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たとえ誰にも刺さらなくても、誰の事も泣かせたくない


1.ターゲティングをしっかりしないと、良いコンテンツは生み出せないでしょ?


 昨年、広報に近い、外部への発信を主とする業務を担当する社員向けのコンプライアンス研修に参加する機会があった。自社で内製している研修にそれほど期待はしていなかったが、ただこれはダメ、あれはダメという研修ではなく、ベースにある考え方から丁寧に解説して、どのようなケースでも対応できるようにするという、かなり骨太なものだった。
 

 自分はかなりそういった表現には気を遣っているつもり、かつフラットな視点でものを見ている、と思っていた。しかし、事実そのようなことはなく、無意識下でそういった発言をしているのだ。きっと知らない間に人を傷つけ、涙させ、打ちのめしている。そんな自分に気が付いて、しばらくは辛くて堪らなかった。仕事をするときも、常に胸の奥がひりひりしていた。
 しかしどこかで、まあある程度は仕方ないよね、と思っている自分もいた。
 いちいちそのように立ち止まって、表現することをやめていたら、何も書けなくなる。誰もがノンストレスで受け取ることができるものは、誰にも刺さらないんだからさ。


2.傷つく側になって初めてわかること


 先日、知人が書いたエッセイを読む機会があった。詳細は書かないが、精神疾患の一歩手前まで行って、自身を見つめ直したことが赤裸々に描かれており、読み応えのあるものだった。
 しかし、私は彼女のその文章の結論につい涙が出てしまった。

 「今は病気は個性だと思っている」

 私は幼い頃から持病がある。しかし、薬を飲み、良質な睡眠をしっかりととり、2カ月に1度程度の通院を欠かさなければ、発作は起こらず日常生活に支障はない。それ以外は特に大きな病気にもなったことはなく、健康体。インフルエンザにすら罹ったことがない。薬を飲むことも習慣づいているので、普段は自分に持病があることなんて忘れているのだ。
 通院した際に周囲を見回しても、症状は比較的軽い方だと思う。薬を倍量飲んでも発作が抑えられなかったり、一向に症状が安定しなかったり、それゆえ正社員として働くことができなかったり。薬を飲めば発作も起きず、こうして就業までできているのは恵まれている方だ、と思っている。


 でも、ハッとする時があるのだ。
 私は病気だ、と鮮烈に感じさせられる瞬間が、たまにこんな平凡な日常にも訪れる。

 気を遣われたくなくて、わざわざお手洗いに行って薬を飲んだり、
 持病があることを周囲に言えずにオールしようとして、次の日軽い発作に必死で耐えたり、
 大事な試験の当日朝にぶっ倒れて、そのまま救急車に乗せられたり、
 薬の副作用で、将来子どもを産む場合には体に奇形が生じる可能性があると告げられたり。

 さすがに、いくら自分が恵まれていようと、こんな時に「病気は個性」だなんて思えない。いや、先ほどの記事でも、別に彼女自身がそう思っている、というだけで、周りにその考えを強制している訳でもない。さらに、彼女は精神の病気で、私はそうではない。理解してもらいたいとも思っていない。でも、勝手に涙が出てくるのだ。

 個性:個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。 

 辞書で個性という言葉を引くと、こんな言葉が出てくる。私はこの病気がなければ私ではないのか?そんなことないだろう。なければない方が良いに決まっている。比較的症状が恵まれている方であろうとも、関係ない。こんなものなければいい。


3.なんて疲れるんだ、でも発信せずにはいられない


 私はようやく分かった。

 しかしどこかで、まあある程度は仕方ないよね、と思っている自分もいた。
 いちいちそのように立ち止まって、表現することをやめていたら、何も書けなくなる。誰もがノンストレスで受け取ることができるものは、誰にも刺さらないんだからさ。

 いや、ダメだろう。そんなのダメだ。誰かに痛烈に刺さるものを発信しても、それを見て涙を流す人がいてはダメなんだ。
 もちろん、完璧に誰も傷つけない、泣かせないものなんか発信できるのか?と言われれば、それはとても難しいことだ。一生かかってもできないかもしれない。だが、何かを発信する者として、勉強し続けなければならない。私が発信する言葉により、どんな人がどんな感情を抱くのか。知るための努力は惜しんではいけないのだ。

 なんて疲れるんだろう。

 それでも私は発信することがやめられない。青くさいかつ月並みなことではあるが、言葉は刃物になる一方、寒い時にやさしく包んでくれる毛布にもなりえるのだ。誰かにとっての毛布になる言葉は、誰かを刃で傷つけることなしにはつむげないのか。きっと違う。
 まだまだ未熟だが、どんな方法でも、いつかそんなやさしく、あたたかい言葉を届けられるように。これからも疲れる道をあえて歩んでいきたい。



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