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「毎日」という、やたら重い言葉

毎日。「来る日も来る日も。」「日ごと。」の意。(デジタル大辞泉(小学館))

この言葉、心にウッとくる。時がある。

毎日の扱いって、難しくないですか。
一年の中に、365種類の日があったら素敵だなって思うんです。
同じ日が一度もないって、充実している感じがするから。
その反面、毎日コツコツ積み上げるルーチンワークにも憧れるんです。

「毎日頑張ろう」みたいな字面がなんとなくプレッシャーになる時がありませんか。生きている限り永遠に続くものがあるぞ、お前は逃れられないぞ、みたいな。

毎日、というのは繰り返しを意味しています。同じことの反復。その繰り返しが自分の生である、ということが気味悪く感じる瞬間があったりします。
どことなく無機質だというか、機械的だというか。繰り返しって、あまり意思が感じられない気がするからでしょうか。

「繰り返し」が結構苦手です。たとえば、ドラマ。一つの作品を最後まで見た試しがありません。毎週同じ時間にテレビの前にいる、という繰り返しの行為が苦手であるためです。

唯一好きな「繰り返し」は、反復練習。テストでも習い事でも、間違えたところを繰り返しやって覚えていくというのは好きです。
反復練習の前後では、明確に結果が違います。やった意味、が点数や上達度合いになって表面に現れるのです。

なるほど、そうすると「毎日」という繰り返しには目的が見つけづらいのか?そんな仮説が立ちます。
繰り返した前後で明確な違いが現れない。そこが無機質さを感じる原因でしょうか。

であれば、毎日何か定点で測れば良いのかもしれません。
確かに、定点観測している人はいます。
定点は人によって違うのでしょう。体重だったり、バーベルの重さだったり。
そこに人それぞれの物差しがあることで、繰り返しは意味を持って、ただ機械的に反復されるものではなくなっていきます。

自分なら、何を測るでしょうか?
測りたいと思った理由はなんでしょう。どんな物差しを持っているからでしょうか?

さてここから前向きに考えるぞと思いつつ、「毎日は永遠に続くぞ」というプレッシャーを感じてしまい、今日も迷いあぐねているようです。

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