えた夏休み、夏休みは毎週のように趣味の写真旅行に出かけ、徳島の阿波踊りを見たり、北海道に行ったりなんかしました。それがない日はひたすらアルバイトをしてお金をためて、人生初の11連勤に突入したりなんかしました。(笑)

大学1年後期、そして休学へ

後期もそれなりにアルバイトや趣味の旅行を楽しみつつ、学業に心血を注ぐ生活をしようと意気込んでいました。最初の1か月くらいはうまくいっていたのですが、1か月ほどたったある日、大学に入学してから動きっぱなしだったこともあり、ちょっと1日何もしないオフの日を作ってみました。しかし、その日を境にどうも体が重くなり、大学に向かう足も途中で止まり、なんで生きてるんだろう、何をしてるんだろうと悶々と考える日々が始まり、大学に行こうとすると倒れこんでしまい、出席も取れず、という日々が続きました。精神科に駆けこんでみると、統合失調症が再発しているといわれました。大学と相談し、できれば通い続けたかったですが、病気により通学が困難と判断し、特例で休学申請をすることに。休学申請は理由が理由なのであっさり通りました。
しかし、休学して何もしないというのも、それはそれで考え事を始めてやんでしまうと思ったため、夏休み前から続けていたアルバイトをして、前より頻繁に旅行に出かけるようになりました。
この年の冬、前から定期的に訪れていた北海道に月複数回のペースで通うことになります。今思えば空っぽになった心の埋め方を北海道で探していたのかもしれません。しかし、散財具合がひどくなってきてしまい、お財布の中はすっからかんで、クレジットカードを複数枚作る羽目になり、毎月クレジットの引き落としにおびえる生活になってしまいましたが。
なんだかんだで、学校を精神病で休んでるなりに楽しんでいました。

あとがき

自分なりに中学生のころからの半生を振り返りながら書いてみました。寝起きの頭が回っていない状態で突発的な思いつきで勢いで書いているうえ、書いている張本人が精神疾患なので、つたない文章で誤字脱字だらけかと思います。見つけた際は指摘していただけると幸いです。
好評でしたら詳細を書いたりしようかと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?